石毛宏典が語る黄金時代の西武(13)

石井丈裕 前編

(連載11:石毛宏典がサードから見ていた潮崎哲也の「魔球」シンカー 「あれは、バッターは戸惑いますよ」>>)

 1980年代から1990年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズ。同時期に在籍し、11度のリーグ優勝と8度の日本一を達成したチームリーダーの石毛宏典氏が、当時のチームメイトたちを振り返る。

 その13人目は、黄金期の先発ピッチャー陣を支え、球史に残る激闘となった1992年のヤクルトとの日本シリーズでМVPに輝いた石井丈裕氏。前編では、ピッチングの特徴やマウンド上での姿、性格などについて聞いた。

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【ソウル五輪で野茂などと一緒に先発の柱に】

――石井さんは、石毛さんと同じプリンスホテルの野球部出身ですね。

石毛宏典(以下:石毛) そうです。高校は早稲田実業で荒木大輔と同級生でしたよね。荒木がエースで、たけちゃん(石井氏の愛称)が控えだったと記憶しています。性格は几帳面で、野球に取り組む姿勢も日頃の生活態度もまじめでしたし、自分ら年上に対してだけではなく、誰に対しても気遣いができるタイプだと思います。確か、大学は法政だったかな。早実から法政に行くのも珍しいパターンですよね。

――プリンスホテル時代にはソウル五輪の日本代表に選ばれ、野茂英雄さんや、のちに西武で同僚となる潮崎哲也さんと先発ローテーションの柱となりました。

石毛 渡辺智男も(同代表に)選ばれていたけど、肘を故障してしまって、たけちゃんがローテーションに入って活躍したんですよね。

――石井さんのピッチングの印象はいかがでしたか?

石毛 コントロールがよかったです。アウトコースの出し入れ、スライダーの制球も抜群でした。

真っすぐに力があって、変化球はスライダー、シュートなどを投げていましたが、パームボールを覚えてからピッチングの幅が広がった気がします。三振も取れますが、それよりも、コーナーワークでバットの芯を外して打ち取るタイプでしたね。

 当時は工藤公康やナベちゃん(渡辺久信)、郭泰源、渡辺智男など、そうそうたる先発ピッチャー陣がそろっていましたが、そこに割って入って柱になった時期もありましたね。やはり、オリンピックで野球日本代表に選ばれるということは、それだけハイレベルなピッチャーということです。

【ピンチでも堂々としていた】

――当時の西武の先発ピッチャー陣は、他球団であればエース級のピッチャーが多かったと思います。そのなかで、石井さんはどんなタイプでしたか?

石毛 あくまで自分から見た印象ですが、ナベちゃんや泰源、智男は力で押していくタイプ。もちろん、変化球でかわすこともありましたけどね。一方で、たけちゃんの場合はコントロールがよく、コーナーワークで勝負するタイプだと見ていました。飛び抜けて速いボールを投げていた印象もなかったですし、そういう意味では、広島にいた北別府学っぽい感じかな......。まぁ、北別府みたいにのらりくらりとかわしていく、というタイプでもないのですが、近いタイプだとは思います。

――石井さんは与四球率が低いのも特徴でしたね。沢村賞を獲得した1992年は与四球率1.70(9イニングあたり)でした。

石毛 フォアボールを多く出すなどして球数が多いと、守備のリズムが悪くなるのですが、たけちゃんはその心配がないので守りやすかったですよ。たけちゃんが西武に入団した時にはチームにいなかったのですが、小野和幸(1981年~1987年に西武に在籍。1987年オフに平野謙と交換トレードで中日に移籍)が投げる時は球数が多くて(笑)。

 小野はカウントがスリーツーになったり、フォアボールを出すことが多かったので、マウンドに行って「早くストライクを放らんか!」と喝を入れたこともありましたね。まぁ、ストライクかボールなのかというのは審判との相性もあるんでしょう。たけちゃんがコントロールがいいというのは、審判も同じような印象だったんじゃないでしょうか。

――ちなみに小野さんは、中日に移籍して1年目で18勝を挙げ、最多勝を獲りました。

石毛 小野もそうだし、西武に来た謙ちゃん(平野氏の愛称)も大活躍しましたから、大成功のトレードでしたよね。

――石毛さんが守っていたサードから見て、マウンド上の石井さんはどんな感じでしたか?

石毛 マウンドさばきが落ち着いていましたし、どんな状況でもうろたえることなく堂々としていました。高校、大学、社会人、オリンピックと高いレベルで野球をやってきた経験がありますし、マウンド上で慌てるような表情、素振りは見たことがないです。

 ピッチャーによっては、ピンチの時などにマウンドに行って声をかけたりしていましたが、たけちゃんの時はほとんど行かなかったんじゃないかな。カウントや状況ごとに、常に自分で考えているのが見受けられましたから。

――実働は11年(西武9年、日本ハム2年)で、通算68勝52敗という成績でした。

石毛 1992年の日本シリーズでの活躍が印象的でしたが、実働年数は短かったですね。故障する投げ方ではないと思って見ていたのですが、腰痛なども抱えていました。ピッチャーのメカニクスにもいろいろあるんでしょう。いずれにせよ、黄金期の西武を支えてくれたピッチャーのひとりであることは間違いないですし、1992年の活躍は今でも心に残っています。後編では、その年のことについて話しましょう。

(後編>>)

【プロフィール】

石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。

同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

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