ウナギ・サヤカ 東京ドームへの道 vol.1
■前編
ここに一冊の本がある。『井田真木子と女子プロレスの時代』(井田真木子/イースト・プレス)――。
そのやり取りは、紋切り型の一問一答ではない。ある時は、長与が井田に「散歩しましょ」と提案する。人がいなくて、散歩しながら話せるところ――青山墓地にふたりは向かった。
「『誰も信じてくれないよね』と長与がいう。『こんな暗いところでこそこそ話すのが仕事だなんて』。私たちは、警備員のサーチライトに照らされながら必死で言い訳している自分たちを想像し、ひとしきり笑いころげた。喫茶店でのインタビューで針のように尖っていた長与の神経と、自己否定の沼に沈んでいた気分が、この笑いでやや寛ぎ、もちなおす」(『井田真木子と女子プロレスの時代』より抜粋)
ふたりは時に笑い合い、時に鋭く探り合い、魂の交流を繰り広げる。その自由でお洒落なやり取りに、当時のティーンエージャーたちは夢中になったという。
10年前にこの本を読んでから、「いつかこんな連載をやりたい」とずっと思っていた。しかし私は井田真木子のような天才ではないし、今の女子プロレス界に長与千種のようなモンスターもいない。当時とは、時代も違う。
半ば諦めかけていたのだが、私はこの本を、ウナギ・サヤカに見せてみようと思った。物語は、そこから始まる――。
【東京ドームでの自主興行を目指す理由】
ウナギ・サヤカ(以下、ウナギ):何これ! 辞書やん!
――分厚いですよね。799ページです。
ウナギ:すごいな......。
――この本に収録されている、井田真木子さんによる長与千種インタビューが私の憧れなんです。でも、今の時代にこれをやるのは難しいだろうなと思っていたんですけど、ウナギさんが「東京ドームで自主興行をやりたい」と言った時、「あ、この人とならできるかも」と思ったんですよね。
ウナギ:え、うれしい......。
――東京ドームというのは、初の自主興行(2024年1月7日、後楽園ホール)の時、思いつきで?
ウナギ:思いつきっていうか......、みんなに「自主興行をやってほしい」って言われて、後楽園でやってみて、マ、ジ、で、しんどかったんですよ。興行を迎えるまでの期間、めっちゃしんどくて。「こんなこともやらなきゃいけないんだ!」っていうことが、めちゃくちゃあるんです。
――たとえば、どんなことですか?
ウナギ:マッチメイクもそうだし、照明を「誰の時は何色でいきますか?」と決めるのもそうだし、映像も「いつどの絵を出しますか?」とか。リングアナを誰にするとか、レフェリー割とかも考えなきゃいけないし。
――レフェリー割というのは?
ウナギ:誰と誰と誰を呼んで、誰に何試合目を裁いてもらうかとか。そこもけっこう大事だったりするので。他にも紙テープの回収とか、誰が捨てるとか、そういう細かいことまで全部決めなきゃいけなくて。「こんなことも決めなきゃいけないんだ」みたいなことが本当にいっぱいあった。うん、めっちゃ大変でしたね。
――ひとりで全部決めたんですか?
ウナギ:会場は全日本(プロレス)が借りてくれて、ちょっと手伝ってくれる人もいましたけど......、「これ、なんですか?」「これ、誰ですか?」「これ、どうしますか?」って、毎日ずっと聞かれて、「もう待ってくれ!」みたいな。パニックですよね。
それまでは当たり前のようにカードが組まれて、会場に行って、会見もあったりして、試合のことしか考えなくてよかったんですよ。でも自主興行をやるってなったらカロリーが高すぎて、「もうやりたくない」と思いながら当日を迎えました。
――でも大会の最後、「東京ドームでやりたい」と。
ウナギ:迎えたら迎えたで、景色が本当に最高すぎて......。もちろん後楽園もすごい場所なんですけど、「ここで終わりたくないな」ってすごく思って。
――後楽園まで、しんどい思いをしたのに。
ウナギ:うん......、そうですね。「絶対、ここじゃ終われない」っていう気持ちが強かったです。
【「プロレス界に対しても見せる」ために押さえた両国国技館】
――東京ドームって、言うのは誰でもできると思うんですよ。でもウナギさんは実際に、4月26日、両国国技館を押さえたじゃないですか。そこでみんな、「あ、この人、本気なんだ」と感じたと思うんですよね。
ウナギ:後楽園で2回やって(2024年1月7日、9月2日)、正直、後楽園ホールも満員にはできなかったんですけど、やっぱり東京ドームを目指すって言ってるのに、キャパの変わらないところでやっていても、言葉に信憑性がないというか。そうなった時に、本当に覚悟を持って進まなきゃいけないなと思って。どうしても、横浜武道館とか、大田区(総合体育館)って"逃げ"なんですよ。
――どちらも大きい会場ですが、"逃げ"ですか?
