【40歳でブレイク】
遅咲きの選手と言って、差し支えないだろう。
岩本俊介(94期・千葉)は昨年5月の日本選手権競輪(通称、ダービー)で40歳にして初めてGⅠに格付けされるレースの決勝へ進み、2着に。そして12月にはこちらも初めて、最高峰のレースであるKEIRINグランプリへの出場を果たした。
「赤いレーサーパンツを履いたからと言って、自分のなかで何かが変わるわけではありません。ただ初めて競輪を見る方からすれば、強い選手と見ていただけると思うので、期待とプレッシャーは感じますし、そこからくる不安ゆえに硬くなることもあります。
一方で、レースを終えて家に帰ったら、またあの緊張感のなかで走りたいという気持ちも湧いてくる。不安な気持ちと、頑張ろうという気持ちが行ったり来たりしていますね」
穏やかに、控えめに、そして丁寧に言葉を選びながら話す。「戦いに向いている性格ではない」というのがレーサー岩本俊介の自己評価だ。ただ40歳にして初めて競輪界の頂点を争う舞台に立ったことについて問うと、きっぱりと積み上げてきたものへの自信を口にする。
「人それぞれの時間が流れるなか、僕の場合は"よっこらしょ"という感じに40歳でようやく成果が出たというだけのことです。(昨年の)ダービーの準決勝も、気がついたらここにいたという感覚でしたし、決勝も初めて自分の確信で乗れたと思いました。運がよかったとか、たまたまということはなく、確実にやってきたことの成果だと思います」
2024年の飛躍は費やした時間と努力による必然だった。

【焦らず、長いスパンで考える】
昨年に大きく飛躍した岩本だが、2008年のデビューから確実に勝利を積み上げ、2009年からはGⅠのレースに出場。そこからGⅠ決勝の舞台にはなかなか手が届かずにいたが、安定した戦いぶりは早くから評価されていた。その過程で、レーサーとしてひとつの結論にたどり着いたという。
「そもそもGⅠ云々以前に、通常開催のレースでもうまく走れないほどの不調になったことが何度もあります。これはどんなスポーツでも起こり得るのかもしれませんが、練習もトレーニングも順調で、レースの組み立ても悪くないのに結果が出ないことってあるんです。
そういうときは意固地になってしまいがちですが、何かひとつのことで状況を改善しようと考えるのではなく、心を柔らかく持って、周りの声にも耳を傾けながら、焦らず時間をかけて修正していくしかない。間違ったことさえしていなければ、ケガが治るのと同じで、時間が経つにつれて、少しずつまた噛み合っていくものなんです」
最もやってはいけないのは「他人と比べることだ」と岩本は言葉を続ける。
「自分も30代前半で調子を落としたとき、練習が足りないのではないかと不安になり、無茶なトレーニングをしたこともあります。ただそれをやると体を壊しますし、精神的にも追い込まれていきます。よくあるのが結果の出ている、ほかの選手がやっている負荷の高いトレーニングを部分的にマネすること。
でも、そこだけ切り取っても、そこに至るまでの積み上げや継続がなければ結果にはつながりません。ですので、今、若い選手には"自分を大切にすること"、"継続していくこと"を伝えたいと思っているんです」
短期間で強くなることはありえないし、不調から脱するのも短い期間で考えると無理が生じる。何事も長いスパンで考えること。それが何度も失敗しながら至った境地だ。そして岩本自身、時間をかけて試行錯誤した結果、今、自分が取り組むべきトレーニングがわかり、実践できているからこそ、昨年のブレイクがあったと考えている。

