世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第21回】フェルナンド・イエロ(スペイン)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第21回は「銀河系軍団」や「無敵艦隊」を率いた偉大なキャプテン、フェルナンド・イエロを紹介する。ディフェンダーや守備的MFというポジションながら、レアル・マドリードで126得点、スペイン代表で29得点と、突出したゴール嗅覚を兼ね備えていたことも見逃せない。
※ ※ ※ ※ ※
プレミアリーグは世界一過酷だ。肉体の削り合いに多くの選手が悲鳴を上げ、三十路を迎えた頃にはボロボロになっている。したがって、各クラブはメンバー構成の軸に若手・中堅を据え、ベテランは少数派だ。トップチームに30代がひとりもいないチェルシーは顕著な例である。
20年ほど前も同様だった。36歳でプレミアリーグ初挑戦は無謀とされ、その男の輝かしいキャリアを踏まえると、なおさらだ。
フェルナンド・イエロである。レアル・マドリードでキャプテンまで務めた男がボルトン・ワンダラーズにやって来たのは2004‐05シーズン、彼が36歳の時だった。
当時のプレミアリーグは、ジョゼ・モウリーニョが新監督に就任したチェルシーが刺激になり、マンチェスター・ユナイテッドとアーセナルを含めた三強が激しく覇権を競っていた。
ただ、彼らは大ベテランに興味を示さない。イエロに接触したのは中堅クラブのボルトンだけであり、メディアも大きくは取り扱わなかった。
結果は16勝10分12敗・勝ち点58のリーグ6位。アーセナルに1勝1分、ホームでリバプールに勝利を収め、チェルシーとマンチェスター・Uに引き分けるなど、ボルトンはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)出場権獲得という望外の好結果にたどり着いている。
FWケヴィン・デイヴィスやMFケヴィン・ノーランなど曲者ぞろいのチームとはいえ、守備的MFとして異彩を放ったイエロの存在こそが、ボルトン躍進の最大要因だった。特にカバーリングは絶妙で、アーセナルの名伯楽アーセン・ベンゲルも「チャンスと思った瞬間に、あの男が現れる」と高く評価していた。
シーズン終了後、ボルトン上層部は当然のように契約延長を打診した。しかし、イエロはすでに引退を決意していた。UEFAカップ出場権という置き土産を残し、彼は静かにピッチを去っていった。
【イエロは黙っちゃいなかった】
イエロを語るうえで、レアル・マドリード時代はスルーできない。1989年から14年間、ある時は守備的MF、またある時はセンターバックとして尽力した。ビセンテ・デル・ボスケ、ホルヘ・バルダーノ、ファビオ・カペッロ、ユップ・ハインケス、フース・ヒディンクなど、この時代に監督を務めた名将たちはこぞって、イエロに絶大な信頼を置いていた。
戦略・戦術に意見することもあったとはいえ、すべてレアル・マドリードに対する愛情があふれたからだ。
ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、そしてロナウド......。フロレンティーノ・ペレス会長は、次々とアタッカーを買い漁る。彼らの個性が華麗なハーモニーを奏でれば問題ないが、揃いも揃って守備意識が欠如していた。相手ボールになっても追わない。逆サイドで試合が展開されると休む。
当然、守備陣の負担が重くなる。そうなれば、イエロも黙っちゃいない。フィーゴに、ジダンに、ロナウドに喝を入れる。スーパースターばかりの構成に委縮する若手をリードする。イバン・エルゲラ、クロドー・マケレレとともに前がかりすぎたロス・ガラクティコスのバランスを維持していたのが、イエロだった。
【スペイン代表歴代5位の得点数】
ペレス体制が発足した2000年から、レアル・マドリードは3シーズンで2回のラ・リーガ優勝を飾っている。数字の上では成功の部類に入るだろう。
だが、ライバルを圧倒したことは一度もない。2000‐01シーズンはデポルティボ・ラコルーニャに7ポイント、02‐03シーズンはレアル・ソシエダにわずか2ポイント差の栄光だった。
「もう少し守りを強化すべきではないか」
イエロが上層部に進言したのは、レアル・マドリードを強くしたいという一心からだ。ところが、自らの構想を否定されたペレス会長は怒り、34歳という年齢を理由にイエロとの契約を更新しなかった。
翌年、マケレレも守備軽視の風潮に嫌気が差し、チェルシーに新天地を求めた。以降、レアル・マドリードは失速。ラ・リーガのタイトルを取り戻すまで4年を要している。彼らにとっては長い空白だった。
187cm、84kgという恵まれた体躯を駆使して対戦相手を圧倒したイエロは、卓越した状況判に基づくポジショニングも秀逸だった。空中戦とセットプレーも出色で、21ゴールを挙げた1991-92シーズンは得点ランキング2位。スペイン代表でもダビド・ビジャ、ラウール・ゴンサレス、フェルナンド・トーレス、ダビド・シルバに続く歴代5位の29ゴールを記録した。
しかし、彼の強さをもってしても、スペイン代表を高みに導けなかった。1996年のユーロはベスト8止まり、2年後のフランスワールドカップは「無敵艦隊」と称され優勝候補の一角に推されながらグループリーグで敗退した。さらに2000年のユーロもベスト8で散っている。
2002年の日韓ワールドカップは悔恨以外の何物でもない。準々決勝の韓国戦だ。ルベン・バラハのゴールがなぜか取り消された。ホアキン・サンチェスのクロスはなぜかゴールラインを割っていたと判定された。イエロとスペイン代表は微妙なジャッジに泣かされ、最終的にPK戦で敗れ去っている。
のちにスペイン紙『Mundo Deportivo』が「スペインは強盗の被害者」「ワールドカップ史上最悪の判定」と声高に否定したように、審判団のジャッジは限りなく怪しかった。
【引退後のインパクトは弱い】
2007年、スペインサッカー協会のディレクターに就任したイエロは、2008年のユーロ、2010年の南アフリカワールドカップの優勝に尽力。2018年のロシアワールドカップでは二重契約で解任されたフレン・ロペテギのあとを受け、開幕2日前にスペイン代表の監督を引き受けている。
銀河系軍団では事実上の総帥であり、スペイン代表でも必要不可欠の存在だった。その割に、クラブレベルではマラガの監督やレ・マドリードの副官など、現役引退後のキャリアはインパクトが弱い。
しかし2024年6月4日、イエロはアル・ナスル(サウジアラビア)のスポーツディレクターに就任した。クリスティアーノ・ロナウド、サディオ・マネに続く大物を、今夏の移籍市場で獲得するのだろうか。レアル・マドリードから引き抜くのなら、シャビ・アロンソ新監督の構想から外れる公算大のヴィニシウス・ジュニオールか、あるいはロドリゴか。
近年、アル・ナスルの動きはヨーロッパ各クラブの補強プランに少なからぬ影響を及ぼしている。イエロは何かを狙っている──。