世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第11回】アリエン・ロッベン(オランダ)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第11回はオランダが生んだ「名ウイング」アリエン・ロッベンを取り上げたい。チェルシーやレアル・マドリードでのプレーも光っていたが、バイエルン移籍後がもっとも輝いた。左利きながら右サイドで自由に動き回る「逆足ウイング」は、彼から始まったと言ってもいい。

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アリエン・ロッベンのドリブルはわかっていても止められなかった...の画像はこちら >>
 ありえないようなプレーで人々を魅了するため、日本の一部ファンには「ありえん」ロッベン、と呼ばれていた。

 オランダが生んだスピードスター、アリエン・ロッベンである。

 公称180cmはおそらくサバを読んでいる。間近で見たが、180cmの筆者よりも明らかに小さい。おそらく175cm前後で、彼が全盛期を迎えた2000年代前半から10年ほどの間のウイングのなかでも、特に恵まれた体躯ではなかった。

 だが、ドリブルの切れ味は天下一品。誰にもマネのできない緩急は相手DFを無力化し、多くのゴールとチャンスを創出した。

「あいつは面倒な相手だったよ。

急に止まったかと思ったら、次の瞬間に動き出している。マーカーの呼吸や間合いを図る術(すべ)は特別だった」

 やたらと口うるさく、滅多に人を褒めないガリー・ネヴィル(元マンチェスター・ユナイテッドDF)が高く評価するのだから、ロッベンはまごうことなき本物だ。

さて、実はこのふたり、チームメイトになりかけていた。2004年、マンチェスター・Uのサー・アレックス・ファーガソン監督がロッベンを気に入り、獲得に乗り出した。ただし、提示額に問題があった。750万ポンド(当時のレートで約10億1250万円)。ロッベンが所属していたPSVは「安すぎる。バカにするな」と、ただちに拒絶したと伝えられている。

【ロッベンなしに連覇はなかった】

 この間に隙をついたのが、ライバルのチェルシーである。PSVに1800万ポンド(約24億3000万円)を提示し、いとも簡単に交渉をまとめた。

 それにしても......と、つくづく思う。サー・アレックスは衰えが見え始めたライアン・ギグスの後釜に、当時は左ウイングだったロッベンを据えようとしていた。クリスティアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニー、ポール・スコールズとの共演を、一度でいいから見たかった。

 20年ほど前のフットボールは現在ほどポジションレスではなく、偽サイドバックも偽9番も存在しない。センターフォワードがサイドに流れたり、中盤に降りたりするケースは稀(まれ)で、ウイングはチャンスメイカーだった。

 チェルシーに新天地を求めたロッベンも左ウイングにほぼ固定され、縦の突破が基本的なタスクだった。得点は絶対的エースのディディエ・ドログバ、MFながらプレミアリーグ通算177ゴールのフランク・ランパードに託されていた。

 18試合/7得点・9アシスト(リーグ2位)、28試合/6得点・3アシスト、21試合/2得点・4アシスト......。右の中足骨骨折、精巣腫瘍(早期発見で完治)などが影響したとはいえ、チェルシーにおける3シーズンのデータは物足りない。

 特に2得点・4アシストに終わった2006-07シーズンは、ロッベンも悔いが残っているだろう。オーナーのロマン・アブラモヴィッチが独断専行し、ACミランからアンドリー・シェフチェンコを獲得。フォーメーションが4-3-3から4-4-2に代わり、2トップはドログバとシェフチェンコが基本だった。

 4-3-3はプランBになり、左ウイングを定位置としていたロッベンの存在感が薄れていく。ただし、ジョゼ・モウリーニョは次のように語っていた。

「データに現れない貢献というものがある。

ロッベンがいなければ、2004-05シーズンからの連覇は難しかった」

 前述のネヴィルやモウリーニョのコメントが、ロッベンのハイレベルを物語っている。

【名将ペップもロッベンを絶賛】

 ロッベンの才能は、レアル・マドリードを経てバイエルン・ミュンヘンに移籍した2009-10シーズンに真の開花を迎えた。

 左利きのウイングが右サイドの大外に張って足もとにボールを置き、緩急自在のドリブルで仕掛けていく。逆足ウイングのプロトタイプ──と言って差し支えない。

 もちろんチェルシー同様、バイエルンにも超一流のストライカーは存在した。マリオ・ゴメス、マリオ・マンジュキッチ、ロベルト・レヴァンドフスキなど、いずれ劣らぬ名うてのフィニッシャーが活躍していた。したがってロッベンの役割が、より得点に特化したわけではない。

 だが、中央エリアでプレーする機会が増え、おのずと得点に絡めるようになっていった。代名詞はカットイン。右サイドから鋭く切り返してペナルティエリアに平行するようにドリブル突破し、鮮やかな曲線を描く左足のシュートが、何度となくゴールネットに吸い込まれていく。

 バイエルンに所属した10シーズンで99得点。2014-15シーズンはキャリアハイの17得点。ロッベンとフランク・リベリの両ウイングは「ロッベリー」と呼ばれ、アタッキング・フットボールの楽しさを満天下にアピールした。

 2013-14シーズンから3年間、バイエルンの監督を務めたジョゼップ・グアルディオラも、ロッベンの突破力とゴールセンスを活用したひとりである。

「カットインからシュートに至るまでの流れは秀逸で、アドバイスは必要なかった。歴史に残るウイングと断言できる」

 世界的な名将がロッベンを絶賛した。

「グアルディオラ監督と出会ったのは、私が30歳の時だった。ミーティングなどで、状況判断の重要性をあらためて痛感した。細かい戦術論とやらは一度も聞いたことがない。私にとって最高の監督はグアルディオラだよ」

 ふたりは今でも良好な関係が続いている。モウリーニョとグアルディオラが高く評価するのだから、やはりロッベンは飛びきりのウイングだ。

【ロッベンの後継者はいつ現れる?】

 キャリアを通じ、ロッベンは負傷に悩まされた。緩急の変化を持ち味とする選手の宿命で、ハムストリング、ひざ、足首に慢性的な痛みを抱えていた。2016-17シーズンの13得点を最後に、5得点、4得点......バイエルンでの晩年は、サポーターの期待に応えたとは言いがたい。

 ただ、出場すればワールドクラスのカットインを披露し、「さすがロッベン」と周囲をうならせたこともあった。

「相手がカットインを予想しているのは、雰囲気でわかる。それなら、俺が上回ればいいだけの話だろ? 隙のないDFなんて、この世にはいないさ」

 わかっていても止められないドリブル突破は、ロッベンの自由で強気な発想にもとづくものでもあった。

 得点力に秀でたウイングは、近代フットボールの最重要ポジションと言っても過言ではない。ロッベンの後輩(オランダ人)ではコーディ・ガクポ(リバプール)、ジェレミー・フリンポン(レバークーゼン)だろうか。古巣PSVから挙げるのなら、ヨハン・バカヨコか。ただ彼らはまだ、いずれも未知数で、一つひとつのプレーにすごみが感じられない。

 ロッベンの後継者は現れるのだろうか。しばらくの間は、各所に残された彼のプレー映像を堪能するか。今宵の肴(さかな)は、オランダが生んだ名ウイングのカットインだ。

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