ウナギ:なんて言うんだろうな......。横浜武道館とか大田区って、(お客さんを)埋めなくてもそこそこの形にできるんですよ。でも両国は、もろバレるじゃないですか。
――桝席とか、全部見えちゃいますもんね。
ウナギ:はい。だからもう両国しかないなって。両国って、めっちゃ借りるの大変なんです。相撲がない時じゃないと借りられないし、ちゃんとした人じゃないと借りられない。後楽園もそうなんですけど、借りる時にちゃんと敷居があるんです。だから、プロレス界に対しても見せるためには両国しかないなって。
――「プロレス界に対して見せる」というのは、どういうニュアンス?
ウナギ:私は今でも、女子プロレス界はスターダム一強だと思うんですよ。そこに近づいている団体はあるんですけど。そういう中で、やっぱりスターダムをビビらせる存在が出てこないと絶対にいけない。4月27日、スターダムは横アリ(横浜アリーナ)がありますけど、それでも両国ってめちゃくちゃビッグマッチだし、そこにタメ張れるくらいのことを誰かがやらないと。本当に負けられないから。
――いずれ東京ドームでやるなら、負けられない。
ウナギ:はい。それを一番、形として見せられるのが、両国。
【里村明衣子は「この人だったらすべてを懸けてもいい」と思える人】
――4月26日に両国国技館で自主興行やると発表したあと、その前に後楽園ホールでもう一度自主興行をやると聞いて驚きました。しかもワンマッチ興行(2月16日)で、対戦相手は4月29日に引退する里村明衣子という。
ウナギ:私、仙女(センダイガールズプロレスリング)に出させてもらっていて、橋本千紘とか、チーム200キロ(橋本&優宇)とかとやってたじゃないですか。その時、里村さんはまだWWEだったんですけど、「いつか試合したいです」っていうのは、ずっと言ってたんです。でも私みたいなタイプって、みんな嫌だと思うんですよ。
――どうなんだろう......。
ウナギ:たぶん嫌だと思うんです。負けてるくせに偉そうなこと言って、みたいな。一緒にいても私に対してちょっと嫌悪感があるのがわかるし、あんまりしゃべらない。でも、長与千種とか里村さんって、そういうのを出さずに、自分が思っていることや感じたことを対等に話してくれるんです。
――そうなんですね。すごい。
ウナギ:そういうのもあって、めっちゃ闘いたいなと思っていたのに、(WWEから)帰ってきたと思ったら引退会見だった。「うわ、マジかよ!」と思って。会見の時、「やりたい奴は名乗り上げてこい」って言ったじゃないですか。これって、今生きている女子レスラー全員への煽りだと思ったんですよ。この煽りに対して、ウナギ・サヤカとしては一番いい場所で、一番記憶に残るやり方でやらないと、絶対に先頭には立てないなと思ったし。速攻でしたね。
――里村選手が引退発表をしたその日に、後楽園ホールを押さえたと。
ウナギ:「(里村が引退する)4月29日までに、空いてる日を全部教えてください」って。
――ワンマッチ興行にしたのはなぜ?
ウナギ:ワンマッチはどこかでやってみたいなっていう気持ちはあったんですけど、そこは私もみんなと一緒で、機会とかタイミングがなかった。里村明衣子は「この人だったら失敗しても、すべてを懸けてもいい」と思える人だったんですよね。それほどの器だと思ってたし、それほどの覚悟を見せないといけなかった。迷いはまったくなかったです。
【里村とのワンマッチで「怖かった」こと】
――ワンマッチ興行をやることになって、他のレスラーから「私もワンマッチやりたかったのに」と言われたそうですね。
ウナギ:めっちゃ言われました。

――それに対して、「思っていてもやらないのがお前らで、やるのが私」と。痺れました。
ウナギ:集客というものに関して、今、本当にシビアなんです。後楽園ホールで興行をやった時、私が見るのは、南なんですよ。
――南側のオレンジ色のシートですね。
ウナギ:南のオレンジがどこまで埋まってるかって、一番にチェックしちゃう。正直、私もそれまでの興行は1200(人)とかだったし、そこを埋められてないということも含めて、むちゃくちゃ怖かった。
――それでもやっちゃうのが、ウナギ・サヤカという人なんだなと思いました。
ウナギ:いや、むっちゃ怖かったですよ! でも、どこに行っても、ワンマッチのことは会う人、会う人に言われましたね。怖かったのが、私のファンでも里村さんのファンでも女子プロレスのファンでもない人が、会場にめちゃくちゃいたんですよ。
――どうしてですかね?
