明秀日立・金沢成奉監督が語る今秋ドラフト指名された4人の教え子~
能戸輝夢・野上士耀編
中日からドラフト4位指名を受けた外野手・能戸輝夢(のと・きらむ)と、明秀日立高(茨城)の金沢成奉監督との出会いは、思いがけないものだった。
東北福祉大出身の縁で、能戸とは別の選手を紹介されて視察に出向いたが、そこで能戸の姿が目に留まった。
【細川成也と似て不器用】
「バットを振る力があって、投手としても135キロくらい出ると聞きました。ただ見に行った時は、ヒジを少し痛めていて軽く投げただけでしたが、それでも『これはいいわ』と感じました。バットに当たった時の打球速度は中学生の中では突出していました。(体に)硬さがあったので、それをどうやって技術に転換しようかという課題がありました」
そう話すように、投手としても期待していたが「投げ込みができるスタミナがありませんでした」と、計画は頓挫し野手一本となった。さらに、第一印象で懸念していたとおり硬さがあり、器用なタイプではなかったため、成長には時間を要した。
「1年生の半年くらいは、バットにボールがほとんど当たらなかったですね。そのあたりは細川成也(中日)と似ていて、不器用なんです。ただ、パンチ力があるところも似ていました。タイミングとは何なのか、体全体を使って打つとはどういうことなのかがわかるまで、時間がかかりました」
それでも2年の冬、「大きな体で無駄なく下半身を使えるように」と、大谷翔平(ドジャース)を参考にしたタイミングの取り方を指導。これがうまくハマると、残る課題は成長面のみとなった。
「ひたむきさは細川のほうがありました。能戸にもその部分はあるんですけど、少し神経質なところがあって......。追い込んでいくとうまくいかず、こちらも神経を使いながら教えていく必要がありました。
そんな能戸を大きく変える出来事が2つあった。
【転機となった2つの出来事】
ひとつは今年の春先、「なぜ、僕のことを怒ってくれないんですか?」と能戸のほうから金沢監督に言ってきたことだ。思いもよらぬ行動に金沢監督は驚いたが、その素直な言葉に、率直に向き合った。
「『怒りづらいんだよ。すぐ神経質になって、態度が顔に出る。こちらが気を遣わなきゃいけないくらいなら、怒りたくないんだ』と伝えました。それが、本人にはかなり堪えたみたいですね。そこから素直で謙虚に、そしてシンプルに物事を考えられるようになりました」
うまくいかないと殻に閉じこもりがちだった自分自身を見つめ直し、物事をシンプルに考えられるようになった能戸は、そこから本塁打を量産するようになる。高校通算本塁打は15本だが、そのほとんどは3年生の春以降に放ったものだ。潜在能力が開花し、金沢監督も「これはプロに行けるかもしれない」と手応えを感じるまでになった。
もうひとつは、夏前の出来事だった。
「『それがわからないなら、トイレ掃除をして考えろ』と言ったんです。最初は彼も嫌々やっていましたが、僕と一緒にやるうちに、『どうだ?』と聞くと、『ただきれいになっただけじゃなく、雰囲気や見た目の明るさまで違います』と言うようになりました」
さらに金沢監督は、ただ命じるのではなく、自らも一緒やることが大事と力を込める。
「僕もやると決めたら、本気でやります。偉そうにするのでも、 "大人の怖さ"を出すのでもなく、そこは対等に。子どもたちに『やれ』と言うだけでは、『嫌だな』で終わってしまうし、罰として受け取られてしまう。汚くて嫌だという気持ちが薄れ、『ここをこれだけきれいにしよう』という意識が芽生えていく。その先で、『現象としてきれいになったからではなく、心の中がきれいになったから、輝いて見えるんだ』ということに気づかせるためには、やはり一緒にやらなければいけないんです」
【成長の証が導いた甲子園】
こうした2つの出来事が大きな転機となり、能戸は周囲に目を配れるようになって精神面にも余裕が生まれていったのだろうか。
「ちょっとした仕草に、他者への配慮が見えるようになりました」と金沢監督が感心するように、能戸は本塁に生還しても、喜ぶより先に捕手のマスクを拾いに向かう。勝利して校歌斉唱を終え、仲間たちが一斉にスタンドへ駆け出す場面でも、まず相手ベンチに一礼してから走り出す。金沢監督からそうした指導を受けたわけではなく、自然とそうした行動ができるようになった。
