世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第30回】ポール・ガスコイン(イングランド)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第30回目は、1990年代に国民的な人気を誇った「ガッサ」ことポール・ガスコインを紹介したい。プレーは超一流だが、トラブルも数えきれず。イングランドサッカー史上もっとも「特異」な男は、いかにして栄光を勝ち取り、そして失っていったのか──。
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DFボビー・ムーア、FWジェフ・ハースト、GKゴードン・バンクス、DFジャックとFWボビーのチャールトン兄弟など、1966年に自国開催したワールドカップの優勝メンバーが年老い、引退すると、イングランドは人材が枯渇していった。ワールドカップやヨーロッパ選手権は予選すら通過できず、「フットボールの母国」は威信もプライドもズタズタになった。前に進むだけのゲームプランは時代おくれと言われ、技術的に雑な選手を代表に選ばざるをえない状況が長く続いていた。
そんななか、突然、彼は現れた。
ポール・ガスコインである。
いかにも気の強そうなベビーフェイスは、まさにやんちゃ坊主。名優ジェームズ・キャグニーを思わせる風貌も人気沸騰の要因だ。
しかし、何よりも高く評価されたのは、当時のイングランド人らしからぬ柔軟性の豊かな発想力だ。
しかも、各スタジアムのピッチコンディションが現在ほど整備されていない時代で、だ。泥田のような環境でも、ボールコントロールが乱れるケースはほとんどなかった。
強靭なフィジカルのみが信じられていた時代のイングランドで、ガスコインは明らかに「異端」だった。
【悪童に手を差し伸べた人物】
小さなころからポッチャリ体型だったという。チョコレートやジャンクフードが好きだったのだから無理もない。それでも天性のテクニックが注目の的となり、13歳でニューカッスル・ユナイテッドの下部組織に加入した。
16歳になると、ユースチームの主将としてFAユースカップ優勝に貢献。緩急の使い分けで簡単にマークを外し、ドリブルでは肩を入れて、ひじを張りながら前に進む。そしてルックアップした瞬間、あらゆる距離のパスを通す。ユースレベルでは明らかに別格だった。
ただ、監督やコーチが口を酸っぱくして注意しても、食生活をあらためる気配すらない。短気な性格はたびたび周囲とトラブルを起こし、ニューカッスルはガスコインの扱いに困り果てていた。
「その体型を何とかする気があるのなら、面倒を見てやってもいい」
周囲の意見に耳を貸さない「悪童」に救いの手を差し伸べたのは、トップチームのジャッキー・チャールトン監督だった。イングランド代表のレジェンドであり、誰もがリスペクトする紳士の忠告には、ケンカ上等のガスコインも従うほかなかった。
チャールトンの指示どおりに余計な肉をそぎ落とし、1985年4月にトップチームでデビューすると、翌シーズンは早くもレギュラーに定着。プロ3シーズン目の1987-88シーズンには、プロ選手協会が選ぶヤングプレーヤー・オブ・ジ・イヤーに輝いている。複数のクラブがガスコイン獲得を試みたのも当然だった。
あの時の選択は、果たして正しかったのか──。
1988年夏、ガスコインはニューカッスルからトッテナム・ホットスパーに移籍する。ただ、マンチェスター・ユナイテッドも興味を示し、アレックス・ファーガソン監督が交渉役を買って出ていたという。
ガスコインはスパーズでも本領を発揮した。ゲーリー・リネカーとの連係は特に美しく、イングランドフットボールの未来を託せるコンビだった。
【トラブルメーカーのレッテル】
だが、ガスコインは自制が利かなくなっていった。
キーパーグローブのなかに放尿する。チームメイトに大量の花火を放り投げる。
対戦相手やレフェリー、メディアに対する罵詈雑言(ばりぞうごん)は日常茶飯事で、酩酊(めいてい)状態になるまで酒を飲むことも数えきれないほどあった。
さらに、1990-91シーズンのFAカップ決勝ではノッティンガム・フォレストのゲイリー・チャールズに、スパーズからラツィオに移籍した1994年のトレーニングマッチでは18歳だったアレッサンドロ・ネスタに危険なタックルを仕掛け、ともに自身がケガを負って長期欠場を余儀なくされている。
ガスコインの奇怪な行動はFA(イングランドサッカー協会)でも問題視され、1998年フランスワールドカップに臨むイングランド代表から除外する決断を下される。代表を率いるグレン・ホドル監督は、ガスコインの不摂生を決して許さなかった。
「もしガスコインがいれば、より柔軟な戦い方が可能だったと思う」
大会後にデビッド・ベッカムが嘆いても、あとの祭りだった。
もし、選手のプライベートまで厳しく管理するファーガソン監督のもとでプレーしていれば、ガスコインの人生は変わっていたかもしれない。いや、自由を奪われた窮屈さに納得できず、監督の顔面を殴打して追放されていたかもしれない。
2004年に引退したあとも、深酒、暴力沙汰、ギャンブルによる多額の借金など、彼にまつわるトラブルは続いている。今年7月には自宅の寝室で意識を失って病院に搬送された。ほんの少しでいいから自制し、周りの意見に耳を傾けていたら、もっとハッピーな生涯が続いていたに違いない。
ただ、トラブルメーカーのレッテルがついてまわるガスコインだが、長い歴史を通じてもイングランド屈指のタレントであることに疑いの余地はない。
【スターの要素をすべて持っていた】
また、ガスコインはシュートの技術も申し分なかった。手もとの資料映像をチェックしてみると、力任せに打ってはいない。GKのポジションを見極めてインフロントでファーポストを巻く。DFをブラインドに使い、ボール1個分ほどのスペースに沈める。GKとの1対1ではキックフェイント、あるいはループで相手DFを翻弄した。
また、右利きにもかかわらず、左足で巧妙な一撃を、そしてPKも決めている。こんな芸当、ほかに誰ができるというのだ。
パワー系のシュートでは、1990−91シーズンFAカップ準決勝のアーセナル戦が記憶に残っている。およそ30メートルのFK。ガスコインの右足から放たれた一撃は、ややアウトにかかりながらゴール上部に突き刺さった。
コール・パーマー(チェルシー)やジュード・ベリンガム(レアル・マドリード)など、現在のイングランド代表は攻撃的なポジションに優れた選手を揃えている。
だが、あの時代のガスコインが放った輝きには及ばない。センス、イマジネーション、特異すぎるキャラクターなど、彼はスーパースターとしての要素をすべて持っていた。しかし同時に、あまりにもぜいたくな才能を持て余していた、とも考えられる。
悪童でもトラブルメーカーでも構わない。ガスコインのプレーは、いつだって楽しかった。