蘇る名馬の真髄
連載第10回:エアグルーヴ
かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。
モデルとなった競走馬・エアグルーヴは、まさにこのようなストーリーの持ち主。平成の競馬を見てきたファンなら、ほとんどの人がよく知っているプロフィールだろう。
1995年~1998年に活躍したエアグルーヴは、まさに名家の血筋を受け継ぐサラブレッドだった。母ダイナカールは、1983年のオークス(東京・芝2400m)の勝ち馬。その牝馬に、実績豊富な種牡馬トニービンを掛け合わせて誕生したのがエアグルーヴである。同馬はデビュー後、その強さから「女帝」と呼ばれるようになった。
最初に大きなタイトルを獲得したのは1996年。
これだけでも十分に大きなトピックだが、やはりこの馬を語るうえで欠かせないのは、その翌年に勝利したGⅠ天皇賞・秋(東京・芝2000m)だろう。
近年、アーモンドアイをはじめ、クロノジェネシス、ジェンティルドンナ、ブエナビスタ、ウオッカ、ダイワスカーレットなど、2000年以降は牡馬をなぎ倒す名牝が次々に登場してきている。しかし、1990年代まではまったく違う光景だった。牡牝の差は今以上に圧倒的なものがあり、特に2000m以上の混合GⅠで牝馬が勝つことは滅多になかった。
その大きな壁を越えたのが、エアグルーヴの制した天皇賞・秋である。
前年にオークスを勝った同馬は、年が変わって夏場の重賞を連勝。好調を維持して天皇賞・秋に挑んだ。
当日は2番人気。
まさに同世代の牡牝トップが並び立った一戦は、2頭の壮絶なマッチレースとなった。レースがスタートすると、若き快速馬サイレンススズカがハイラップで飛ばす。2番手以降は大きく離れて、バブルガムフェローは3番手、エアグルーヴは7番手を進んだ。
両馬の背中には、東西のトップジョッキーが跨っていた。バブルガムフェローの鞍上は東の第一人者・岡部幸雄騎手。そしてエアグルーヴは、西の天才・武豊騎手が騎乗。ふたりがお互いの位置を見ながらレースは進んでいく。
3コーナーを前にした向正面で、サイレンススズカのリードは10馬身近くに広がり、場内からは大きなどよめきが湧いた。しかし、2頭とも自分のペースは崩さない。
そして勝負の直線へ。まず先頭に迫ったのはバブルガムフェローだ。西陽が差し込むなか、サイレンススズカを追いかける。さあ、ここから連覇へ加速か......と思ったのも束の間、その外から一気にエアグルーヴが並びかけた。道中はライバルの3馬身ほど後ろにいた女帝は、ものすごい瞬発力でライバルの前に出たのである。
この時点で残り200m。エアグルーヴがいったん先頭に立ったが、バブルガムフェローも簡単には終わらない。必死に抵抗し、差し返そうと力を振り絞る。バブルかエアか、2頭のデッドヒートは続いたが、最後まで女帝は譲らなかった。ライバルを前に出さず、クビ差で押さえ込んだのだ。その後方、3着馬とは5馬身もの差がついていた。
牝馬が天皇賞・秋を制したのは、1980年のプリテイキャスト以来17年ぶり。まさに歴史の扉を開いた瞬間だった。
その後、エアグルーヴは同年のGⅠジャパンカップ(東京・芝2400m)で2着、GⅠ有馬記念(中山・芝2500m)で3着と奮闘。牡馬を相手に王道路線の主役を張り続けた。その走りが評価され、牝馬としては26年ぶりの年度代表馬に選定された。
牡馬相手に獲得したGⅠは天皇賞・秋のみ。アーモンドアイなどに比べると、もちろん実績は劣るだろう。だが、ターフを駆け抜けるエアグルーヴの姿を、今なお忘れることはできない。猛々しく牡馬に立ち向かった、女帝の走りを。