尊富士インタビュー
2024年3月、大相撲春場所。110年ぶりの新入幕優勝に所要10場所でのスピード優勝、新入幕で初日から11連勝など、数々の記録とともに優勝旗にその名を刻んだのは、伊勢ヶ濱部屋の尊富士だった。
日本大を卒業してからわずか2年、現在25歳の尊富士へのインタビュー前編では、初土俵から春場所のドラマチックな優勝の裏側まで振り返ってもらった。
【負けパターンを潰して自分の相撲を取る】
――一昨年の秋(9月)場所で初土俵を踏んだ尊富士関。あらためて、伊勢ヶ濱部屋に入門した経緯を教えてください。
尊富士 師匠が同郷の青森県出身であること、高校の先輩でもある横綱(照ノ富士)から誘っていただいたからです。横綱の熱意と、ケガから這い上がって横綱にまで上り詰めた人生にグッときましたし、強くなるために稽古がきついと言われる伊勢ヶ濱部屋でやっていきたかった。不安もありましたが、何も知らない環境で、誰にも甘えることなく育ちたいとも思いました。
――プロの世界に入ってみて、アマチュアとの違いはどんなところに感じましたか。
尊富士 相撲に対する向き合い方がまったく違いますね。大相撲は仕事であり、これで稼いで周囲に恩返ししたいという思いがあります。朝、横綱が土俵に入ってきたときのピリッとした空気感で場が締まる部分などは、違いを感じます。
――関取昇進まで約1年半。十両は1場所で通過し、順調に出世してきました。
尊富士 部屋の稽古が充実していて、頑張った分だけ土俵の結果につながるのが楽しいです。僕は、若い衆で取組が7日間しかなかったときよりも、関取になって15日間戦うほうが合っていると思っています。7日間しかないと、負けたあとにあれこれ考える時間ができて不安が勝ってしまうんですが、15日間あれば、負けても次の日も取組があるので、早く切り替えられるんです。
毎日、全部勝つなんてなかなか難しい世界なので、本来ひとつの負けを引きずる必要はありません。負けた原因を考えれば次につながるし、誰しもが1回も負けないことはあまりないので、切り替えないとやっていけないと割りきって考えています。
――3月は新入幕。
尊富士 支度部屋の雰囲気が違いましたね。緊張はあまりしないんです。見ているお客さんに喜んでもらうために土俵に上がっているので、いつも皆さんのためにいい相撲を取ろうと思っています。
――新入幕で初日から11の連勝記録を達成しました。
尊富士 まったく意識していませんでした。ニュースもあまり気にしないんです。それは周りが思っていることで、"一日一番"という気持ちは変わりません。
――15日間の取組をあらためて振り返って、どんな印象でしたか。
尊富士 終盤で三役(小結、関脇、大関)と当たったときも、硬くなることなくしっかりと自分の相撲が取れました。
自分はいつも、イメージトレーニングをしているんです。
――相手の取り口を頭に入れて考えるわけではなく、自分の失敗を繰り返さないようにする、ということですね。
尊富士 そうです。
【横綱の励ましで千秋楽出場を決意】
――勝てば優勝が決まる14日目の朝乃山関との取組では惜敗。何か見えた課題はありましたか。
尊富士 相手は大関経験者。簡単には勝たせてもらえません。負けパターンをもっと考えておけばよかったと思いました。相手の得意の右四つになったら勝てないのに組んでしまい、組んだ瞬間に「ああ、強いな」と思ってしまったんです。
――関取の持ち味は立ち合いのスピード。そこを生かしたいという狙いでしょうか。
尊富士 はい。幕内力士はみんな力があります。でも、自分はスピードなら勝負できる。相手の体重がかかる前に、スピードで攻める意識をしています。
――この一番で、右足首にケガを負いました。どんな状況だったのでしょうか。取組後には車椅子で搬送されるほどでした。
尊富士 相手を押している最中の3歩目くらいでひねりました。そして切り返そうと思ったときにもう1回ひねってしまった。負けたあとは「無」の心境というか、感情がない状態でした。大丈夫かなって、見ていた周りの人も思ったと思いますけど、僕が一番不安でした。めちゃくちゃ痛くて足はつけないし、今場所はもう出られないかなと......。優勝は意識していなかったけど、ここまできて土俵に上がれなかったら意味がないなと思いました。
――翌日の千秋楽に出場するか否かの判断は、どう決めましたか。
尊富士 師匠は「取れないだろ」と言い、僕も「明日はすみません、相撲は取れません」と伝えていました。でも、病院から帰ってきたら、横綱が励ましてくれたんです。優勝させたいという気持ちもあったと思いますが、「こういうチャンスはなかなかない。負けたっていいから、挑戦したらこの先もっと強くなる」、「何をして勝っても負けても、もし批判がきても、それは一瞬だけ。自分の人生なんだから、自分がどうしたいかが一番大事だ」と言われました。それを聞いて、もう恥をかいてもいいっていう気持ちで、千秋楽の取組に向かおうと決心しました。勝ち負けではなく、自分の後悔のないように出ようと。最後はもう気力だけでした。
――そうだったんですね。千秋楽を迎え、どんな心境でしたか。
尊富士 まず、足は前日よりも痛かったです。不安はありましたが、師匠がテレビの解説だったので、下手な相撲を取れないなと思いました。最終的には師匠に「おまえが出ると言うなら」と言って送り出していただいたので、そんな師匠に恥をかかせることはできない。下手なことをしたら、出させた師匠が悪いとなってしまうので、自分なりに真っすぐ向かっていこう、向かっていって負けたら仕方ないと思って臨みました。
――千秋楽、豪ノ山に勝ち、自らの手で優勝を決めました。
尊富士 はい、でも、無我夢中で覚えていないんです。勝ったあとも、シーンって耳鳴りがする感じで、周りの音がずっと聞こえませんでした。
――ものすごい歓声でしたが、いつわれに返ったというか、周りの音が耳に入ってきたのですか。
尊富士 いや、ずっと聞こえていなかったですね。
――相当な極限の状態にいたんですね。優勝したことに対して、率直な感想は。
尊富士 その時はうれしかったですが、それよりも周りが喜んでくれることが一番でした。優勝は、今後きっと何度でも幸せなことだと思うので、特に何か感じるというものはありません。そもそも優勝したあと、ケガで巡業に出られず、人と話すことも多くなかったので、浮かれるような機会もなかったです。周りが喜んでくれてよかったけど、自分には次もありますから。
(つづく)
【Profile】尊富士(たけるふじ)/1999年4月9日生まれ、青森県五所川原市出身。本名・石岡弥輝也。木造中(青森)―鳥取城北高(鳥取)―日本大。幼少期から相撲を始め、わんぱく相撲全国大会など、各世代の全国トップレベルで活躍。大学卒業後、2022年8月に大相撲入りを表明し、秋(9月)場所に前相撲から初土俵。その後場所ごとに順調に白星を重ね、2024年初(1月)場所から十両に昇進し優勝。新入幕を果たした春(3月)場所では、新入幕の力士として最多となる初日から11連勝、110年ぶりの幕内優勝を果たした。