目に涙を浮かべる......といった程度の表現では足らない。それは、嗚咽だった。

 FIBAワールドカップ期間中の2023年8月27日。この夜、日本代表チームは18点もの差をつけられたところから挽回し、フィンランド相手に歴史的な勝利を飾るとともに、直近ふたつの世界大会でひとつの白星も挙げられない「負の連鎖」から這い出す日となった。

「後輩のみんなに支えてもらって......言葉が出ない......よかったです」

 試合が終わって数分経ったメディアからの質問に、きちんと答えようとした馬場雄大(SF/当時・無所属、現・長崎ヴェルカ)だったが、感涙は瞳の中に引いてはいなかった。

※ポジションの略称=PG(ポイントガード)、SG(シューティングガード)、SF(スモールフォワード)、PF(パワーフォワード)、C(センター)。

馬場雄大が泣いた日から半年 頼れる男になった28歳は「次、勝...の画像はこちら >>
 あれから半年──。アジアカップ予選で日本代表に招集された馬場は、久々に日の丸のユニフォームを着てコートに立った。
結果、グアム戦と中国戦はともに勝利を収めた。

 中国からの白星は、主要国際大会で実に88年ぶり。「あの日」泣いた馬場はチームトップの24得点を挙げるなど、この試合で「頼れる男」であることをプレーで示した。

 3日前のグアム戦、馬場は体調不良でプレーしなかった。それゆえに中国戦も、あるいはコートに立つ姿は見られないのではないかとも考えられたが、杞憂だった。

 日本にとっての「頼れる男」は、ひいては相手にとって「やっかいな男」に転ずる。

前半の彼は3Pを3本決めているが、それは相手ディフェンスが彼のドライブインを警戒して引いて守っていたところがあったからだ。

 そして後半。3Pではいかにも緊張がないような力感のないシュートを放っていた28歳は、今度はしなやかで、かつ獰猛な豹のように、得意の中へ切れ込むプレーから得点を重ねた。

馬場雄大が泣いた日から半年 頼れる男になった28歳は「次、勝っても、泣かない」
強気のシュートでチーム最多の24得点をマーク photo by ©FIBA

【トム・ホーバスHCが馬場雄大の成長を振り返る】

 出色は第4クオーター、残り9分強で決めた華麗なレイアップだった。

 コーナーから上がってパスを受けた馬場は、味方のスクリーンを利用してズレを作ると躊躇なく中へ切れ込み、ふたりの相手ディフェンダーの間を縫いながら左手でボールにスピンをかけると、バックボードに跳ね返ったボールはリングに吸い込まれる。ファウルももらっていたため、バスケットカウントとなった。

「空いたら打つ、というメンタリティでいたので、シュートが入ってよかったです。

それで相手が3Pをかなり警戒し始めたので、ペイントに空間を見つけて。そこは自分の得意としているところ。ディフェンスの守り方を見て、冷静に判断できたかなと思います」

 前後半で異なる手段から得点を奪ったことについて、馬場はこのように語った。

 前半は「3Pシューター」として、そして後半はひるがえってリングへ切り込んでいく「スラッシャー」と化し、相手次第でスタイルを変化(この場合は「へんげ」と読みたい)させることのできる幅の広さは、才能の集まる日本代表のなかでも抜けているように見える。

 馬場は筑波大学、そしてBリーグ・アルバルク東京でのプレーを経て、オーストラリアNBLやNBAの下部組織Gリーグでプレーをしてきた。それは目標であるNBAにたどり着くためだ。

 そうして「修業」を重ねる馬場のNBA入りを、日本代表のトム・ホーバスHC(ヘッドコーチ)も後押ししてきた。体の大きくない馬場がNBA入りするには「3Pも必要である」と説き、輪ゴムを使ってシュートフォームを矯正したり、得意のドライブインにバリエーションを加えるための指導も行なっている。

 ホーバスHCが当時のことを回顧する。

「1年ちょっと前かな。馬場は右へドライブに行きがちな選手だったけど、ジャンプストップとかジャンプストップスピンとか、いろいろ教えました。だから馬場がジャンプストップするとすごくうれしいし、うまくなったなと。

