前編:NBA/FIBA公認代理人・鴨志田聡インタビュー(全3回)
選手の代わりにチームと交渉を行ない、契約、移籍交渉をまとめる役割を担う代理人(エージェント)。来季で10年目を迎える男子プロバスケットボールリーグ・Bリーグでは選手の移籍が目まぐるしく行なわれる傾向が年々強まるなか、その存在や役割に注目が集まる機会が増えている。
では、実際のところ、代理人の業務とはどのようなものなのだろうか。
Bリーグ開幕前から代理人として活動し、日本人初の1億円プレーヤーとなった富樫勇樹(千葉ジェッツ)をクライアントに持つ鴨志田聡氏に、その仕事内容、契約交渉のプロセスなどについてうかがかった。
【代理人の役割とは?】
表舞台に出ることはない。だが、プロアスリートの正当な評価と価値を高めるうえで、代理人が果たす役割は大きなものがある。
そもそも代理人には、どのようにしたらなれるのか。Bリーグの場合、日本バスケットボール協会(JBA)に年間3万3000円(税込)を支払い、登録手続きを行なえば、JBA登録代理人としての活動が可能となる。特別な資格を取得する必要はないが、弁護士や公認会計士の資格を持つ者もいれば、元選手、選手の家族や友人が務める場合もある。
2022年までは国際移籍(主に外国籍選手)の契約交渉にあたる代理人は登録が必要だったが、日本人選手が代理人をつけるケースが増えたことで、2023年1月からは国内の契約交渉においてもエージェントの登録が義務づけられるようになった。有効期間は1年間(4月1日~3月31日)で毎年更新が必要となる。
そうした流れのなか、Bリーグ誕生前から代理人として活動している鴨志田聡氏に、まずは基本的な業務について説明してもらった。
「私は現在、日本人では19人の選手・コーチ、8人の外国籍選手・コーチを担当させていただいています。
大前提は、いつでも意見を言ってもらえるような人間関係を選手と築くことです。そのうえで主な役割は、その選手の要望に合ったチームに売り込んだり、契約交渉を行なうことです。
Bリーグの場合、シーズン中の1月1日から次シーズンの契約交渉が可能となるので(他チームとの交渉は、現所属チームの了承が必要)、シーズン中からいろいろと動いていきます。最近では複数年契約も増えていますが、多くの場合、1年契約が基本なので、望むような環境を見出すには、シーズンが終わってから動き出すのではタイミング的に遅いからです。
そのため、各チームの来季の編成が始まる前に自分の担当選手がその俎上に上がるよう、営業をしていきます。当然、チーム編成の責任者であるゼネラルマネジャー(GM)や球団社長とできるだけ多くの信頼関係を築くこと、どのようなチームカラーでどのようなバスケットボールを目指しているのかを読み取る眼力も、代理人には必要になってきます。
選手の代理人ではありますが、選手の要望を一方的にチーム側に伝えるわけではありません。選手と話をする前にチーム側の評価をうかがい、選手側が考えていることなどの情報共有をして、交渉を進めていきます。時には選手の耳に痛いことも、そのまま伝えます」
【FIBAの規則に準じる代理人の報酬】
晴れて契約が締結された場合、代理人の報酬(フィー)は基本契約額の最大10%までを選手側から支払われることになっている。これはFIBA(国際バスケットボール連盟)のルールに基づいたもので、BリーグはFIBAに準じたリーグであるため、その数字となる。ただし、事情によってエージェント報酬の割合は変わってくる。
鴨志田氏はBリーグ誕生前、bjリーグとJBL(2013年からNBL)というふたつのトップリーグが存在していた2009年から代理人を務めているが、主に関わっていたbjリーグの選手サラリーは決して高いものではなかった。そのため、選手が不利益を被らない条件でやり取りしていたという。
「bjリーグ時代に担当していた選手のサラリーは、外国籍選手であっても年間1000万円未満、なかにはその半分に満たない場合もありました。そのような状況で10%のフィーをいただいてしまうと選手の生活が成り立たなくなってしまう。
その流れもあり、私の場合は現在も同じ基準で、日本人選手・コーチと話を進めてきております。
ちなみにFIBA管轄ではないNBAは、サラリーの母数がどんどん膨らんでいる状況もあり、現在は2~4%の報酬設定がNBA選手協会によってされております」
