NBA伝説の名選手:ロバート・オーリー 勝つために自らを犠牲...の画像はこちら >>

NBAレジェンズ連載47:ロバート・オーリー

プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。

世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

第47回は、勝負所でのクラッチショットの記憶を刻み、7度の優勝リングを手にした名脇役ロバート・オーリーを紹介する。

【ロケッツ2連覇に大きく貢献】

 NBA史上最も多くの優勝を飾った選手はビル・ラッセルの11回。これはボストン・セルティックスが1959年から1966年にかけて前人未到の8連覇を達成したことが大きく、この期間で多くの優勝に貢献した選手たちが歴代上位に入っている。

 今回紹介するロバート・オーリーは、セルティックスの8連覇時に在籍していた選手たちを除けば歴代トップの優勝7回を誇るレジェンド。マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか/6回)、コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ/5回)をも上回る数のチャンピオンリングを手にしてきた。

 1970年8月25日、アラバマ州アンダルシアで軍人の父と教師の母との間に生まれたオーリーは、生後間もなく両親が離婚し、母の実家がある同州で過ごした。主に兄が対戦するチームに入ってバスケットボールをプレーし、他人と同じくらいの才能があるとは限らないこと、賢くなる必要があると痛感して、アウトサイドからショットを放つ方法を学んでいった。

 オーリーはアンダルシアの高校を経てアラバマ大学へ進学。4年目に平均15.8得点、8.5リバウンド、2.5アシスト、1.5スティール、3.5ブロックとオールラウンドな数字を残し、最後の2年間はラトレル・スプリーウェル(元ニューヨーク・ニックスほか)とともに戦った。

 1992年のドラフト1巡目11位で指名を受け、ヒューストン・ロケッツに入団。アキーム・オラジュワンというリーグ屈指のセンターを擁するチームで、208㎝・109㎏の新人スモールフォワード(SF)は1992-93シーズンに平均10.1得点、5.0リバウンド、2.4アシスト、1.0スティール、1.1ブロックを残してオールルーキーセカンドチーム入りを果たした。

 翌1993-94シーズン。

ロケッツはウェスタン・カンファレンス2位の58勝24敗(勝率70.7%)を残し、プレーオフではウェスタン王者に。NBAファイナルではニューヨーク・ニックスと死闘の末に最終第7戦を制して球団史上初優勝を果たす。

 前年王者は1995年2月に先発パワーフォワード(PF)のオーティス・ソープを絡めたトレードを断行し、ポートランド・トレイルブレイザーズからオラジュワンの大学時代の同僚クライド・ドレクスラーを獲得。ただ、リバウンダーが抜けたことでオラジュワンの負担が増したロケッツは、ウェスト6位の47勝35敗(勝率57.3%)でレギュラーシーズンをフィニッシュした。

 ところが、ロケッツはプレーオフに入るとオラジュワンとドレクスラーが得点を量産。ふたりの周囲を固めるオーリーをはじめ、マリオ・エリーやケニー・スミス、サム・カセールらの働きもあって勝ち上がり、NBAファイナルではオーランド・マジック相手に4戦全勝のスウィープで2連覇を達成した。

 プレーオフ途中にSFからパワーフォワード(PF)へスライドしたオーリーは躍動した。カンファレンス準決勝ではフェニックス・サンズのチャールズ・バークリー(198㎝・114㎏)相手に高さと身体能力、球際のセンスで対抗し、ファイナルではホーレス・グラント(208㎝・111㎏)とのマッチアップを持ち前の機動力とシュート力を駆使して乗りきり、ファイナルではシリーズ平均17.8得点、10.0リバウンド、3.8アシスト、3.0スティール、2.3ブロックに3ポイント成功率37.9%を叩き出し、MVP級の働きで主軸を務め上げた。

 同時に勝負強さも際立った。オーリーはサンアントニオ・スパーズとのカンファレンス決勝初戦で残り6.5秒に逆転勝利へ導くロングレンジジャンパーをヒット。ファイナル第3戦では残り14.1秒に4点リードへ広げる長距離砲をスウィッシュさせ、24歳の若手ながら勝負どころで強さを発揮するクラッチシューターとして名を轟かせた。

 ロケッツは1996年のカンファレンス準決勝でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)の前に4連敗のスウィープ敗退に終わると、同年夏にバークリーを獲得すべく、オーリーやカセールらをサンズへ放出。

迎えた新シーズン、オーリーは翌1997年1月のトレードでレイカーズへ移籍すると、その勝負強さを称える異名"ビッグショット・ロブ"を定着させる働きを見せることになる。