ウナギ:チケットが全席3900円というのもあったと思うし、プロレスの敷居ってめっちゃ高いけど、「1試合だし、行ってみるか」みたいな。あとは、38年前のワンマッチ(1987年1月14日、後楽園ホールで行われた藤波辰爾vs木村健悟)を観たことがあって、その後はプロレスからだいぶ離れていたけど、38年ぶりにやるんだったら行ってみるか、みたいな人たちがめっちゃいて。もう、だからむちゃくちゃハードルが上がって。
――そんな中で、ゴムパッチン攻撃をやったんですね。超満員の中。
ウナギ:めっちゃ悩みました。里村さんがいろんな人とシングルマッチをやり始めてから、全部PPVを買ったし、観に行けるものは全部観に行きました。「会場で里村明衣子というものを見ておかないと」と思って。
WRESTLE UNIVERSEにも入った。見られるものは全部見て、稲葉ともか、ChiChiとか、里村さんと試合した人に「どうだった?」って連絡して。でもやっぱり、圧倒的な里村明衣子にみんな飲まれるんですよ。だから私はあえて、「絶対ゴムパッチンする!」って決めてました。じゃないと、里村明衣子の土俵でやらされるので。
【里村から感じた愛】
――里村選手と闘ったレスラー皆さんおっしゃるのが、「実際は小柄なのに、リング上だとものすごく大きく見える」と。大きく見えましたか?
ウナギ:うん、やっぱり圧がすごい。殺気立ってるというか。
――殺気、なんですね。
ウナギ:リングに立った時に、「もしかしたらこれ、ちゃんと殺されるかもしれない」と本気で思った人が4人いて。アジャコング、ジャガー横田、彩羽匠、里村明衣子なんですよ。対角に立った時の、あの殺気立った顔......。里村さんとかは、まだわかるんですよ。アジャコングとジャガー横田に関しては、「もうお前らはいいだろう!」って思いません!?
――アハハハハ!
ウナギ:「どうせ強いんだから、もういいよ」って本気で思う。あんなに仲良くて、誕生日プレゼントとかもくれるのに、リングに上がったら人を殺すような目をしてくる。強い人はめっちゃいっぱいいるんですけど、あそこまで怖いと思う人は少ないです。
――ダンプ松本さんが吉田豪さんのインタビュー(『吉田豪の"最狂"全女伝説』白夜書房)で、「試合前、『リングの上で殺しても刑務所に入らないんですよね?』っていつも確認していた」とおっしゃっていたのを思い出します。
ウナギ:こわっ! でもその4人も、殺されるような思いをしてきたんだろうな。
――里村選手と対戦してみて、どうでしたか?
ウナギ:そんなエグく蹴らなくても、ちゃんと食らってるよって......。そこに切り込んでくる力とか、最初に組んだ時からめっちゃ力強くて、ハンパないなと思ったけど、愛を感じましたね。
――どういうところで、愛を感じた?
ウナギ:スコーピオライジング(里村の必殺技)で終わらなくても、たぶん終われたんですよ。デスバレー(ボム)で2回投げられた時点で、もう私は返せるかわからないくらいの状態だった。もう1回デスバレーで投げられたら、たぶん私は負けたんです。でもやっぱり、あそこでスコーピオライジングを出してくれたのは、懐の深さですよね。
フィニッシュ(ホールド)って、あのクラスの人たちは出してくれないんですよ。今回の(引退ロードの)シングルで、スコーピオライジングで終わっていない人もけっこういるんですけど、私にそれを出してくれたのは愛を感じました。
――里村選手のマイクも感動的でしたね。「(引退後も)ウナギの夢を一緒に見たい」って。
ウナギ:私も「言いたいことはここで伝えよう」と思ってたけど、それ以上のもので返してくれた。だから、やっぱり里村明衣子が正解だったんだなって。ワンマッチの対戦相手として、里村明衣子しかいなかった。
(後編>>)
【プロフィール】
■ウナギ・サヤカ
1986年9月2日、大阪府生まれ。2019年1月4日、東京女子プロレス後楽園ホール大会にて「うなぎひまわり」としてデビュー。2020年11月、スターダムに初参戦。コズミック・エンジェルズを結成し、12月、アーティスト・オブ・スターダム王座を戴冠。2021年7月、フューチャー・オブ・スターダム王座を戴冠。2022年10月よりフリーになり、"ギャン期"と称して他団体に参戦。2023年10月、KITSUNE世界王座の初代王者、2024年1月6日、JTO GIRLS王者、1月7日、アイアンマンヘビーメタル級王者となり、三冠王となる。2024年1月、9月、後楽園ホールにて2度の自主興行を開催。168cm、54kg。X:@unapi0902