Netflixシリーズ「ファイナルドラフト」大久保嘉人インタビュー 後編(全3回)
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2005年1月、大久保嘉人はスペイン、ラ・リーガの歴史にその名を刻んでいる。当時、抜群の強さを誇ったデポルティーボ・ラ・コルーニャを敵に回し、スペインデビュー戦で暴れた。
「立ち上がりはボールに触れる機会もなかったし、静かだったかもしれん。少しナーバスになっていたと思う。それが相手に足を蹴られて目が覚めた。こんなんじゃダメだって」
大久保はそう振り返ったが、試合序盤、敵のスパイクをひざに食らっている。東洋人に翻弄され、プライドを傷つけられた相手からの"返礼"だった。ポイントで肉を抉られ、骨が見えた。即座にドクターからストップをかけられたが、大久保自身は手で丸を作って「大丈夫」と遮った。ホチキスで皮と皮を結び合わせ、一時的に肉が見えないようにした。
そして大久保は見事にアシストを決め、さらには小さな体で勇躍してヘディングでゴールも叩き込んだ。
「ケガをして力が抜けたのかもしれない。(ゴールにつながった)あんなパスは初めての感覚だったけど、これはまたチャンスくると思っとって。FWはそういう日があるけん。
まるで、漫画の主人公のようなゴールだった。ホッチキスで皮を結び、夢で見たゴールを信じ、ネットを揺らす。追い込まれたとき、彼はやたら強かった。
大久保は約20年間のプロサッカー選手人生を通じ、その偏屈さを貫いた。 2021年シーズンを最後に、現役引退を決めたときも同じだった。
「俺はずっと批判されてきた選手で。セレッソ(大阪)に帰ってきたときも、いろいろ言われた。前の年に1点も取っていなかったし、しかもJ2で。そこで(J1の舞台で)6得点とって見返せた。『ボールが来れば(ゴールを)取れる』ってイメージがみんなの頭のなかに入った。それなら、(引退は)今かなって思ったね。
その引退から4年、久しぶりのインタビューではNetflixシリーズ「ファイナルドラフト」の出演について訊くことになった。現役時代の風景はどう甦るのか。全3回のインタビュー、第3回は現役引退からの4年間と、サッカー選手だった時代を振り返ってもらった。
【絶対にプロサッカー選手にならないといけない】
――4年ぶりのインタビュー、初めてのインタビューが20年前なので、さすがに変わりましたね。
「それは変わるやろ(笑)」
――今のメンタリティや知識で、スペインのラ・リーガに挑戦できていたら、とは思いませんか?
「それはどうかな、あれはあれ、かもしれん。20歳では、今のメンタリティにはならないし(笑)」
――マジョルカでのデビュー戦、シーズン終盤に救世主になった試合、そしてベスト16に勝ち進んだ2010年南アフリカワールドカップが、「世界」と戦う大久保嘉人を描いてきて、いちばんエモーショナルな風景でした。それに近い瞬間と引退後に出会うことはできましたか?
「出会っていないね。現役時代と一緒、というのは難しいかな。でも、あの感じが欲しいなっていうのはあって、それをどこかで求めているとは思いますよ。「ファイナルドラフト」に出演したのも、そういう意味でも面白そうって思ったからだし」
――やはり、現役時代の輝きは特別ですか?
「プロサッカー選手としての人生に代わるようなものは、なかなか難しいよね。それに向かって、子どもの頃からずっとサッカーして、お金も稼ぎたいってプロになって、出たかったワールドカップの舞台に立って......。その感覚を説明するのは難しい。特別すぎるよね、あの瞬間は」
――国見高校で頭角を現わした格好でしたが、あの時からサッカー選手になるために生きていました。
「国見には中学から親元を離れて通っていて、(プロに)なりたい、じゃなくて、ならないといけない、自分は絶対にプロサッカー選手になるって。"ここでずば抜けたプレーができないとプロになれない"って思っていました」
【日本人ストライカーでひとりだけ名前を挙げるなら】
――それが結実して、プロの世界でも成功を収められたわけですが、いつか走馬灯でよぎる現役時代のシーンがひとつだけあるとすれば?
「国見高校3年で(全国高校サッカー)選手権の決勝で決めたシュートですね。ミドルシュート、あれがいちばんかな。ボールを蹴って、ゴールに入る瞬間がスロー再生されて、"あっ、入ったな"って。その風景が出てきそうだけど......」
――来年はワールドカップもありますけど、注目している日本人ストライカーは?
「今はたくさんの日本人FWが、ヨーロッパのクラブでみんな活躍しているから。ひとりだけ名前を挙げるなら、上田綺世(フェイエノールト)かな。ストライカーとしてすべてが整っているでしょ。シュートも、ヘディングも強いし、体の使い方もうまいし、足も十分に速い。うらやましいくらいに揃っていると思うよ。もし強いリーグに入って活躍できたら、今までにない日本サッカーの歴史に残るストライカーになるはず」
――今年4月からスペインに家族と移住されましたが、バルセロナの試合は観ていますか?
「ペドリは観ていて面白い! あの年齢(22歳)で、あそこまでできる選手が出てくるのは恐ろしいですね。日本に足りないのはそこで、ヨーロッパはああいう若手がごろごろと出てくる。若くてもすぐ試合に出して自信をつけさせるからで、そこは向こうに住んで、あらためて思っていますね」
――大久保さんのキャリアを振り返ると、川崎フロンターレで風間八宏監督(当時)のサッカーを享受できたのも大きいですね。
「風間さんが、ああいうサッカーを作り上げたんだろうし、そういう選手たちが集められましたよね。俺もそこで声をかけられて、サッカー観が変わりました。小学校から『動き直しなさい』と言われ続けていたけど、実際、なかなかボールは出てこない。でも動き直さないと怒られるし、そこで体力使うと、ボールが出たときにシュートが打てない、打っても外れる。そこで風間さんは『動くな、動くのは一歩か二歩で十分』って。最初は癖で動いちゃうから、なかなかできなかった。でもゴール前で一歩(動く)ができると、"サッカー、めちゃ簡単やん"って(笑)。『歩きながらやりなさい』っていうことの意味がわかると、ディフェンスのギャップが空くのもわかったし、だから簡単に点が取れて、サッカーが楽しくなった」
――結果、Jリーグ史上初の3年連続得点王という称号が、今回の「ファイナルドラフト」の肩書でも使われていました。
「そこはうれしい。誰も成し遂げていないってことだったし、テレビに出ても言われる。やっといてよかったなって(笑)」
●Profile 大久保嘉人(おおくぼ・よしと)
1982年6月9日生まれ。