【プレーオフ史に刻まれた数々のクラッチショット】

NBA伝説の名選手:ロバート・オーリー 勝つために自らを犠牲にしてジョーダン、コービーを上回る7度のNBA優勝を果たした「名脇役」
オーリーは2002年のプレーオフでは数々のクラッチショットを決めた photo by Getty Images
 リーグ最高級のビッグマン(シャキール・オニール)と次世代のオールラウンダー(コービー)を擁したレイカーズは、2000年から2002年にかけて3連覇の偉業を成し遂げ、オーリーは両選手の補佐役を見事にこなした。

 2001年ファイナル第3戦で決勝弾となるコーナーからの3ポイントを、2002年カンファレンス1回戦の第3戦終盤には右コーナーからシリーズに決着(当時の1回戦は3戦先勝)をつける3ポイントを成功。

 そして極めつきは2002年のカンファレンス決勝第4戦。負ければサクラメント・キングス相手に1勝3敗の窮地へ陥るピンチを見事に救う、値千金の3ポイントをブザービーターで決めてみせた。

 試合終盤に2点を追っていたレイカーズは、コービーがドライブからフローターを狙うもブラデ・ディバッツに阻まれてミス。オフェンシブ・リバウンドを拾ったシャックのショットも外れ、ディバッツがトップ下へティップアウトしたことで万事休すかと思われたが、そこにいたオーリーが冷静沈着に3ポイントをきれいに放り込んで会場を大興奮へと誘った。

「自分のリズムでショットを放ったんだ。考えることもなかったね。時間内で打てなければ負けてしまう。でも私が時間内に打って決めたらどうなる? 最高じゃないか」

 劇的ショットを決められたディバッツは苛立ちから「あれはまぐれだ」と言い放ったが、オーリーはジョークを交えて「私はこれまでのキャリアでずっと決めてきた。彼は新聞でも読んだほうがいいんじゃないかな」と切り返していた。

 2003年夏にサンアントニオ・スパーズへ加入したオーリーは、MVPビッグマンのティム・ダンカンらと5シーズンをプレーし、2005年と2007年にも優勝。

なかでも前年のNBA王者デトロイト・ピストンズとの2005年ファイナル、2勝2敗で迎えた第5戦では延長終盤に左ウイングから決勝弾となる長距離砲を炸裂させた。

【勝利のために自己犠牲を払ったベストプレーヤー】

NBA伝説の名選手:ロバート・オーリー 勝つために自らを犠牲にしてジョーダン、コービーを上回る7度のNBA優勝を果たした「名脇役」
オーリーは2007年にスパーズで自身7度目の優勝を経験 photo by Getty Images
 2007-08シーズンを最後に引退したオーリーは、1年目を除けば個人賞やスタッツリ―ダーに立ったことは皆無。ただ、ふたつのフォワードポジション、時にはセンターもこなした男は1995-96シーズンにNBA史上初の1シーズン100スティール、100ブロック、フリースロー成功数100本以上をクリアした選手となり、キャリア16シーズンすべてでプレーオフに出場した。通算プレーオフ出場244試合はNBA歴代4位で、ファイナルでも通算3ポイント成功56本で同6位、通算49スティールで同11位と上位にランクインしている。

 そんなオーリーへ、昨年12月に2025年のバスケットボール殿堂入り候補に初ノミネートという朗報が届いた。今年2月に発表された最終候補にこそ落選したが、いつの日か殿堂入りを飾るためのスタートラインに立てたことは間違いない。

 現在オーリーはレイカーズの地元メディア『Spectrum Sports』で古巣のコメンテーターを務め、今年3月末には中国の上海にあるNBAオフィスやNBAストアを訪問して笑顔を振りまいた。

 7度のリーグ制覇を達成し、数々のクラッチショットを沈めてきた"名脇役"は自身のキャリアをこう総括していた。

「私はチームが勝利するために自らを犠牲にしたベストプレーヤーだったと、子どもたちにいつも話している。勝つため、勝者となるべく自分のゲームをどのようにして犠牲にするかを多くの選手たちはわかっていない」

 もともと豪快なダンクを軽々と叩き込めるほどの高い身体能力の持ち主だった男は、チームの要望に応えてプレースタイルを微調整しながら攻守両面で貢献できる選手へ進化してきた。NBAで7度も頂点に立ったのだから、"勝利のために自らを犠牲にしたベストプレーヤー"と名乗ることに、異論を唱える者はいないだろう。

【Profile】ロバート・オーリー(Robert Horry)/1970年8月25日生まれ、アメリカ・アラバマ州出身。

1992年NBAドラフト1巡目11位。
●NBA所属歴:ヒューストン・ロケッツ(1992-93~1995-96)―フェニックス・サンズ(1996-97)―ロサンゼルス・レイカーズ(1996-97途~2002-03)―サンアントニオ・スパーズ(2003-04~2007-08)
●NBA王座7回:1994、1995、2000~2002、2005、2007年

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

編集部おすすめ