東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第12回)
番外編:小笠原資暁ユース監督インタビュー(前編)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫る同連載、今回からは3回にわたってユースチームを率いる小笠原資暁監督のインタビューをお送りする――。
小笠原資暁(以下、小笠原)2007年にヴェルディに履歴書を送って、スクールのアルバイトコーチをやらせてもらったのが最初です。そこからアカデミーに移って、ジュニアユース、ユース、ベレーザでそれぞれコーチをやって、その後、ジュニアユースの監督をやって、今ユース(の監督)という感じです。
――選手としてのキャリアは?
小笠原 高校まで、です。長野県の伊那北高校っていう、田舎の高校でした。出身は(東京都の)八王子なんですけど、親がちょっと変わっていて、突然、長野に引っ越したので......。
――いつのことですか。
小笠原 中学1年の夏休みでした。ほぼ自給自足に近い暮らしがしたい、と(親が)言い出して、築150年くらいの家に、自分たちでリフォームして住んでいました。薪風呂に薪ストーブ、みたいな(笑)。
――その間、サッカーはやっていたのですか。
小笠原 引っ越すまではやっていました。
――そこから、どんな経緯でヴェルディへ履歴書を送ることになるのですか。
小笠原 高校卒業後、神奈川の社会人チームでサッカーをやりながら、アルバイトをしていました。いずれはプロサッカー選手になりたかったんです、ずっと。ただ、サッカーがうまくなっている実感もなくて、どうやったらうまくなるのかなって考えたときに、「コーチの勉強をしたら、うまくなるかもな」と思って、JFA(日本サッカー協会)に「C級ライセンスを取りたいんですけど」って電話をしたんです。
そうしたら「誰か推薦してくれる人はいますか?」と言うので、「いない」と答えたら、「それでは受けられません」と。でも、僕は(その条件に)違和感があったので、ちょっとごねたんですよ。「でも、コーチになりたい人のためにライセンスがあるのに、なりたい人が受けられないっていうのは、おかしくないですか」って。
――なるほど、一理あります。
小笠原 すると、「こちらで紹介する人に会ってください」って言われて、その人に会って、お話しして、推薦をもらうことができて、C級(ライセンス取得のための講習会)を受けられたんです。
――実際に講習を受けてみて、どうでしたか。
小笠原 僕はそれまで、選手としてプロの指導者に教えてもらったことがなかったので、どちらかと言うと、「サッカーなんて選手がやるもので、コーチなんか関係ないでしょ」っていうスタンスでした。ところが当時、木村浩吉さん(※現役時代はJSLの日産自動車でプレー。引退後、横浜マリノスのコーチを務め、育成・普及部門の仕事にも従事。その後、横浜F・マリノスの監督も務めた)がC級のインストラクターをされていて、その指導を見て「あ、すごいな」って、雷に打たれたような感じになって。「これなら指導者で選手が変わるよな」と感じて、「これは面白い。やってみたいな」と思いました。
――木村さんの指導は、どんなところが刺さったのですか。
小笠原 僕ら受講者同士で指導実践をやるんですけど、たまに木村さんがデモンストレーションをやってくれるのを見たら、もう指導が的確で、それをやったらいいんだっていうのが誰でもわかる。これは、すごいなって。
木村さんの頭のなかでサッカーが整理されていて、伝えていく順番も的確だし、その場で出た現象を正確にジャッジして、「今のはいい」「今のはよくない」と伝えられる。だから、選手は何をすればいいかがわかりやすい。自分で選手役をやっていて、頭のなかがクリアになっていくのがわかりました。
――それがきっかけで指導者になったわけですね。
小笠原 C級の講習会が終わって、最後にインストラクターと話す機会があったときに、木村さんが「おまえ、指導者をやったほうがいいよ」って言ってくれたんです。自分がすごいと思っている人に背中を押してもらって、「やってみよう」と思いました。
でもその前に、イングランドへ行きました。仕事を始めたら(行くのは)なかなか難しいだろうなと思ったので......。
――今度は突然、イングランドですか。
小笠原 向こうで1年間、セミプロみたいなチームでプレーしながら、FA(イングランドフットボール協会)のインターナショナルコーチングライセンスを取りました。
その後、日本に帰ってきて、いろんなクラブに履歴書を送ったら、ヴェルディが話を聞いてくれることになって、それで入れてもらったっていうのが経緯です。
――プロ選手になりたかったのに、その夢はすぐにあきらめられたのですか。
小笠原 それは、僕も結構不思議でした。もっと挫折感があるんだろうなと思ったんですけどね。でも、すごく面白そうなものに出会えたので、スッと移行できた感じはします。
それに、プロ選手になるのは難しいだろうなって、やはりどこかで常々感じてはいたので、逆にやりたいことが見つかったことのほうが大きかった気がします。
(つづく)