私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第26回
まったく異なるW杯を経験した男の葛藤~大久保嘉人(4)

◆(1)大久保嘉人がザックジャパンに呼ばれたのは「引退を考えていた時だった」>>

◆(2)ブラジルW杯、大久保嘉人が「負の連鎖」が始まった瞬間を明かす>>

◆(3)ブラジルW杯、大久保嘉人は「中村憲剛さんがいてくれたら...」と何度も思った>>

 2014年ブラジルW杯、日本はグループステージを1分け2敗で終え、2大会連続の決勝トーナメント進出は叶わなかった。

 キャプテンの長谷部誠を軸に、本田圭佑岡崎慎司香川真司長友佑都内田篤人ら、海外でも活躍していた個性あふれた面々が主力となり、戦前には2010年南アフリカ大会に続くベスト16はもちろん、ベスト8も行けるのではないか、という期待が膨らんでいた。

だが実際は、同じく「史上最強」と称された2006年ドイツW杯を再現するかのような、惨憺たる結果に終わった。

「南アフリカW杯からの4年間は何だったんだろうね」

 大久保嘉人は、悲しげにそう言った。

「俺は出ていないけど、(2013年11月に)オランダで行なわれた親善試合では、オランダ、ベルギー相手にいい試合をしていた。自信を持ってサッカーをしていたと思うんですよ。

 それが、W杯では腰が引けたようなサッカーをして負けたとなると、『何をしているんだ!』ってなるよね。また、4年間ずっと活動してきた選手が試合に出ず、俺みたいな(本番直前にメンバー入りした)1回限りの選手が試合に出ていたのを考えると、『おまえら、何してきたんだ』って思う。

 結局、それまで積み重ねてきたものを出せずに試合に負けてしまったら、やってきたことの意味がなくなってしまう。オランダとかといい試合をしていたことも忘れてしまう。本当にもったいないと思った」

 選手たちの力を知るからこその、大久保の言葉だが、監督のアルベルト・ザッケローニに対してはすっきりしない感情を抱えていた。

「W杯では、初戦の途中から出してもらったし、その後の2試合もスタメンで使ってもらった。でもここまで使うんなら、何度も言うけど、『もっと早く代表に呼んでくれれば』って思ったよ。そうしたら、もっとチームとしても、個人としても、何かしらはできたかな、と」

 FWであれば、急きょ招集されたとしてもやれるだろうといった見方もあるが、大久保は単独で勝負するタイプの選手ではない。

得点王を獲った川崎フロンターレでのプレーを見てもわかるように、周囲との呼吸、連係を大事にする選手だ。「もっと早く呼んでくれれば」というのは、大久保が自らのプレーを120%発揮するには必要なことだった。

 ともあれ、大久保はピッチに立てば、点を取るべく必死にプレーした。ただし、その必死さはチームには響かなかった。

ふたつの異なるW杯を経験した大久保嘉人だからわかる、日本代表...の画像はこちら >>
 南アフリカとブラジルの2大会を経験した大久保は、それぞれの大会を通して、結果を左右したものが見えた。

「やっぱり、初戦の重要性かな。

南アフリカ大会の時は、大会前の親善試合で負けまくって追い詰められたなか、本番直前に戦術とかスタメンとかすべてを変えて、初戦は『もうやるしかない』という状況でチーム一丸となって戦った。そこで勝てたことで、逆に自信が膨らんで、その後も戦うことができた。手のひら返しで称賛もされた。

 でも反対に、(初戦で)負けると批判されるし、(周囲から)いろいろと言われることでやっぱり焦ってしまう。焦ると、今までやってきたことさえ忘れてしまうというか、自信を持ってプレーできなくなる。初戦が持つ"試合の重み"を改めて感じた」

 もうひとつ、大久保が感じたのは、コンディションの重要性だった。

「ブラジル大会の時は、コンディション調整のアプローチを完全にミスったと思う。大会前の国内合宿であれだけ疲労が残るトレーニングをすれば、そりゃ影響が出ますよ。

 一方、南アフリカ大会の時はスイスでの直前合宿で調整して、その後はコンディションを落とさずに戦えた。ピーキングがうまくいったから、相手よりも走って、あのサッカーをやり続けられた。

