Jリーグから始まった欧州への道(5)~鎌田大地

 鎌田大地(ラツィオ)は、過去の日本代表と比べても傑出した選手と言えるだろう。

 カタールワールドカップでの鎌田は森保ジャパンの攻撃の舵を取っていた。

極端に受け身に回り、ボールを捨てるように敵に明け渡す戦術に"待った"をかけ、できるだけボールを握って攻撃機会を探った。その姿勢により、チームの腰が引けることなく、千載一遇のカウンターで敵を仕留めることができた。守備と攻撃を連結させるクレバーさや技術は際立っていた。

 鎌田は技術、体力、戦術に恵まれたコンプリートな選手である。しかも、それをファンタジスタとしても、ロジカルなリンクマンとしても用いられる。非凡なプレーヤーだ。

 過去に同じ領域にいた日本人選手には本田圭佑がいる。しかし鎌田と比べると、本田は単純なフィジカルに頼るところがあった。もっと言えば、強靱な反骨心を、才能を焦がすほどに燃やしてプレーしていた。

「歩くように走る」

 そう表現されるボールプレーヤーの自然体が、鎌田の本性だろう。元ロシア代表アレクサンドル・モストボイ、元スペイン代表フアン・カルロス・バレロン、元ポルトガル代表ルイ・コスタ、あるいはクロアチア代表のルカ・モドリッチに近いかもしれない。

鎌田大地はJリーグが生んだ傑作 渡欧前からポテンシャルの高さ...の画像はこちら >>
 2015年、鎌田は18歳の時にJ1サガン鳥栖でプロデビューしている。
同年5月の松本山雅戦でデビュー。途中出場で、なんとゴールも決めた。

 このシーズン、名古屋グランパス戦を現地取材したが、デビュー2戦目のルーキーは他を圧倒する大器だった。

 アディショナルタイム、鎌田は豊田陽平が落としたボールを、一度左のスペースへと正確にコントロールした後、ディフェンダーの体の向きを一斉に引き寄せる。その刹那、体を捻るようにして右中央に左足でパスを通し、走り込んだ豊田に寸分なく合わせて得点を演出した。相手の裏を取って、名古屋のディフェンダーを血祭りにあげていた。

 鎌田から見て左サイドには、フリーでポジションを取った選手がいた。選択肢としてはそこが有力に見えたが、彼はそれを誘いに使った。よりゴールに近い選択肢を、自らのタイミングでパスコースを作り出すことで、鮮やかにアシストを決めたのである。ポテンシャルの高さは、ワンプレーで十分、明らかだった。

【当たってもびくともしない】

<時間を操り、空間を作る>

 鎌田は一流選手だけが持つそんな能力に恵まれていた。ボールの置きどころをわずかに変えるだけでプレーの選択肢を増やし、最善の判断で有効性を高められる。

快刀乱麻というべきか、ボールを持ったとき、彼を中心に時間はまわり、必然的に"地の利"を得る。

 続く川崎フロンターレ戦でも、鎌田は途中出場ながら得点をアシストしたが、それ以外でも、必ずと言っていいほど最善の判断を下していた。パサーという限定能力ではない。シュートを打つべき時はシュートを選択し、実際に精度の高いシュートを打ち込む。実は守備センスにも優れ、相手の間合いが読み取れるから、奪いどころを心得ていた。

 キックひとつをとっても、素質の非凡さは歴然としていた。

どのように足をボールに当てれば強く飛び、回転がかかるのか、すでに習得していた。結果、FKも含めて出力最大の一撃を打ち込めた。

 同年8月のモンテディオ山形戦では目の前のディフェンダーの裏を取り、シュートもGKの逆を取ったコースに流し込んでいる。目の前のマークを外すセンスは天分。どこがゴールを奪うポイントか、というタイミングで相手を上回れるのだ。

「当たってもびくともしなかった」

 当時、多くの対戦選手が10代の選手の強さに圧倒され、天才にありがちなひ弱さもなかった。

 プレーメイクだけでなく、守備でリズムを作る強度を装備し、ゴールにも絡む。サッカー選手としてオールラウンドなスケール感だった。それは、「過去10年でJリーグ最高の選手」と評しても過言ではない。

 ではなぜ、これだけの素材がユース年代では一度も代表に選ばれず、日本サッカー界で隠れていたのか。

「試合中、消えている時間が長い」「性格的に暗い」「何を考えているかわからない」......そんなマイナスポイントが理由で、スカウト網から外れていたという。だが、"消えているプレー"を反転させ、"現れているプレー"と接続させたら、化け物級のタレントだったわけだ。

 鎌田はJリーグで2年半プレーした後、欧州挑戦に踏みきっている。語学力を含めて久保建英のようなコミュニケーション能力があるわけではなく、フランクフルト入団1年目はかなり苦労したようだ。しかしシント・トロイデンではリーグ15得点を記録し、欧州に適応。フランクフルトに戻ると、4シーズンの在籍でDFBポカール(ドイツカップ)、ヨーロッパリーグ優勝に貢献した。

 今シーズンから鎌田はイタリア、ラツィオに新天地を求めている。かの国特有のサッカー文化には、今も適応に苦しんでいる。フィジカルや士気の高さの比重が高いプレースタイルで、戦術も「負けない」ことを土台に組まれているイタリアの風土は、鎌田の肌に合わないようにも映るが......。

 ひとつ言えるのは、鎌田に匹敵する「時間を操るファンタジスタ」は、その後のJリーグには出ていないということだ。