平石洋介×上重聡

1998年夏の甲子園で、怪物・松坂大輔を擁する横浜と延長17回の死闘を繰り広げた名門・PL学園。当時のチームで主将を務めた平石洋介さん(元東北楽天ゴールデンイーグルス)とエースの上重聡さん(フリーアナウンサー)が、PL学園の思い出を語る本企画。

全2回の前編は、小学生時代にまでさかのぼるおふたりの出会いから、PL学園入学当初までを振り返ってもらった。 

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【最強だった八尾フレンド時代】

――まず、おふたりの出会いを教えてください。

上重聡(以下、上重) 最初の出会いは小学校6年生の時に、大阪の八尾フレンド(ボーイズリーグ)に平石が見学に来た時でした。「大分県からわざわざ練習を見にきて、入ろうとしている」と聞いて、そういう選手が今までいなかったので、どういう心境できているのかなと。 

平石洋介(以下、平石) 八尾フレンドには、聡ともうひとり左に福井強っていうピッチャーがいたんですよ。

上重 のちに西武ライオンズに行くんですけど。

平石 福井はスーパー小学生で体もでかいし、投げれば速いし、打てば飛ばすっていう選手でした。でも、聡もすごくて同級生でこれだけレベルの高い人がいるんだなと思って、それが第一印象ですね。 

――平石さんの第一印象は?

上重 一緒に練習をしたんですけど、走攻守の三拍子がそろっているいい選手で、チームに入ってきたらレギュラーになるだろうなと思いました。でも、まさか大分からわざわざ来るとは思っていなくて。小学生の私には大分って外国みたいなイメージだったんですよ。「どうやって大阪まで通うのかな」とか「どうやってこのチームに入るんだろう」みたいな。

――八尾フレンド時代の成績はいかがでしたか?

上重 年間に3つの全国大会があるんですけど、すべてで優勝しました。

小さい大会も含めると1年間に15個の大会があって12個で優勝して、ほぼ無敵だったと思います。 

平石 ほんまに強かったと思います。

上重 私たちの学年だけじゃなくて毎年強いので、それが当たり前という感じでした。それぐらい名門チームの自覚はありましたね。

平石 僕は大分で「こいつに負けたな」っていう感じることがあまりなかったんですけど、八尾に行ってみたら、上には上がいるんだと思いました。

上重 全国最強チームだと思っていましたね。負けるはずがないというか。

平石 僕は聡に憧れみたいなのがあったんですよね。初めて練習に参加させてもらって、地元に帰ってから、ゴムボールとかで遊ぶ時に「ピッチャー上重」とか言ってマネしていましたね。 大分の仲間からしたら「上重って誰やねん」みたいな話なんですけど(笑)。

上重 中学から平石がチームに入ってくるんですけど、私としてはちょっとしたコンプレックスがありました。小学生までは福井がエースで、私が準エースみたいな感じだったんです。

でも、福井が中学から違うチームに行くという話をなんとなく聞いて、「いよいよエースになれる」って思った時に、平石が入ってくるわけです。またここでエースを争わなきゃいけないので、 どちらかというと来てほしくないというか、チームとしては強くなるけど、またライバルが増えるみたいな複雑な心境でした。

――平石さんは、どんな気持ちで入られたんですか?

平石 一応ピッチャーもやっていたので、ピッチャー兼外野だったんです。でも、早々に外野手の道を歩んだんですよ。ピッチャーとして聡に「勝てるな」とか「勝ちにいった」っていうことはなかったですね。どちらかというと「野手で生きていくんやろうな」みたいなのがありました。

上重 平石はすごく器用そうなのに、ピッチャーやる時だけなんかすごく硬いんですよ。バッティングとか守備とかは柔らかいのに、ピッチャーだけは動きがカクカクしていて、これは勝てるなって(笑)。

平石 小学6年の春ぐらいが一番よかったんですよ。そこからコントロールに悩みだしたんですよね。

【ともにPL学園へ】

――その後、PL学園に進学する時はふたりで話し合ったりしたのですか?

上重 たしか平石は、2年生の時にすでにPLから話が来ていたはずです。八尾フレンドからは毎年だいたいふたりぐらいがPLに行く流れがあったので、チームで一番うまい平石も行くだろうなと思っていました。

 そうすると残りの枠はひとつじゃないですか。

私も実は、ちょっと早めにPLから声をかけていただいたんですが、3年生の時にPLのスカウトの方が観に来た試合でボコボコに打たれてしまいまして、いったん白紙になったんです。ただ、平石と違って勉強ができたので......。

平石 そこは否定しない(笑)。

上重 親からは無理にPLに行かず、勉強と野球の強いところに行ったほうがいいんじゃないかと言われたんですが、やっぱりどうしてもPLに憧れがありました。中学3年生の時に見た甲子園で福留孝介さんが活躍されていて、「かっこいいなPL」と思って「やっぱりいきたい」と思ったんです。

 そして、中学最後の大会で、PL進学が決まっていた選手のいるチームと対戦があったんです。そこにPLのスカウトの方も観に来て、「ここで抑えたらもう1回PLへの道が復活するぞ」と言われたので、全力で投げて、そのバッターから2三振を奪って、最後の最後に逆転でPLに入りました。なので、平石とはちょっと違う感じですね。