【人として成長することで自転車が進む】
岩本はもともと陸上短距離の選手。学生時代は大学3年、4年と関東インカレ2部100mを連覇したキャリアがあり、日本選手権に出場したこともある。「陸上のスプリント力、瞬発力が自転車につながっている部分はあると思う」とは認めつつ、競輪としての自分の強みはそこだけにあるとは考えていない。2024年には通算400勝を達成したが、その安定した強さの秘密はどこにあるのか。それを語る言葉からは岩本らしさを垣間見ることができる。
「自分の武器はいろんな要素が関わっていて、一言では言いづらいですね。今は中村浩士さん(79期・千葉)とともに練習をするようになり結果を残せていますが、そのタイミングもよかったと思いますし、そうした縁から体が変化し、そこに精神面もついてきた感覚です。
ただそれだけでなく、これまで影響を受けた人は多くいて、そうしたことが積み重なって今の自分があると思っています。結婚し、妻やそのご両親から受けた影響で、自分がよくなっている部分があるとも思っているんです」
心がけてきたのは練習に積極的であること、そして自分に正直でいることのふたつ。強くなるために必要な取り組みの取捨選択は、シビアにやってきた自負がある。ただ自分の強みについて、彼の口から肉体的な強化や技術の話はあまり出てこない。
「選手としてというより、人として成長することが大切だと思います。僕は会社勤めをした経験がなく、特殊な世界にいますが、期待を背負って緊張する場面のなかで負ける悔しさ、そして勝ったときに驕り高ぶった気持ちなど、いろんな感情を経験しています。
人間力こそ競輪の競技力と岩本は達観したようだ。淡々と話す姿は長年の修行を積んできた高僧を彷彿とさせる。競輪関係者から"人格者"と評される理由はここにあるのだろう。

【目指すはGⅠ制覇、そして最後の日までやりきること】
ずっと引きずっている思いがある。学生時代に情熱を燃やした陸上競技では生活を支える職業にできなかったため、未練を残したまま競技を引退していた。
「残念ですが、自分にはそれだけの能力がなかったんです。最後に出た試合のあとの喪失感は今でも覚えています。すべての情熱をそこに向けていましたからね。陸上を失い、抜け殻のようになりましたが、そこから競輪に目を向け、陸上に注いでいたエネルギーをぶつけたんです。
ただ、今でも陸上選手として走っている夢を見ますし、オリンピックなどで活躍する選手を見て、自分はあのようになれなかったんだと寂しく思うこともあります。その寂しさが原動力になっていますし、それがあるから今も競輪を続けられているのだと思います」
しかし、近年、心境に変化が生まれた。「陸上がなくなったから、次は競輪というのは、やはり違うと自分自身が心から思うようになったんでしょうね。
その気持ちを確かなものとするために、今はGⅠでの優勝を望んでいる。直近では6月17日(火)~22日(日)の第76回高松宮記念杯競輪、その先では8月12日(火)~17日(日)の第68回オールスター競輪がターゲットとなる。
「妻がタイトルを欲しがっているんです。それに僕もGⅠを獲れば自分のなかで、陸上をいい思い出として変えられると思っています。その節目を作れるように早くGⅠで勝ちたいです」
競輪選手としての最後の日まで仕事をやりきり、全うすること。それも目標だ。
「寂しい話ですが、いつか引退が来る。どういう終わり方が来るにせよ、しっかりやりきって終えたい。そこも長いスパンで考えています」
座右の銘は『一途』。ただひたすらに目の前のことに全力で取り組んできた。ここからも同じスタンスで競輪に向き合い、人として成長しながら、新たな境地を切り開くつもりだ。
【Profile】
岩本俊介(いわもと・しゅんすけ)
1984年4月13日生まれ、千葉県出身。中学ではバスケットボールに励み、高校から陸上競技を始める。100mの選手として活躍し、大学3年・4年では関東インカレ2部で連覇を達成する。大学卒業と同時に競輪学校に入学し、2008年にデビュー。翌年にはGⅠに出場するなど、すぐに頭角を表す。その後も安定した成績を残し、2024年の日本選手権競輪でGⅠ初の決勝に進出。年末のKEIRINグランプリにも初出場を果たすとともに、S級S班に昇班した。