河村勇輝インタビュー後編

◆河村勇輝・前編>>「苦しむことを望んでいた」と言える理由

 ワールドカップでドイツやオーストラリアといった強豪国との真剣勝負を経て、Bリーグの舞台に再び戻ってきた河村勇輝のプレーは明らかに変わった。司令塔としてチームを牽引するだけでなく、ひとりで得点を重ねて勝利を手繰り寄せようとする気迫がみなぎっている。

 脅威のスピードで進化し続ける22歳は、その先に何を見ているのか──。ワールドカップで「世界」を実感した河村に、自身が描く海外挑戦へのビジョンについて具体的に聞いた。

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河村勇輝が渡邊雄太からもらった「すごく参考になる」アドバイス...の画像はこちら >>
── 河村選手は「近い将来に海外のリーグでプレーをしたい」と公言しています。海外とは「NBA」のことを指すのですか?

「もちろん、NBAでプレーしたい気持ちはすごく大きいですし、バスケット選手としてそこは誰しもが立ちたい舞台だと思います。ただ、そのためにはアメリカだけではない違う国にも行って、さらに経験を積まないといけないこともあるかもしれない。

 もしかしたら、Gリーグやヨーロッパといった選択肢もあると思う。

もっと成長するために今、どこへ行くことが一番なのか。そう考えながら選択したいなと思っています」

── NBAでプレーする渡邊雄太選手(メンフィス・グリズリーズ)やGリーグ経験のある馬場雄大選手(長崎ヴェルカ)とは、ワールドカップで一緒のチームでした。何か参考になる話など聞きましたか?

「すごく参考になるような話を聞かせてもらいました。BリーグでもGリーグでも一緒な部分はありますが、チームの環境やヘッドコーチの考え方など、雄太さんも雄大さんも『NBAを目指すならしっかりとしたチーム選びが大切だ』と言っていたので、その部分でいい判断ができればとは思っています」

── 2024年は「オリンピック」という大舞台があり、個人として「海外挑戦」もあるかもしれません。まだキャリアは続いていきますが、今年はひとつの節目になりそうでしょうか。

「そうですね。

自分の大学での大きな決断(中退)は、まずパリオリンピックに標準を合わせていたので、それがひとつの集大成になるんじゃないかと思っています」

── ただ、パリオリンピックを海外行きのアピールの場にしたい、というわけではない。

「そうですね。トム(・ホーバスHC)さんに求められることをやって、結果的にそういうアピールになる可能性はあるとは思うんですけど、『世界にアピールをしたいからオリンピックに出たい』ということではないです。

 世界のリーグでバスケットボールをしたいと思うようになったのは、本当にここ最近の話。オリンピックに出たいというのは、そのずっと前から思っていたことなので、ふたつは別の話ですね」

── 今シーズンは常々、得点とアシストのバランスの難しさについて話していました。両者のバランスという視点で参考にするようなNBA選手はいますか?

「チームの役割として求められている感じで、タイプが似ているのはトレイ・ヤング選手(アトランタ・ホークス)ですね。

ハンドラー(司令塔)をしながら得点やアシストを重ねるスタイルに、ちょっと近しいものがあるなと思っていて。

 あと、プレースタイルはまったく違いますけど、ルカ・ドンチッチ選手(ダラス・マーベリックス)。ボールを持つ時間がすごく似ていると思います。

  参考にするチームも、戦術というよりボールをよく持って、その選手が起点となってバスケをしているところをよく見ています。だからどちらかというと、いろんな選手が絡みながら展開するボストン・セルティックスとか、ビッグマンを中心にボールが動くデンバー・ナゲッツより、ポイントガードを主軸としたチームの試合を見るようにしています」

── たとえば、攻撃の起点がひとつだと相手はダブルチームやトラップディフェンスを入れてきますが、それに対してボールを持っている選手がどう対処しているか......などを見ているのですか?