また心の余裕は、武器である打撃にも好影響を与えていった。鋭い打球を連発し、飛距離も飛躍的に向上。確実性に加え、走力の高さや優れた対応力、身体能力をNPB球団のスカウトに示し、評価はみるみるうちに高まっていった。
夏の茨城大会でも、準々決勝の岩瀬日大高戦までに13打数6安打、打率.462を記録していた。しかしこの試合で左足首の靱帯を断裂する大ケガを負い、途中交代。準決勝は欠場したものの、決勝では志願して代打出場し、見事に安打を放った。この大会の打率は5割に到達。延長タイブレークの激闘の末、3年ぶり2回目の甲子園出場を決め、試合後には金沢監督と抱き合った。
甲子園では8回に代打で出場。二塁ゴロに倒れたが、左足を引きずりながらも一塁まで走り切った。
故障こそあったものの、ドラフト前には多くの調査書が届き、中日からドラフト4位指名を受けた。理想の将来像については、「本当に心の底から野球を楽しめる選手になりたい。
自分のことで精いっぱいになり、余裕を失って神経質になっていた姿は、もうない。金沢監督のもとで視野を広げた能戸は、心技体のすべてで成長を遂げ、プロの世界へと羽ばたいていった。
【センスは一流、課題は人間性】
「よくプロに行ったなと思います。こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど」
金沢監督がそう笑って評するのが、オリックスからドラフト7位指名を受けた捕手の野上士耀(のがみ・しきら)だ。
「今度、ええキャッチャーが入ってくるんですよ。野球センスは田村龍弘よりはるかに上」と高く評価していた。だがすぐに、「でも......人間性は田村の足元にも及ばない」と、心配そうな表情を浮かべていた。そんな野上は、どのような成長を遂げていったのだろうか。
「お山の大将で、自分がすべてみたいな感覚で野球をやっていた。でもね、そういう子を何とかしたくなるのが......まあ、私の性格でもあるんで(笑)」
そして金沢監督は続けた。
「捕手としての資質はまったくありませんでした。
そう振り返る金沢監督の苦労は相当なものだったに違いないが、その目尻はどこか下がっている。かつて光星学院高(現・八戸学院光星高)の監督時代に指導した坂本勇人(巨人)のように、手のかかる生徒、選手だからこそ感じられる「育て甲斐」。それこそが、金沢監督の教師、そして指導者としての真骨頂でもある。
とはいえ、捕手はチームの命運を握るポジション。監督の思い入れだけで任せることはできない。昨年までは明石新之助(現・亜細亜大)がおもにマスクを被り、今年に入ってからも、野上と同学年の小川一休が起用される場面が多かった。
【土壇場で光ったポテンシャル】
夏は野上がメインで被ることが多かったが、茨城大会決勝の先発マスクは小川だった。
「そんなこと、あり得ないでしょう。決勝だけ捕手を代えるなんて」と金沢監督は苦笑したが、「でもね、最終的に切羽詰まった状況になって、ようやく彼のポテンシャルが発揮されるんです」とも語り、チームを甲子園出場へ導いたビッグプレーに舌を巻いた。
藤代との決勝戦は、2対2の同点のまま、無死一、二塁から始まるタイブレーク方式の延長戦にもつれ込んだ。野上は試合途中からマスクを被っていた。
先攻の明秀日立は、10回表に野上の一打で2点を勝ち越し。その裏の守備で、野上が真価を発揮する。
無死一、二塁から打者のバントに対し、転がった打球を一目散に追いかけてつかむと、迷いなく三塁へ送球した。2点のリードがある状況で、「同点まではOK」「まずはひとつのアウトを取る」といった安全策が頭をよぎっても不思議ではない場面。しかし野上には、そうした選択肢は一切なかった。思い切りのいい判断で送られたボールは、三塁で間一髪のアウトとなった。
この時の衝撃は、今も金沢監督の脳裏に焼き付いている。
「野上が躊躇なく三塁へ送球し、紙一重でアウトにした瞬間、甲子園出場を確信しました。ああいうビッグプレーができるポテンシャルを、やっぱり持っているんですよ。野上以外の捕手なら、間違いなく一塁への送球を選んだはずです。無難にね。でも、あれを三塁に投げてアウトにしてしまうのが野上なんです」