外国籍選手・コーチを直接的に担当する場合は10%を基準にしているが、海外の代理人から依頼されて日本のチームとの交渉を請け負う場合は海外の代理人と折半、つまり5%ずつ受け取るケースが多い。
【代理人になるきっかけ】
中学時代にバスケットボールに魅了された鴨志田氏は、もともと有料BS放送のNBA解説、専門メディアに寄稿するライターとしての活動を軸に、バスケットボールに関わる他の業務も請け負い、生計を立てていた。そのなかで、bjリーグの東京アパッチ(2005年~2011年)の広報業務を委託されたことが、代理人になるきっかけだった。
「東京アパッチの初代ヘッドコーチはコービー・ブライアント(元NBAロサンゼルス・レイカーズのスーパースター)の父・ジョーが務めていたのですが、広報の業務以外にも彼からチームの運営について、アドバイスを受けたりしていました。また、当時はシーズンオフにプロのバスケットボール選手がトレーニングする場所が国内では乏しい状況だったため、アメリカに連れていったりしていたのですが、向こうに行くといい選手がたくさんいるじゃないですか。bjリーグはオン・ザ・コートフリー(同時出場できる外国籍選手の制限なし)でしたので、もっと日本のバスケットのレベルを上げるためにも、いい選手を連れてこられるんじゃないかと感じ、最初は外国籍選手を連れてくる仕事を始めました」
当時、代理人は登録制ではなかったため、明確に身分が確立されているわけではなかった。そこで、鴨志田氏は自身の信頼を得るため、FIBAの本部があるスイスに足を運び、業務にまつわる基本知識を中心とした試験を受け、2009年にFIBAのエージェントライセンスを取得。NBA以外の世界各国で活動できる資格を得た。
「最初のほうは、海外にいるエージェントとパートナーシップを組み、向こうが契約している外国籍選手を日本のチームに営業する代理店のような形で活動していました。当時はまだスマートフォンやSNSもなかったので、チーム側から『選手の映像を見たい』と言われれば、プレー集を収めたDVDを国際便で送ってもらい、こちらでコピーしてチームに配っていました。
今はスマホひとつ持っていれば済みますが、当時は選手の情報を得る手段(特に動画)が少なかったので、外国籍の契約候補選手をリスト化してそれぞれの映像をすぐに見られるようにするだけでも、国内チームからのニーズがありました」
【富樫勇樹との出会い】
そうした経験を積みながら、日本人選手との関係を切り開いていく。大きな分岐点となったのは、2014年夏に富樫勇樹のNBAサマーリーグ挑戦をサポートしたことだった。
富樫はアメリカの高校を卒業後、bjリーグ・秋田ノーザンハピネッツでプレーしていたが、鴨志田氏は以前からその潜在能力を高く評価し、NBAに挑戦できる可能性を見出していた。そこで交流のあったNBAダラス・マーベリックスのアシスタントコーチに、富樫のトレーニングキャンプへの参加を目標に、同チームのスカウトが富樫の練習視察に来ることを取りつけた段階で、初めて富樫に話を持ちかけたという。鴨志田氏にとって、初めての日本人選手のクライアントとなった。
富樫はサマーリーグで4試合に出場。うち1試合で12得点をマークした活躍は古くからのバスケファンなら多くの人が知るところだが、マーベリックスは富樫のプレーを評価。Dリーグ(現在のGリーグのようなマイナーリーグ)でのプレーを前提に、チームが保有権を確保するためにNBA契約を結ぶ運びとなった。
「今でいう2Way契約のような意味合いのある本契約で、その契約を締結するタイミングで私自身がNBAのエージェント・ライセンスを取得しました。もっとも当時のNBAライセンスは紹介制で、NBAで働いている人や代理人など知り合いの了承を得られれば取得できました。
自分はNBA公認エージェント・ライセンスを取得した初めての日本人です。ただ、その時以来、NBAチームを相手にした交渉案件はありませんけど(笑)」
Dリーグで1シーズンを過ごしたのち、富樫は2015-16シーズンに千葉ジェッツと契約。
「僕自身は日本のバスケットボール界がよりよい方向で発展していけるよう貢献できればという思いで、仕事をしています」
そうした鴨志田氏の思いは、富樫の活躍によって一つの形として実現したのである。
つづく