2024年1月1日に開幕するブリスベーン国際で、大坂なおみが女子テニスツアーに戻ってくる。

 彼女が最後に公式戦のコートに立ったのは、2022年9月の東レパンパシフィックオープンだった。

この大会での大坂は、体調不良を理由に2回戦を棄権。自身のソーシャルメディアで妊娠を発表したのは、2023年1月のことである。その時点ですでに「来年1月の全豪オープンには戻ってきたい」と、復帰の意志のみならず、時期までを明言していた。

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「自分の子どもが、私の試合を見ながら『あれがママなの?』と誰かに話す日を楽しみにしている」

 そんな未来の青写真こそが、彼女をコートに掻き立てた熱源。そして今、彼女は自らの言葉に忠実であろうとしている。

 出産後のコートに何を求めているかについて、大坂は公(おおやけ)の場に現れるたびに、迷うことなく口にしてきた。

 今年4月、テレビ朝日の番組内で松岡修造氏と対談した大坂は「復帰後はグランドスラムで8回優勝したい」と明言し、松岡氏を驚嘆させた。

 7月に女児を出産したあとの9月上旬には、WOWOWの取材で再び松岡氏のインタビューを受け、以下のように語っている。

「テニスができることへの感謝の気持ちが増した。ずっと以前から、ビーナスやセリーナに憧れていると言ってきたけれど、彼女たちの年齢までテニスをしたいとは思えなかった。でも今は、『たぶんそれくらいまでできるかな』と思っている」

 さらにカメラの向こうの視聴者に向かい、笑顔で次の約束の言葉を送った。

「シュウゾウさんは信じられないみたいだけれど、私は来年の1月にオーストリアにいると信じているし、みなさんに会えるのを楽しみにしています」......と。

 産後6カ月弱での復帰、そして出産前を超える数のグランドスラム優勝は、間違いなく野心的な目標ではある。

 とはいえ、先人たちが残した足跡から類推するに、決して非現実的でもないだろう。

 直近の例では、最高位世界3位、現在29歳のエリナ・スビトリーナ(ウクライナ)の復活劇が記憶に新しい。

【憧れのセリーナも憧れた偉大な母親テニス選手】

 男子トップ選手のガエル・モンフィス(フランス/37歳)と結婚したスビトリーナが、女児を出産したのは昨年10月。ツアーに復帰したのは半年後の今年4月上旬で、このあたりのタイムラインは大坂のそれとも合致する。

 そのスビトリーナ、復帰直後の数大会は早期敗退が続いたが、7大会目のストラスブール国際で通算17度目のツアー優勝。すると翌週の全仏オープンでは、世界9位のダリア・カサキナ(ロシア)らを破りベスト8へ。

さらに7月のウインブルドンでは、世界1位のイガ・シフィオンテク(ポーランド)に競り勝ち、ベスト4へと躍進した。

 全仏のベスト8、そしてウインブルドンのベスト4は、いずれも彼女のキャリア最高戦績に並ぶ記録である。

 大坂が敬愛するセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)も、出産から復帰し、グランドスラム優勝への渇望を示し続けた偉大な先駆者。

 2017年9月、36歳の誕生日を目前に控え第一子を出産したセリーナは、産後の合併症に苦しみながらも、翌年3月に復帰。3カ月後のウインブルドンで決勝へと駆け上がると、同年8月末開幕の全米オープンでも決勝に勝ち上がった。

 なお、この時の全米で敗れた相手こそが、当時20歳の大坂なおみ。

これが大坂にとって、初のグランドスラムタイトルとなった。

 昨年9月に引退したセリーナは、復帰後のグランドスラム優勝こそ成らなかったが、2年間で計4回、決勝の舞台に舞い戻った。

 加えるなら彼女が書き加えたのは、テニス史だけではない。

 セリーナの復帰後、WTAは「産休の最大3年間への延長」、そして従来は大会エントリーにしか使えなかった『スペシャルランキング』にシード権も付与することを記した。これら環境整備も含め、セリーナが後進に切り拓いた道は計り知れない。

 そのセリーナにも影響を与えた「母親テニス選手」の先輩といえば、キム・クライシュテルス(ベルギー)を忘れてはならない。

2005年に全米オープンを制したクライシュテルスは、2007年に24歳の若さで最初の引退。翌年に第一子を出産した元世界1位がツアーに戻ってきたのは、2009年8月のことだった。

【グランドスラム制覇した時のコーチと再タッグ】

 まだ産後選手の活躍が珍しかったこの当時、復帰戦でいきなりのベスト8で周囲を驚かせたのは、まだ序の口。復帰わずか3大会目の全米オープンでは、並み居る上位勢を次々に破り、キャリア2度目のグランドスラムタイトルを手にしたのだ。

 ちなみに、準決勝の対戦相手はセリーナ。そして決勝の相手は、当時19歳の新鋭キャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)。

ウォズニアッキも今夏、2度の出産を経てツアー復帰した系譜も、新時代を照らすトーチリレーを思わせる。

 大坂が「産後もグランドスラム優勝が可能」だと信じる時、その最大の根拠たる前例として挙げたいのは、やはりこのクライシュテルスだろう。26歳での復帰というのも、符号点。

 また、出産前のクライシュテルスは、勝利への執着面でライバルの後塵を拝し、あふれる才能を結果に還元しきれなかったと言われてきた。初のグランドスラム優勝も、5度目の決勝でやっと手にした悲願だ。

 それが、復帰後は無類の勝負強さを発揮し、3度の決勝進出で全勝。「母は強し」などの惹句に着地するのはあまりに安易だが、当の本人も「子どもの世話が最優先であり、その環境が試合の重圧を軽減してくれる」と断言していた。

 周知のとおり大坂は、プレッシャーや世論との折り合いに苦しみ、精神の安定を欠いたことを公言してきた選手。「誰もが知る大坂なおみ」を扱いあぐねた彼女にとって、自身以上に大切な存在を得たことは、あらゆる面でプラスに働く可能性は高いだろう。

 もちろん、ここに挙げたのは過去の成功例に過ぎず、大坂がこの先どこまで遠くに行けるかは、未知数だ。ただ、2度のグランドスラムを制した時のコーチであるウィム・フィセッテを呼び戻すなど、チーム体制にも本気度がうかがえる。

 妊娠と復帰の意志を告げた1年前のソーシャルメディアで、大坂は次のようにも記していた。

「人生に、絶対的に正しい順路なんてないと思う。でも、意志を持って前に進み続ければ、いずれ自分の道を見つけられると常に感じてきた」

 自ら立てた誓いどおり、彼女は、コートに戻ってくる。それが「自分の道」であることは、いかなる順路だろうが間違いない。