連載第71回
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
サッカー日本代表がパラグアイと対戦。
【パラグアイの対策に対応できなかった日本】
日本代表がパラグアイ相手に大苦戦。後半アディショナルタイムに上田綺世のゴールでなんとか追いついたものの、日本代表は9月のアメリカ遠征から3試合連続で未勝利。得点できたこと、そして待望のFWによるゴールが生まれたことがわずかな救いとなった。
守備陣は代表経験の少ない選手ばかりだったので、「2失点」はしかたがない。問題は攻撃面にあった。アジア最終予選で格下相手に大量得点したことで大きな勘違いが生まれたようだが、日本代表の前には今も「決定力不足」という大きな課題が横たわっている。
日本も今ではFIFAランキング20位以内の強豪国のひとつ。当然、対戦相手は日本を分析して対策を講じてくる。森保一監督はアジア予選で結果を出した攻撃的ウイングバック(WB)を使う3バックに拘り続けているので、相手にとって分析は容易い。
アメリカ遠征では対戦相手(メキシコ、アメリカ)はサイド攻撃を強化することで日本のWBを守備に追いやった。三笘薫や堂安律といったWBが守備にエネルギーを割かざるをえなくなってしまったのだ。
一方、パラグアイはサイドを捨てて中央を固めてきた。
4-2-3-1のパラグアイ。
だが、それが得点につながることはなかった。日本のゴールはハイプレスでのボール奪取と小川航基のシュート技術によるもの、それにFKのこぼれからのもの。あれだけ攻めながら、流れのなかからゴールは生まれなかった。
相手がサイドから仕掛けてきた時にどうするのか、あるいはパラグアイのように中央を固めてきたらどうするのか......。
それでも前半は日本が圧倒したが、パラグアイがMFの配置を変えたことで後半はパラグアイにもチャンスが生まれた。だが、そんな相手の変化にも日本は対応できなかった。
森保監督の日本代表は戦術的にあまりに無策と言わざるを得ない。
【対戦成績の詳細】
さて、欧州との対戦が組みにくくなったこともあって、最近は南米諸国と対戦機会が増えているが、パラグアイとの対戦も今回で12度目。対戦成績は日本の5勝5分2敗となった。日本が大きく勝ち越しているが、それは当然。12戦のうち10戦が日本ホームだったのだ。
アウェーでの対戦はたった1回。1999年にパラグアイで開かれたコパ・アメリカに招待された日本代表は開催国パラグアイに0対4で完敗。また、中立地での唯一の対戦は2010年の南アフリカW杯のラウンド16で、試合は120分戦ってスコアレスドロー。日本はPK戦で敗れてベスト8進出を阻まれた。
つまり、ホーム以外では(あるいはタイトルのかかった試合では)日本はまだ勝てていないのだ。
パラグアイの「2勝」は、1995年の初対戦と1999年のコパ・アメリカ。日本が2001年の対戦で初勝利を記録して以来、日本は25年近くパラグアイには負けていない(W杯でのPK負けは引き分け)。つまり、日本の強化は確かに進んでいるのだが......。
最も強く印象に残っているのは、もちろんW杯での対戦だ。
2010年6月29日。舞台は南アフリカ共和国の行政上の首都プレトリアのロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム。1923年完成という、赤黒い煉瓦造りの、伝統あるラグビー場だ。
この試合は、日本では評判が芳しくない。
結果がPK負けだったこともあるし、双方が守備的に戦ったため見どころが少なかったからだ。120分戦ってシュート数は日本の13本に対してパラグアイの12本。反則は日本が26、パラグアイが29。つまり、延々と潰し合いが続く試合だった。

だが、僕はこの試合を見ていて「日本もここまで来たか」とポジティブな評価をしていた。
【守備の伝統を持つパラグアイ】
なにしろ、パラグアイと言えば「守備の文化」で有名なチームだ。
たとえば、2026年大会の南米予選でパラグアイは18試合で得点14失点10(7勝7分4敗)という成績で6位に滑り込んでいる。得点14は予選突破した国のなかで最少タイ。失点はアルゼンチンと並んで2位タイである(エクアドルはなんと得点14失点5という"驚異的な"成績で2位に入っている)。それが、南米の戦いなのだ。
パラグアイという国で守備意識が高まるのは当然だ。
なにしろ、地理的にブラジル、アルゼンチン、ウルグアイという3つのW杯優勝経験国に囲まれているのだ(19世紀にパラグアイはこれら3カ国と戦争をして、国土の4分の1、人口の半数以上を失った歴史もある)。
それに対して、2010年の日本代表はまだW杯初出場からわずか12年という"若い"国だった。しかも、サッカー文化がまだ十分に根づいておらず、守備的なサッカーは嫌われていた。そんな国の代表が、守備の伝統を持つパラグアイと守り合いを演じたのだ。
120分間、日本代表は焦れて出ていくようなこともなく、ひたすらに守備のタスクをこなし続けた。
南アフリカW杯で日本代表を率いたのは岡田武史監督だ。イビチャ・オシム監督が病で倒れて急遽監督の座に就いた岡田は自分たちでボールを動かすサッカーを目指してチーム作りをしていたが、2010年に入ってからの準備試合で結果が出ず、大会直前の試合でも苦戦続きだった。
そこで、W杯開幕直前になってから中澤佑二と田中マルクス闘莉王で守備を固めて最前線にフィジカルの強い本田圭佑を置き、ロングボールを使って打開するサッカーに切り替えた。コンディションの上がらなかったエースの中村俊輔をベンチに置くなど、メンバー構成も大きく変えた。
グループリーグは2勝1敗で通過した。初戦の対戦相手カメルーンは動きが悪く、ロングボールの精度も極端に低かった。
強豪オランダには完敗したものの、最終デンマーク戦では本田と遠藤保仁が直接FKを決めて勝利した。当時は、欧州のチームには日本に対する警戒感が小さく、きちんと分析をしていなかったのだろう。
こうして、守備を武器に勝ち上がってきた日本と守備の伝統を持つパラグアイが対戦したのだから、守備的な戦いになるのは当然だった。僕は、むしろ、"それ"を貫き通した日本を評価したかった。
【1999年の完敗から26年】
というのも、南アフリカW杯より10年ほど前の1999年のコパ・アメリカでは、なす術もなくパラグアイに完敗した日本の姿を見ていたからである。
1998年のフランス大会でW杯に初出場。スコアこそ1点差だったもののアルゼンチンとクロアチアに連敗。同じ初出場組のジャマイカにも敗れて3戦全敗に終わったのだが、チームが非難されることもなく、むしろ健闘を称える声のほうが大きかった......。そんな時代だった。

コパ・アメリカで日本はペルー、パラグアイに連敗したが、メディアセンターなどで出会う南米の記者たちからは「日本はよく戦った」という言葉をかけられた。つまり、まだ誰も日本に期待などしていなかったのだ。
というわけで、南アフリカでの対戦を見ながら、僕は11年前のことを思い出して日本の進歩を感じていたのだ。
もちろん、本当ならどこかで攻撃を仕掛ける時間を作るべきだったのだろうが、当時の日本代表は自ら主導権を取って試合の流れを変えるまでの力はなかった。
それから、さらに14年が経過した。日本代表には主導権を握ってゲームの流れをコントロールするだけの力がついていると僕は思っていた。しかし、今回のパラグアイ戦を見ると、たしかに戦力的に上回る日本が攻撃を仕掛ける場面は多かったが、パラグアイの「日本対策」を打開するだけの戦術的多様性は備わっていないようだった。
もし、来年、パラグアイと対戦したとしたら、また15年前と同じことが起こるのではないだろうか......。
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