 ブラジル大会でも(選手の)コンディションさえよければ、もしかしたらコートジボワール戦で逆転されたあとも、何かしら抵抗できていたかもしれない。戦術以前に、コンディションの差が大きかったと思う」

 ブラジルW杯のあと、チームは解散。

これが大久保にとって、日本代表での最後の活動となった。

 そこから4年後、2018年ロシアW杯で日本ベはスト16入り。さらに8年後の2022年カタールW杯で、日本はグループステージでドイツ、スペインを破って決勝トーナメント進出を果たした。堅守速攻が冴え、すばらしい戦いを見せたが、ラウンド16でクロアチアに敗れて、ベスト16の壁は突破できなかった。

 その後、日本代表は森保一が監督を続投。親善試合ではドイツに4-1で大勝するなど、ここまで好調を維持している。

 大久保は「強いよねぇ」と笑顔を見せた。

「明日にでもW杯が始まれば、日本はベスト8じゃなく、ベスト4にも行けますよ。

 けど、勝負は今じゃない。強豪国はこれから新しい選手が出てくるだろうし、W杯に照準を合わせてチームを作っていく。これから、どんどん強くなっていくんですよ。

 日本も、今がピークにならないようにしていかないと。今、よすぎるだけに、ちょっと不安ですけど」

 大久保は、どこに不安を感じているのだろうか。

「主力が固定されて、何となくザックジャパンの頃と雰囲気が似ているからですかね。このままのやり方で上積みをしていけるのか、そこが大きなポイントになるのではないでしょうか。

 とはいえ、監督が森保さんで日本人同士なので、(選手とも)しっかりコミュニケーションが取れるから、そこはプラス。やっぱり監督が外国人だと、細かい点でのコミュニケーションが難しい。最後は(監督も選手も)我が出るというか、そこが出すぎてしまうところがあるので、それだとチームがギクシャクしてしまう部分が出てくる。

 俺は、森保監督がここからチームを一段とレベルアップさせて、カタールW杯以上の結果を出してくれることを期待しています」

 チームをまとめるのは監督だが、それだけでは勝てない。大久保は、自身の経験から日本がベスト8以上に行くうえで、重要な条件があると言う。

「個人のレベルアップが欠かせないでしょ。ブラジルW杯の時の(ディディエ・)ドログバ、ハメス(・ロドリゲス)のような選手は、個の力で流れを変えてしまう。

 日本の選手も海外組ばかりになって経験値は増しているけど、(それぞれが)今所属している以上のチームというか、強豪クラブに行って、選手自身が個を磨いていかないと、ベスト16の壁を破るのはなかなか難しいと思う」

 ブラジルW杯を終えて、大久保は失望感でいっぱいだった。それまで積み重ねてきたものが何もなくなってしまったからだ。

 しかし、今の日本代表はロシアW杯からの継続が結果になって表れている。次の2026年北中米W杯では、ロシアW杯からカタールW杯を経て、8年間の成果を見せることになる。

「カタールW杯から『また変わったな』『さらに強くなったな』という姿を見せてほしい。そのくらいにならないと、新しい風景は見られないと思うんで」

(文中敬称略/おわり)

大久保嘉人(おおくぼ・よしと)
1982年6月9日生まれ。福岡県出身。国見高卒業後、2001年にセレッソ大阪入り。J2に降格したプロ2年目からチームの主力として奮闘し、2004年にはスペインのマヨルカに期限付き移籍した。2006年にC大阪に復帰したあとは、ヴィッセル神戸、ヴォルフスブルク(ドイツ)、神戸と渡り歩いて、2013年に川崎フロンターレへ完全移籍。3年連続で得点王に輝いた。その後は、FC東京、川崎F、ジュビロ磐田東京ヴェルディ、C大阪でプレーし、2021年シーズン限りで現役を引退。日本代表では、2004年アテネ五輪で活躍後、2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯に出場。国際Aマッチ60試合出場、6得点。