「そうですね。ドンチッチ選手にはどのチームもダブルチームを仕掛けてくるので、そういう時にどういった対応をしているのかなどを見ています。

何十点も取るなか、得点とアシストのバランスをうまく取りながらチームをコントロールしているんだろうな......などと思いながら」

── 八村塁選手(ロサンゼルス・レイカーズ)や渡邊雄太選手の試合もよく見るそうですね。

「そこはもう、ファンとして見ています(笑)。日本人がどれだけ活躍しているかを期待しながら、という感じですかね」

── 渡邊選手とはすでにワールドカップで一緒にプレーしていますが、パリオリンピックでは八村選手も出場するかもしれません。

「ぜひ出場してほしいですね。塁さんの意向はわからないですけど、一緒にプレーできたら最高だなとは思っています」

── ワールドカップを経験した結果、世界やNBAとの距離感はより鮮明になりましたか?

「海外でプレーしたい気持ちもより強くなりました。でも、海外に行ったら環境に慣れることも大変だと思うし、もちろん言語の壁もありますし。

でも、何だろうな......苦労は買ってでもしたいなっていうのはあります。

 やっぱり、それが自分の成長に絶対つながると思う。成功する、成功しないに限らず、人としてもバスケ選手としても、海外でうまくいくかわからない環境に飛び込んでプレーすることもまた、僕のバスケットボール人生でひとつの面白い挑戦にしたいと思っています」

── 「苦労は買ってでもしろ」というのは、誰に言われてきたことですか?

「父ですね。それはよく言われていました。わざわざ苦労する必要はないけど、本当に人が成長できるのは、苦労した時であったり、そこから自分で見出したものから身につくものだと、父からずっと言われてきたので。そういった選択にはしたいなと思っています」

── 長いバスケットボールキャリアを通して物事を考えていると。

「はい。目先のことだけではなくて、バスケットボール人生を通しての挑戦になると思っているので。海外に拠点を置いてプレーすることは、バスケットボールだけでなく、人としても成長できるかなと思っています」

── 河村選手は常々「バスケットボールをメジャーな競技にしたい」と口にしています。ワールドカップを通じて競技人気は上昇しましたが、今の状況をどう感じていますか?

「島田慎二チェアマンも伝えていますが、『BリーグをNBAに次ぐ世界のリーグにする』という大きな目標を掲げているのであれば、現状に満足してはいけないです。多くのファンの方々に会場に来てもらわないと、世界2番目のリーグになるのは難しいでしょうから。特に日本は島国なので、ヨーロッパのように周囲の国々から集まりやすいリーグではないですし。

 だからこそ今に満足せず、もっともっと、日本全国、誰しもがBリーグを見に行くような環境にならないと、掲げている目標は達成できない。今回のワールドカップや映画『スラムダンク』など、いろんな影響で少しずつバスケファンは増えているとは思います。だけどやっぱり、(盛り上がった直後の)次の年が真価を問われるシーズンになるんじゃないかと。

 また、今年はパリオリンピックという大きな機会があるので、そこで日本代表が大きな結果を残すことができれば、バスケットボールが国民の「生活の一部」になるんじゃないかなと密かに期待していて......。だからこそパリオリンピックは、絶対にいい結果を残したいと思っています」

<了>


【profile】
河村勇輝(かわむら・ゆうき)
2001年5月2日生まれ、山口県柳井市出身。柳井中時代に全中ベスト16となり、福岡第一高ではウインターカップ2連覇を含める全国大会のタイトルを4度獲得する。高校3年時の2020年1月に特別指定選手として三遠ネオフェニックスに加入し、当時のB1史上最年少出場記録(18歳8カ月23日)を更新。2020年4月から東海大に進学するも2022年3月に中退。大学在学時から特別指定選手としてプレーしていた横浜ビー・コルセアーズとプロ契約を結ぶ。2022-23シーズンはBリーグMVPや新人賞を受賞。2022年7月にA代表デビューを果たし、2023年のFIBAバスケワールドカップでは司令塔として日本代表のパリ五輪出場権獲得に貢献した。ポジション=ポイントガード。身長172cm、体重72kg。