【短期連載】証言・棚橋弘至~武藤敬司がかつての付き人を語る(前編)

 来年1月4日、棚橋弘至がついに現役生活の幕を下ろす。そんな棚橋が若き頃、「憧れの男」と語ったのが武藤敬司である。

スターの背中を追い、付き人として学び、そして追いつこうとし続けた日々。その歩みを知る武藤は、どんな思いで棚橋の引退を受け止めているのか。

【証言・棚橋弘至】武藤敬司が振り返る意外な過去 「オレもタナ...の画像はこちら >>

【付き人時代の棚橋弘至】

── 武藤敬司に憧れていた棚橋弘至選手が、来年1月4日に現役を引退することになりました。

武藤 えっ、オレに憧れてたっていうのは聞いたことねぇけどな。ただ自然の流れで、オレの付き人をやってただけだろ?

── 棚橋選手にとっては、意中の人の付き人になれたんだと思いますよ。

武藤 タナが付き人をやってたのって、もうだいぶ昔のことだから忘れちまってるよ。だってオレ、何人も付き人がいたからね。金本(浩二)、西村(修)、永田(裕志)だろ、吉江(豊)や石沢(常光)もいたし。それとあとは......もう記憶にねぇわ。そんなに印象もないし。

── 当時の棚橋選手は印象が薄い感じですか?

武藤 タナって、(鈴木)健三と同期だよね? やっぱ若手の頃は、健三のほうがデカくて目立ってたんだよ。バックボーンも明治大のラグビー部で、明治っていえば坂口(征二)さんの後輩ですよ。ただ、タナも最初からいい体はしてたよな。

── 体をつくり上げてから入門してきた。

武藤 すごくいい子だったよ。とにかく真面目でさ。やっぱ最近の子っていうかさ、合理的な肉体づくりをしていて、移動中のバスでも栄養補給をしてたりとかさ、そういうマメなところがあって、そうじゃないとああいう肉体はつくれないし、キープできないからさ。とにかく若い頃から肉体に関するこだわりは強かったよね。

── 新日本プロレスに入ってきた新しいタイプのプロレスラーですよね。

武藤 入門する前からそういう知識を得ていたわけだからね。

── 棚橋さん曰く、武藤さんの付き人時代にある種のスター学を学んだということらしいです。ファンからサインや写真を求められた時は「おまえが一回断れ」と。そして、そのあと武藤さんが「まあまあ」って言ってファンに対応するっていう(笑)。

武藤 そんなのはオレだけじゃなくて、誰もがやってたことだよ!(笑)。猪木さんだってみんなそうやってたよ。

【証言・棚橋弘至】武藤敬司が振り返る意外な過去 「オレもタナも、最初はファンからブーイングを浴びていたんだよな」
何度かタッグを組んだ武藤敬司(左)と棚橋弘至 photo by Sankei Visual
── そしてベンチプレスは武藤さんを超えることを目標にしていたと。

武藤 ただ、ベンチはオレのほうが強かったよ。でもオレは、途中から右肩をケガしたからね。オレね、覚えてるんだよ。肩をケガしたのは、タナを全日本に呼んだ試合なんだよ(2008年3月1日・両国国技館)。オレとタッグチームを組んで、相手は誰だっけな......?

── 川田利明&太陽ケア組ですね。

武藤 その前からちょっと肩の調子がおかしかったんだけど、その試合から肩がダメになっちゃった。いまだにそれが尾を引いてるんだけど。

【武藤が求めた"陽のレスラー"としての棚橋弘至】

── 2002年に武藤さんが新日本を退団して全日本に移籍した時、棚橋選手を誘いましたよね?

武藤 誘ったね。

── その時、棚橋さんは武藤さんから「陽のレスラーがほしいんだ」と言われたと。「ほかの奴らはみんな暗いじゃん」と言われたことがうれしかったそうです。

武藤 いや、それがさ! プロレス的には陽を感じてて、ある意味、小島(聡)もそういう意味で全日本に連れて行ったんだけど。

── プロレスのスタイル的にはふたりとも陽ですよね。

武藤 ただ、プライベート的なところではふたりとも陰だよな(笑)。

── それは当時、武藤さんから聞いたことがあるんですよ。「誘っちゃったけど、小島は暗かったな」と。

武藤 アッハッハッハ。小島もタナもプライベートは"陰"そのものだよ。陰湿という意味での陰じゃないんだけど、ちょっとオタクっぽい感じがあるというか。なんのオタクなのかはわかんねぇけど。

── ちなみに武藤さんが陽を感じるレスラーって誰ですか?