この野上のプレーもあり、1点は返されたものの同点は許さず、甲子園出場を決めた。
また、甲子園では初戦で敗れたものの、大会屈指の好投手として注目を集めた2年生左腕・高部陸(聖隷クリストファー)から、レフトフェンス直撃の痛烈な二塁打を放った。
さらに夏以降も成長を続け、石川ケニーの獲得を検討していたオリックスのスカウト陣が明秀日立を訪れた際にも、ハツラツとした動きを見せて強くアピールした。「育成指名でもプロへ」という不退転の覚悟で臨んだドラフト会議で、支配下指名を勝ち取った。
「高校野球の最後の最後、数試合でポテンシャルが一気に開花しました。何度も言い聞かせて、ようやく我が消え、他者への思いやりが出てきた。その結果、一気に"ボン"と爆発した感じでした」
指揮官の想像をも超える急成長。こうした瞬間にこそ、金沢監督は指導者としての醍醐味を感じている。
「『すぐには活躍できなくても』『スネに傷があっても』という選手を連れてきて、磨き、鍛え上げていく。それが、ウチの学校なんです。すべての能力が最初から揃っている選手や、日本代表だったような選手はいません。でも野球の監督には、その人の人生観が出るもの。類は友を呼ぶ、ということなんでしょうね。だからこそ、一度のドラフトで教え子が4人も指名されたことには、感慨もひとしおです」
【40年の指導が結実した瞬間】
また、今回指名された4選手は、「大学・社会人出身の右のスラッガー内野手」(ソフトバンク5位指名・?橋隆慶)、「アメリカの大学に在学中の投打二刀流」(オリックス6位指名・石川ケニー)、「走攻守三拍子そろった右投左打の外野手」(中日4位指名・能戸輝夢)、「強肩強打の捕手」(オリックス7位指名・野上)と、選手としての特性は実に多彩だ。こうした成果の背景には、指導歴40年(東北福祉大3年時から学生コーチ)で培ってきたノウハウが、大いに生きているという。
「『こういう性格やポテンシャルの選手には、こう指導していけばいい』という考え方が、明秀に来てから自分の中で、より確立してきたという実感があります。生意気な言い方になりますが、かつて光星学院高を率いていた頃よりも、今後は明秀日立のほうが、より多くの選手を輩出していくと思います。
一流校からは声がかからなくても、私なりに素材がいいと思った選手が、おかげさまで集まってきています。もちろん彼らには短所もたくさんありますが、根気強く向き合っていくことで、人間性や考え方が磨かれていく。そうなれば、勝負どころで力を発揮できるようになっていきます。
大学や社会人の指導者の教えも加わり、高卒に限らず、今回はアメリカから、あるいは大学・社会人を経てという形でも指名をいただいた。その意味は非常に大きい。目に見えない部分を大切にしてきたことの積み重ねが、行く先々で実を結び始めているのだと思います」
最後に金沢監督に「勝利と育成のバランス」について聞いた。高校野球には、やはり甲子園という大きな目標がある。入学から2年半と限られた期間では、勝利を最優先するあまり、育成に十分な時間を割けないケースも少なくない。そんななかでも、金沢監督はきっぱりとこう語る。
「やはり勝利だけを追い求めてしまうと、人間性といった大切な部分が欠落してしまうと思います。絶対に優先すべきものを、間違えてはいけない。甲子園出場というのは、対戦相手がいて成り立つ、相対的なものです。自分たちがどれだけ強いと思っていても、相手がそれ以上に強ければ、結果がついてこないこともある。だからこそ、人間性を重んじる選手たちがひとつになることが、絶対に不可欠なんです。核となる選手が成長し、確立されたうえで、チームとしてうまく噛み合った時に、初めて甲子園が見えてくるのだと思います」
教え子4人の同時ドラフト指名は、決して偶然ではない。長年にわたり蓄積してきた経験と、厳しさも辞さない根気強い指導、そして何より深い愛情があってこそ生まれた快挙だ。彼らが今後どのような活躍を見せてくれるのか。そして、これから先も明秀日立から、どんな選手たちが巣立っていくのか。今後がますます楽しみでならない。










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