蘇る名馬の真髄
連載第16回:マルゼンスキー

かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。

ここでは、そんな『ウマ娘』によって再び脚光を浴びている、往年の名馬たちをピックアップ。その活躍ぶりをあらためて紹介していきたい。第16回は、アメリカからの持込馬として圧倒的な強さを誇り、8戦8勝で引退した伝説の名馬マルゼンスキーを紹介する。

『ウマ娘』ではスーパーカーを愛車に持つ異色の存在 「史上最強...の画像はこちら >>
『ウマ娘』のなかには、愛車にスーパーカーを所持し、ふだんは走り屋のように道路をかっ飛ばすという独特なキャラクターがいる。どこか古い言葉使いながら、レースでは圧倒的なポテンシャルを見せつける、マルゼンスキーである。

 こうしたキャラクター設定は、モデルとなった競走馬のマルゼンスキーから想起されたものだ。同馬は、母馬が受胎している状態で海外から輸入され、日本で誕生した"持込馬"だった。

 その母馬がお腹にマルゼンスキーを宿した状態で海外のセリ市に上場されたのは、1973年。世界的にも良血とされる血筋だったこともあり、セリ値はどんどん上がっていったが、30万ドル(当時のレートで約9000万円)で日本人オーナーが落札した。輸入に際しても当時では破格の金額がかかったが、無事に日本へと輸入されると、マルゼンスキーを産み落とした。

 競走生活をスタートしたマルゼンスキーは、持込馬かつ母が高額落札された経緯から、当時「スーパーカー」と呼ばれた。『ウマ娘』で「スーパーカーを所持している」といったプロフィールは、そんな背景があってのことだろう。

 また、競走馬のマルゼンスキーが活躍したのは、1976~1977年のこと。これは、『ウマ娘』のモデルとなった馬のなかでは最古参の部類で、「言葉使いが古い」という設定は、そこから来ているのかもしれない。

 マルゼンスキーは1976年、3歳(現2歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)秋にデビュー。現役生活は翌年までのわずか2年足らずだった。

 当時は内国産のサラブレッドを保護するため、持込馬には出走権のないレースが多く(1983年に撤廃)、日本ダービー(東京・芝2400m)をはじめ、競走馬が目指すビッグレースにはほとんど出られなかった。結果、マルゼンスキーは裏街道のレースを歩み続けることを余儀なくされた。

 そんな状況下で、デビューから圧勝に次ぐ圧勝を重ね、8戦全勝の成績で引退した。10馬身差以上の大差勝ちをすることも多く、8戦合計で2着につけた着差は61馬身に及ぶとされている。

 こうしたキャリアのなかでもたった一度だけ、現在のGⅠにあたる大レースでその強さを証明したことがある。1976年12月12日、デビュー4戦目で挑んだ朝日杯フューチュリティSの前身となる朝日杯3歳S(中山・芝1600m)だ。

 この年にデビューしたばかりの3歳馬たちによる頂上決戦。3戦3勝でこの舞台に登場した"スーパーカー"は、単勝1.7倍の圧倒的1番人気でレースを迎えた。

 ゲートが開くと、やや遅れ気味のスタートを切ったマルゼンスキーだったが、瞬時に加速して先頭を奪取。そのままレースを引っ張っていった。ちなみに、同馬はほとんどのレースでハナを切って軽快に飛ばし、後続を引き離して勝ってきた。ただこのスタイルは、作戦というより、他馬とはスピードの絶対値が違いすぎたことによるものだと言われる。

 朝日杯でも同様だった。先頭で逃げたマルゼンスキーは4コーナーを抜けると、さらに加速。3~4馬身後方の2番手を追走していたヒシスピードもあっさりと突き放されてしまう。直線、鞍上はムチを軽く入れる程度だったが、後続をはるか彼方へと置き去りにし、最後は2着のヒシスピードに大差をつけて圧勝。走破タイムの1分34秒4は当時のレコードだった。

 こうした走りを毎回のように繰り返したマルゼンスキー。

だからこそ、陣営やファンは大舞台への参戦を望んだ。ダービーの直前には、この馬とコンビを組んでいた中野渡清一騎手が「枠順は大外でいい。賞金もいらないからダービーに出させてほしい」と発言したことは、今なお有名な逸話として知られている。

 4歳の暮れになって、ようやく持込馬にも出走権のある大レース、有馬記念(中山・芝2500m)への参戦が発表されたが、不運にもその直前にケガを発症。そのまま引退することになった。

 大舞台でのレースが少なかったゆえ、マルゼンスキーの偉業について「相手が弱かっただけでは?」と思う人もいるかもしれないが、そういった考えを覆す一戦もある。4歳6月に挑んだ日本短波賞(中山・芝1800m)。このレースでマルゼンスキーは、およそ5カ月後にクラシック三冠の最終戦を勝つプレストウコウを7馬身ちぎって勝利しているのだ。

 文字どおり、異次元の走りを見せたマルゼンスキー。当時その走りを見た人のなかには、この馬を「史上最強馬」だと推す声も少なくない。

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