ダイヤの原石の記憶~プロ野球選手のアマチュア時代
第10回 山田哲人(ヤクルト)

 日本プロ野球選手唯一となる3度の「トリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)」を達成し、侍ジャパンの主力としても活躍してきたヤクルト・山田哲人。これまで山田の活躍には何度も驚かされてきたが、ニュースに触れるたびに「まさか、あの選手が......」の思いは消えない。

誰も予想できなかった山田哲人の変貌と球史に残る大打者誕生の瞬...の画像はこちら >>

【野球を辞めたいと思ったことも...】

 2010年のドラフトで"外れ外れ1位"ではあったが、山田は高い評価を受けてプロ入りした。しかし、高校入学時から見ていた者とすれば、ドラフトで1位指名を受けたこと自体が驚きだった。

 ドラフト1位でプロに進むような選手は、小学生や中学生の頃から飛び抜けた活躍をし、多少の尾ひれがつきながらもさまざまな"伝説"を残しているもの。しかし、山田にはそうした類(たぐい)の話が一切ない。

 以前、少年野球のチーム関係者に話を聞いた時も「こんなことになるとは誰も思っていなかった」「過去にもっとすごい選手がいました」といった話はあったが、「絶対にプロに行くと思っていました」という声は皆無だった。

 履正社に進んでからもそうだった。高校3年の最後の夏を控えたある時、ある大阪の私学の監督と山田の話題になった。すると、その監督はこう切り出した。

「去年、ウチも履正社と試合をしているんですよ。でも、正直、山田に関してはほとんど印象がなくてねぇ。ドラフト上位候補と騒がれるような選手は覚えているはずなのに、ほんと記憶らしい記憶がないんです」

 山田自身も、自らの少年時代をこう回想していた。

「小学生や中学生の時は、(自分の力が)そこそこ上のレベルにあるとは思っていましたが、プロに行けるなんて思わなかったですし、どこかの高校でレギュラーを獲って、甲子園に行けたらいいなと思う程度で......。それに中学の頃は友達と遊ぶほうが楽しくて、野球を辞めようかと真剣に思ったことがありました。

でも、お父さんの期待も感じていたし、辞めたら悪いなと思って続けましたが、野球が特別好きという感じではなかったです」

【履正社では1年秋からレギュラー】

 とはいえ、強豪・履正社で1年秋からレギュラーとして出場すると、2年夏には3番を任され、チームの大阪大会ベスト4入りに貢献するなど才能を発揮した。

 俊足で強肩、守備力も高く、バッティングも悪くない。チーム内の評価は高く、岡田龍生監督(現・東洋大姫路監督)やコーチは「いいですよ」「この先が楽しみです」と早い段階から言っていたのを思い出す。

 履正社の試合は何度も見ており、たしかに山田が走攻守揃った選手であることは間違いない。だが、力強さや存在感という部分で物足りなさがあったのも事実で、いわゆるドラフト上位で指名されるような選手には思えなかった。

 その当時、山田に対して勝手に抱いていたイメージは「高校卒業後は関東の名門大学に進み、そこで鍛え抜かれて4年後のドラフトでどうか......」といったものだった。今にして思えば、まったく見る目がなかったということだ。

 山田の高校時代、当時の大阪にはPL学園に吉川大幾(元中日ほか)がいた。ともに下級生の頃からレギュラーとして活躍し、走攻守3拍子揃ったタイプの選手だった。

 とくに吉川の勝負強いバッティングは印象的で、チーム内でも存在感は抜けていた。また取材をしても、負けん気の強さを隠すことなく、早くから「プロ志望」を口にしていた。とにかく、「オレは野球で食っていく」という感じが全身から溢れていた。

 3年春の段階では、前年夏の大阪大会で5本塁打、甲子園でも一発を放った吉川のほうが注目度は高かった。

【ドラフト中継を見て気持ちが一変】

 しかし、冬のトレーニングで徹底的に鍛えると、履正社の先輩であるT−岡田(元オリックス)の高校時を上回るスイングスピード(154キロ)を記録。そこから山田はホームランを量産。また、長打力が増したことに加え、「ここぞ!」という場面での一打も確実に増えた。

 そして迎えた最後の夏。スカウトたちが揃った初戦で満塁ホームランを放つと、大阪大会4回戦では吉川のいるPL学園を破り(8対7)、ついに13年ぶりの甲子園出場を果たした。

 甲子園でも2試合で6打数4安打(2四球)と活躍。初戦の天理戦ではホームスチールを決め、聖光学院戦では歳内宏明(元阪神ほか)から左中間に会心の一発を放つなど、走攻守でアピールし、誰が見ても堂々のドラフト上位候補となった。

「去年まではチャンスに弱かったんで、そこそこ打っても目立たなかった。でも今年は、けっこういいところで打てるようになって、そこが一番の成長だと思っています」

 ドラフトを目前に控えた取材で、山田はこの1年の変化についてこう語った。ひと冬を越えた間に何があったのかと聞くと、いかにも山田らしい答えが返ってきた。

「去年の秋にドラフト中継をテレビで見ていて、ほんと突然なんですけど『来年はここで名前を呼ばれたい』と強烈に思ったんです。それまでは『プロは行けたらいいな』ぐらいで、無理やろうなと考えていたのに、テレビを見た時に『来年は絶対に自分が......』と思ったんです。

あそこで気持ちが変わりました。

 それから練習に対する意識が変わって、それまではすぐに妥協していたのに、もうちょっと頑張ってみようとなったり、自主練習でバットを振り込んだり、今まで以上にトレーニングをするようになったり......。そういう積み重ねが結果として表われるようになったと思います」

 この話を聞きながら、気持ちだけでここまで変われるものか......と思うほど、山田のプレーは格別に変わった。単純に結果ではなく、プレーから伝わってくる自信やグラウンドでの立ち居振る舞いなど、少しオーバーに言えば"別人"になったような感じがあった。

 アマチュア選手を取材するようになり20年以上経つが、いい意味で、最も予想を裏切られた選手のひとりである。

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