武藤 ん? 誰だろうなあ......。

── 武藤さん自身は底抜けに陽ですけど。

武藤 あっ、イケメン二郎(現・黒潮TOKYOジャパン)は陽かもな。あのさ、陰湿なレスラーってそこらへんにいっぱいはびこっているんだよ。とくに昔の新日本なんかは、陰湿だからこそ生き残れるみたいなところがあって。

そういうのはあんまりオレの性には合わないっていうか、嫌だったんだよな。あと陽って誰だろうな。

── 獣神サンダー・ライガーさんはどうですか?

武藤 ライガーなんかは陰湿の陰だよ!(笑)。リング上もプライベートも。あとは(佐々木)健介とかもそう。馳(浩)のほうが陽だよ。まあまあ、陰な奴のほうが多いよ。石沢とか小原(道由)とかも陰だったよなあ。

【武藤が切り開いた"新しいプロレス"の系譜】

── すみません、棚橋選手の話でした。

武藤 やっぱさ、オレ自身が昔ながらのトレーニングシステムを否定していたから、そういう意味ではオレとタナは似てるんだよ。忍耐とかさ、スクワット何千回とか、最初から否定から入ってたから。遅筋なんかを鍛えるよりも見た目重視で速筋を鍛えるほうがプロレスラーとしては絶対いいと思っていたから、ウエイトばっかりやってたよ。

 遅筋を鍛えるなんて、そんなの必要ねぇよ。筋肉って2種類しかなくて、マラソンにふさわしい筋肉と、短距離にふさわしい筋肉。要は、持久力のある筋肉かマッチョの筋肉かっていう。遅筋と速筋、白筋と赤筋とも言うけど、速筋は100メートル走とか瞬発力の筋肉で、逆にマラソン選手なんかは遅筋が大切だったりするんだけど、それは鍛え方とかもまったくの別物なんだよね。

── 道場の練習に努力する必要のない部分を感じていたと。

武藤 一応、オレも柔道整復師の免許を持ってたからさ、そのへんの知識は最初からあって。だってさ、30くらいになったらみんなそういう練習はしないんだよ。それって意味がないってことに気づくからじゃん。それでタナもそうだと思うけど、見た目のいい速筋をつくるっていうのは、プロレスラーになってなくても好きだったからオレは今でもやってるわけじゃん。自分のホビー(趣味)っていうか、フォー・ライフですよ。

── 全日本に誘ったくらいですから、その頃にはレスラーとしての棚橋選手に魅力を感じていたわけですよね?

武藤 でも、なんかあいつは人気がなかったんだよな。その理由は、オレにはよくわかんねぇんだけど。

まわりのプッシュが強かったからなのか、そういうのは判官びいきで嫌われるからね。

── 今となっては信じられないですけど、武藤さんにもそんな時期がありましたよね。

武藤 うんうん。世論というかさ。たださ、今になってスペースローンウルフ時代の自分の動きを見ると、とても信じられねぇんだよ。「こいつ、なんでこんな動きができるんだよ!?」って思うもん。それでもファンからはブーイングを浴びた。それって会社の空気のつくり方っていうか、プッシュの仕方が下手だったんだと、オレは勝手に解釈してるけど。いや、マジで「こいつ、本当にすげえ奴だな!」って思うもん。

── かつては新日本プロレス全体が陰で、だからこそよかった部分はありますよね。そんななかで陽なレスラーはどうしても軽く見えてしまうというか。

武藤 タナの人気が出るようになったのも、オレがいなくなったあとからだよね。

── 武藤敬司が新日本のプロレスを変えたのは間違いない。

武藤 まあまあ、NKホールからってよく言われるけどね。

── 1990年4月27日の伝説の凱旋試合。かつては猪木さんや長州さん、前田日明さんたちに憧れてプロレスラーになった人が多かったのが、それ以降は武藤敬司に憧れてプロレスラーを目指す人が現れて、武藤スタイルのプロレスが主流になっていって......。

武藤 そして今やそんなレスラーばっかだもんね。昔の昭和のスタイルのプロレスをやる人がすっかりいなくなっちまったよ。

つづく>>


武藤敬司(むとう・けいじ)/1962年12月23日生まれ。山梨県出身。84年10月5日、新日本プロレスでデビュー。同期の蝶野正洋、橋本真也との「闘魂三銃士」として注目を浴び、エースとして活躍。もうひとつの顔であるグレート・ムタはアメリカと日本で絶大な人気を博す。2002年2月に全日本プロレスに電撃移籍すると、同年10月には社長就任。13年5月に全日本を退団すると、同年7月にWRESTLE−1を旗揚げ。20年4月で同団体が活動休止となるとフリーとしてNOAHに参戦。21年2月にGHCヘビー級王座を戴冠しメジャー3団体の王座を獲得する"グランド・スラム"を達成。さらにNOAHに電撃入団。 23年2月21日、東京ドームにてプロレスを引退

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