バスケットのプレーに深みが出るようになりました。

 右ドライブだけじゃなくて3Pもある。左へのドライブも、今日は何度も見せました。左へのドライブからスピン、左へのドライブからのジャンプストップ。そういうのを見るとうれしいですね」

馬場雄大が泣いた日から半年 頼れる男になった28歳は「次、勝っても、泣かない」
馬場雄大は間違いなくパリ五輪のキーマンとなる photo by ©FIBA

【0勝8敗の屈辱を乗り越えて手に入れた自信】

 今シーズン、馬場は5年ぶりにBリーグへの復帰を果たしている。これも、ホーバスHCによる「キャリアのなかの今の段階で、彼にはBリーグで中核選手である必要がある」との助言に従った部分もあった。

 再び、半年前のワールドカップ。

 目からあふれる涙をこらえきれなかったのは、馬場だけではない。渡邊雄太(SF/メンフィス・グリズリーズ)もそうだった。

 ふたりは2019年ワールドカップと2021年の東京オリンピックでの「0勝8敗」を経験していた。世界大会で1勝にとどかないことが、これほどまでに悲痛であるということを、彼らの涙が示した。

 フィンランド戦での勝利で勢いを得た日本は、ここからさらにふたつの勝利を積み上げて、パリオリンピックへの切符を手にした。

 最終戦のカーボベルデ戦後の馬場の顔には、穏やかな笑顔が広がっていた。

「なんか緊張の糸が切れたというか、ずっと勝てていなかったぶん、世界大会で勝つということがこんなにうれしいんだということが湧き上がってきたんです。自分たちが強くなっているということを再確認できましたし、僕たちは今まで以上に信じる姿勢でいることができたので、(勝てた理由は)そこかなと思います」

 無論、今回の中国戦での馬場のパフォーマンスは、あくまで1試合でのものでしかない。富樫勇樹(PG/千葉ジェッツ)などは常々、「世界大会に出てくるようなチームのレベルは、またアジアとはまったくの別もの」だと強調している。日本はパリオリンピックでベスト8進出を目標に掲げるが、そこでは「まったく別もの」レベルの相手と対峙し、打ち破る必要がある。

 では、チームの中心選手のひとりである馬場が、そこで強豪を倒すためにチームを引っ張る意気込みなのかといえば、そうではない。体躯や身体能力で世界と伍することが難しい日本は、相手に合わせるのではなく、あくまで自分たちのバスケットボールを貫きながらチームとして戦うことがこそが勝利への道を切り開くという認識を共有している。

【日本代表の軸は渡邊雄太と八村塁だけじゃない】

 馬場も、今はより「日本の一員として戦う」心境でコートに立っているという。

「ワールドカップでは正直、結果を出そうとしすぎたところがありました。でも、Bリーグに入ってからは、なにか違うんじゃないか、バスケットボールはひとりだけがよくてもいけない、みんなで一緒に上がっていくものじゃないか、もっとチームメイトを大切にすることやポジティブで明るいエネルギーを与えるのがいいのではないか......そんなふうに、ワールドカップ以降の意識は変化してきました」

 世界大会での8連敗、海外での修業の日々、そしてワールドカップでの歓喜──。そうしたさまざまな経験が、馬場雄大という選手をひと回り大きな人物にした。

 2022年から、トレーニングの一環として瞑想も取り入れているそうだ。あるいはそれも、彼を地に足のついた姿勢にさせているのかもしれない。

 パリオリンピックで、日本は個に頼るのではなく、あくまでチームとして「1+1」を「2」以上にするような戦いをしなければならない。そして同大会では、渡邊と八村塁(SF/ロサンゼルス・レイカーズ)というふたりのNBAプレーヤーが参戦すれば彼らを中核とするのを承知しながら、馬場という「頼れる男」の力量にも期待せずにはいられない。

 負の連鎖は、沖縄でのワールドカップで断ち切った。パリには、勝ちに行く。

 柔和な笑顔をたたえながら、馬場が言う。

「次、勝っても、泣かないと思います」