平石 そもそも僕は聡がPLに来ると思っていなかったんですよ。勉強ができたので、PLって道は選ばないだろうなと思っていたんですね。でもフタを開けてみたら、「聡がPL!」って。うれしかったですけどね。

 

【中学時代、頭がよかったのは? モテたのは?】

上重 平石とは中学の時に同じ塾に通っていて、私は一番上のAクラスで、平石は一番下のCクラスにいたんです。Cクラスは授業の時間が早いので、夕方4時ぐらいから始まるんです。ただ、平石は野球の練習があるので無理を言って、遅くに始まるAクラスに来ていたんですけど、チンプンカンプンだったんですよね(笑)。 

平石 全然わからない状態ですよ(笑)。なんでこのクラスに行かなあかんねんって。

上重 授業の最後に問題を解いて答えが合えば帰れるってシステムなんですけど、平石はなかなか帰れないんですよね。

平石 だって問題が解けないですもん。「はよ、答え教えろ」とか言いながらね。

上重 そんな中学時代ですね。野球も塾も一緒だったんです。エピソードとしては、中学野球で普通はないと思うんですけど、相手チームのお母さんが平石のファンになるというか、わが子がいるのに平石の写真を撮って追っかけみたいになるんです。それに嫉妬ですよね(笑)。

――モテたのは平石さん?

上重 これはもう......はい。

歴代の彼女も知っていますけど(笑)。(明石家)さんまさんの番組にも出て、中学生で。

平石 『さんまのナンでもダービー』って番組に出させてもらったんです。

上重  さんまさんが「これはスーパー中学生やから、この平石って名前を覚えていたら、将来プロで必ず聞く名前やで」みたいなことを番組で言っているんですよ。それを見て「いいなぁ」と思っていました。 

【ベンチ入りとボールボーイ】

――PL学園に入学後、上重さんは1年生の夏からベンチ入りしたと聞きました。

平石 そうなんですよ。これはすごかったですね。 PLで1年生の夏から入るってありえないじゃないですか。ちょっと嫉妬しますよね。 

――当時のPLはひと学年何人くらい所属していましたか?

上重 各学年20人ずつですね。

――先日別番組で(PL学園OBの)片岡篤史さんと野村弘樹さんが「1年生でベンチ入りはすごい」と言っていて、上重さんはドヤ顔をしていました(笑)。

上重 先輩の前でドヤ顔なんて、するわけないじゃないですか(笑)。

平石  聡はする(笑)。 

上重 ちなみに1年生の夏にベンチ入りしたピッチャーは、歴代でも桑田真澄さん、私、前田健太しかいないんです。 

――平石さんはどうだったんですか?

平石 あの頃から選手がボールボーイをやることになって、甲子園の時に中村順司監督に呼ばれて「平石、ボールボーイをやって、近くで空気を味わえ」みたいなこと言っていただいて。

上重 1年生だけど、「甲子園の雰囲気を味わいなさい」と言って指名されているので、期待されている証拠だったと思います。

平石 でも、聡はPLのユニホームを着てベンチ入っていますからね、それはやっぱりうらやましかったですね。

――登板はされたんですか?

上重 していないんですよ。予選から甲子園までエースの前川勝彦さんがひとりで投げ切りました。ただ、甲子園の2回戦で大量にリードをしていた時に、「9回に上重いくぞ」と監督に言われて「いよいよ、甲子園デビューか」と思っていたら、(前川)先輩が「僕が投げます」って......。ここまでずっと投げてきて、最後の1イニングも自分で締めたかったんだと思います。「えっ、それアリ?」と思いながらも先輩が投げたので、甲子園のマウンドは近いようで遠い感覚でした。 

平石 前川さんは八尾フレンドの先輩でもあるんですよ。後輩のために「上重をいかせてください!」ぐらい言ってくれたらよかったのに気がきかなかったな(笑)。

上重 いや、いい先輩だったと思います(笑)。

平石 あえて言っているんだから乗っかってこいよ(笑)。

上重 今思うと、(投げていたら)勘違いした部分も出てきたのかなと思うので、投げないでよかったのかなとも思っています。 

後編を読む>>>同級生の平石洋介と上重聡が語る名門・PL学園の教え「甲子園よりも普段の練習のほうが緊張していた」

Profile 
平石洋介(ひらいし・ようすけ)/1980年4月23日、大分県出身。PL学園から同志社大学、トヨタ自動車を経て、2004年にドラフト7位で楽天に入団。2009年にはプロ初本塁打を放つなど活躍し、2011年に現役を引退。2019年に楽天の監督を務める。現在は野球解説者として活動している。

上重聡(かみしげ・さとし)/1980年5月2日生まれ、大阪府出身。PL学園時代にエースとして活躍。立教大では東京六大学リーグで史上ふたり目の完全試合を達成。卒業後の2003年にアナウンサーとして日本テレビに入社。2024年3月末をもって同社を退社し、現在はフリーアナウンサーとして活動している。

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