ダイヤの原石の記憶~プロ野球選手のアマチュア時代
第20回 荘司宏太(ヤクルト)

 東京都八王子市にグラウンドを構える社会人野球のセガサミーでプレーしていた荘司宏太の愛称は「だるま」だった。2025年シーズンまでチームを率いた西田真二前監督(元広島)が命名したものだが、そのニックネームは、まさに言い得て妙だ。

「だるま左腕」の奇跡 荘司宏太が七転び八起きで切り拓いたセ・...の画像はこちら >>

【不思議な縁が導いたセガサミー入り】

 七転び八起きの野球人生である。「ただでは転ばない男」は、3度の練習参加を経てセガサミーへの入社を勝ち取った。荘司がセガサミーに在籍した2023年からの2年間、専任の投手コーチを務めていた陶久亮太(すえひさ・りょうた/現コーチ兼任投手)が振り返る。

「荘司は、もともとカーブとチェンジアップがいい左腕でした。ただ、1回目と2回目の練習参加時はストレートが135~140キロの間で『もう少し球速がほしいよね』という印象でした。決め手に欠くなかでの3回目の参加時に、実戦形式のマウンドで140キロ台中盤から後半のストレートを投げたんです。ストライク率もまずまず。そこでやっと、チームとしても『よしっ、いける』となりましたね」

 打者6人と対峙し、2イニングをパーフェクトに抑えたことが評価されて、セガサミー入りが決まる。国士舘大4年の夏前あたりのことだった。

「4回目はなかったと思うので、やはり縁があったんですかね」

 感慨深い表情を浮かべる陶久は、当時をそう振り返るのだ。

 八王子市出身である荘司の実家は、セガサミーのグラウンドまで車で10分ほどの場所にある。学童野球をやっていた頃の荘司は、地域の学童チームが多く参戦する「セガサミーカップ」という大会にも出場したことがあった。荘司がセガサミーのユニフォームを着ることになったのは、なんとも不思議な縁とも言えるだろうか。

 セガサミーでの1年目は、苦しさと悔しさが交差するスタートだった。ストレートの球速が上がらず、球威がないからチェンジアップなどの変化球も生きてこない。5月末から6月上旬にかけて行なわれた都市対抗野球大会東京都二次予選までは、スタンドでビデオ係を務めるなど裏方にまわることが多かった。

【負けん気が動かした成長曲線】

 予選直後、野球部寮からほど近い焼鳥屋で、荘司は陶久コーチと食事をともにした。のちに、その時間が「ターニングポイントだった」と荘司は語るのだが、焼鳥屋での会話を陶久が思い起こす。

「荘司から『どうしたら投げられるようになりますか?』と聞かれました。まずは、監督からの信頼を勝ち取ること。そして、武器であるカーブとチェンジアップを生かすためにも、ゾーンに投げられるようになること。『基礎的なところからやっていこう』と、荘司に伝えました」

 自身の"生きる道"を懸命に模索する姿に、「荘司が本来持つ、負けん気の強さを感じた」と陶久は語る。

 その直後に行なわれた関東選抜リーグ戦(前期)のHonda戦で、試合中盤から2番手で登板した荘司はロングリリーフで好投する。それもまた「彼のターニングポイントになり、飛躍のきっかけになった試合だった」と言う陶久が続ける。

「真っすぐで空振りが取れて、カーブやチェンジアップでもしっかりと打ち取った。その後のオープン戦でも抑えられるようになって、自信をつけていったと思います」

 ムードメーカーでもあった荘司が抑えれば、自然とベンチが盛り上がる。

「流れ」を持ってくる左腕の存在は、徐々に大きなものになっていった。

 都市対抗野球大会の本戦ではベンチ入りを果たして、三菱自動車岡崎との初戦で東京ドームのマウンドに立った。対峙した打者はひとりだけ。それでも、全国の舞台に立った経験は荘司の自信をさらに深めた。

 1年目のオフシーズンに突入すると、ピッチャーとしての上積みを求めた荘司は投球フォームのモデルチェンジに着手する。目一杯に体を使った豪快かつ独特なフォームが生まれたのは、その時だ。陶久が語る。

「荘司自身が考え、つくり上げたフォーム。(グラブを持つ)右手を高く上げて、リリースポイントも高い独特の投げ方は、ふつうの投手だったら耐えられないし、安定しないと思う。体の強さがあった荘司だからこそ、確立できたフォームだと思います」

 リリースポイントの高さは、縦変化であるカーブやチェンジアップの質をより高める好材料となった。「真っすぐのホップ成分も増して、"当たらない"ストレートになっていった」と陶久は言う。

【プロ1年目から圧巻の投球】

 2年目のシーズンを迎えると、躍動感に満ちた投球フォームから繰り出される荘司のボールは無双状態になっていった。

「アーム式ピッチングマシンから突然ボールが出てくるようなイメージ。2年目を迎えると、どのチームに対しても『荘司が出てきたら終わり』という印象づけはできたと思います」

 陶久は左腕の劇的な変化に驚きつつ、秘められたポテンシャルの高さに大きな期待を寄せた。マウンド度胸は、もともと備えるアドバンテージだ。

 社会人2年目で初めて経験する都市対抗野球大会東京都二次予選のマウンドでも、臆することなく自らのボールを投げ込む荘司の姿があった。試合には敗れて本大会出場を逃すことになるのだが、Hondaとの第三代表トーナメント1回戦でのピッチングは圧巻だった。

 2点ビハインドで迎えた6回表から登板した荘司は、7者連続奪三振を記録する。疲れが見え始めた9回表に2点を失うのだが、その快投ぶりに大田スタジアムはざわついた。

 東京ガスの補強選手として出場した本戦でも、抑え投手を担ってベスト4の原動力に。プロのスカウトに強烈な印象を残した。

 その年(2024年)のドラフト会議で東京ヤクルトから3位指名を受けた荘司は、プロ1年目のシーズンから躍動した。

 プロの世界でも通用した空振りが取れるストレート。誰もがマネできるものではない、手のひらで押し出すように投げるチェンジアップ。

そのいずれもが一級品であることを証明した。陶久にとっても、プロ1年目で結果を出した荘司が眩しかった。

「社会人時代は連投を経験することがほとんどなかったので、1シーズンを戦い抜くなかで体力的にしんどくなるのかなと思っていたんですが、1年目からしっかりと投げましたね」

 中継ぎの地位を確立して、45試合の登板で28ホールド、防御率1.05。「攻めだるま」と化した荘司の快投は、2025年シーズンのセ・リーグ最優秀新人(新人王)の選出につながった。

編集部おすすめ