村竹ラシッドインタビュー(2)

 初出場したパリ五輪の男子110メートルハードルで日本人初のファイナリストとなり、5位入賞を果たした村竹ラシッド(JAL)。34年ぶりに東京開催となる今年の世界陸上(9月13日~21日)でも、メダル候補のひとりとして期待されている。

 大学2年だった2021年の東京五輪では、選考会となった日本選手権決勝で、まさかのフライングにより出場を逃したが、聞けばそれまで、五輪出場はまったく意識していなかったという。村竹は3年前の"失敗"をどう生かし、パリ五輪につなげたのか。

――パリ五輪を目指すキッカケは、東京五輪出場を逃したことだったそうですね。

「21年の日本選手権決勝は、前日の予選で五輪派遣標準記録を突破して『決勝でちゃんと走れば五輪に行ける』みたいになって、急に僕を見る周りの目が変わったといいますか......。それまでの僕は、五輪はテレビで見るのが当たり前という認識でしたし、日本選手権でも速い人はたくさんいたので、僕自身は『いい結果が出たらいいな』、くらいの感じだったんです。

 だから、気持ちが追いついていなかったというのが正直なところで......。結果はフライングで、勝負すらさせてもらえませんでした。そこで悔しさがこみ上げてきて、次のパリ五輪でリベンジするしかないと。五輪を強く意識したのは、そのときですね」

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 2021年6月の日本選手権。村竹は予選を当時の自己記録となる13秒28で走り、参加標準記録を突破しただけでなく、全体トップのタイムをマーク。決勝で3位以内に入れば五輪出場が内定するはずだったが、大一番でまさかの人生初のフライングを犯し、つかみかけていた五輪の切符を目の前で逃すことになった。

――予選1位通過だったことで、周りはどうしても期待してしまったのでしょうね。

「僕はそれまで世界大会に出たことがありませんでした。だから、いきなり五輪って言われても、現実味がなくて......。ただ、決勝前にチャンスが来た以上、中途半端にやっても後悔してしまうと思い、やるだけやってみるかと気合いを入れたら、空回りしてしまい......。そこがよくなかったですね(苦笑)」

【家にずっと引きこもっていた】

――失格になってしまったときの心境はどうだったんですか。

「もう絶望ですよ(笑)。ちゃんと走って4位とか5位になって代表に選ばれないのなら仕方ないですが、走ることも許されなかったわけですから。それが自分的にはこたえましたし、今までの人生で一番悔しいレースとして心に刻まれています。そういう意味でパリ五輪は、それまでの3年間抱えてきた悔しい思いを解放した場でもありました」

――今は笑って振り返ることができても、当時、すぐに気持ちを切り替えられたのですか。

「無理でしたね。レースが終わってから1、2週間は部活にも行かず、家にずっと引きこもっていました。しばらくはひとりでいたかったんです。でも、友達や周りの人が心配して家に来てくれて、話を聞いてくれたことに救われました。1カ月後くらいですかね、気持ちを切り替えて、またグラウンドに行けるようになったのは」

――話を聞くと東京五輪選考会の失敗と、パリ五輪の躍進は1つのストーリーとしてつながっているように思います。

その意味では、あのフライングがあって今がある、みたいな思いもあったりするのでしょうか?

「東京五輪に出られなかったことがパリ五輪につながったのは確かですが、そこまでポジティブじゃないですよ。あんな経験、できればしないほうがいいに決まってるじゃないですか(笑)」

――東京五輪は「補欠選手」として、会場で見ていたそうですね。

「会場で見ていれば、どうしたって『もしかしたら自分もここに出られたかもしれない』と思ってしまいます。日本陸連の方から声をかけてもらったときは、ためらいがありました。ただ、最後は先に進むにはしっかり目に焼き付けたほうがいいと思い、無理やり行くことにしました」

――いま振り返って、東京五輪からパリ五輪までの3年という時間はどう感じますか。

「めちゃくちゃ長かったです。『いつになったらこの悔しさを晴らせるんだろう』って、ずっと思ってましたから(笑)」

【向き合った時間が、記録に直結する】

――ハードルを始めたきっかけについても知りたいのですが、幼い頃はさまざまなスポーツをやっていたそうですね。

「小さい頃はサッカーや水泳もやっていましたけど、本格的にやっていたわけではないです。陸上をやるきっかけは、消去法っぽいのですが、球技があまり得意ではなかったということと、チームスポーツがちょっと苦手だったということです。それで中学で陸上部に入り、走ることも跳ぶこともできて面白そうだなと、ハードルにたどり着いた感じです。なんか、やっている人も少なくて、100メートルとかより将来的な可能性があるかなと思ったりもしていました。

 長距離が得意でスタミナがあればよかったのですが、僕は一瞬のスピードだけ。

だからゲーム時間の長いチームスポーツは、向いていないと感じていました。それに、チームスポーツって考えることが多すぎません? たとえばサッカーだったら、自分が攻めているときに味方がどこにいるのかとか、守っているときに敵はどこから攻めてくるのかとか、考えることが多そうで......。僕は脳のメモリーがそんなにないので、すぐにあきらめました(笑)」

――ハードルも考えることが多いのでは?

「ハードルは自分と向き合った時間が、記録に直結すると思っているので、考えることは多いです。ただ、僕は割と自分を突き詰めることは好きで、団体スポーツの思考とはちょっと違うというか。研究というか、自分が興味を持っていることなら、すごくのめり込んでしまう。だからYouTubeなどで、国内外問わずいろいろな選手の動画を見るのは好きで、自分に取り入れたい動きなどがあれば、それをどう自分に落とし込めるか、ということは常に考えているくらいです」

――確かにハードル間の歩数や、どういう高さで飛ぶのかとか、突き詰めることがタイムに影響しそうですね。

「僕はもともと、スタート(から最初のハードルまで)は7歩じゃなくて8歩だったんです。だから、8歩から7歩にするときは、7歩で走っている選手の映像をめちゃくちゃ見ました。あとは後半どんどんスピードを上げていくためには、どういうレースにしたらいいのかとかも、すごく調べたり。もちろん現在進行形で、いまも続けています。ハードルなど技術種目の選手はみんなやっているような気もしますけどね」
(つづく)

【profile】
村竹ラシッド
2002年2月6日、千葉県生まれ。JAL所属。

男子110メートルハードル日本記録(13秒04)保持者。小学5年生で、担任から陸上競技を勧められたことがきっかけで陸上競技を始める。順天堂大学在学中の2022年、世界陸上競技選手権大会オレゴンに出場。パリ五輪では5位入賞を果たす。

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