蘇る名馬の真髄
連載第35回:アイネスフウジン

かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。

ここでは、そんな『ウマ娘』によって再び脚光を浴びている、往年の名馬たちをピックアップ。その活躍ぶりをあらためて紹介していきたい。第35回は、記録と記憶が刻まれた1990年のGⅠ日本ダービーを制したアイネスフウジンを取り上げる。

『ウマ娘』でも持ち味として描かれる「逃げ」のスタイルで、記録...の画像はこちら >>
 責任感が強く、両親や妹たちのために家事をし、家計の足しのためにアルバイトまでしている長女。それが『ウマ娘』のアイネスフウジンである。レースでは飛び出しの速さに定評があり、先手を奪う逃げ・先行が持ち味だ。

 モチーフとなった競走馬・アイネスフウジンは、まさに逃げ・先行のスタイルで1990年の牡馬クラシックを沸かせた1頭。特にこの馬が制したGⅠ日本ダービー(東京・芝2400m)は、記録の面でも、記憶の面でも、日本競馬史の重要なワンシーンとして刻まれている。

 1989年に3歳(現2歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)でデビューしたアイネスフウジン。年末にはGⅠ朝日杯3歳S(中山・芝1600m)を制し、世代の主役となった。

 翌年、4歳になった同馬はクラシックロードの王道を行って、年明け初戦のGⅢ共同通信杯(東京・芝1800m)を完勝。続く前哨戦のGⅡ弥生賞(中山・芝2000m)は4着に終わるが、1番人気で一冠目のGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)を迎えた。

 だが、このレースではスタート後に不利を受けてしまい、序盤で余分な脚を使うはめに。道中2番手で運んで4コーナー手前で先頭に立って抜け出したものの、ゴール手前でハクタイセイの強襲に屈して2着に敗れた。

 二冠目は世代の頂点を決するダービー。400m距離が延びるうえ、直線が長い東京が舞台とあって、皐月賞で最後に追い上げを見せた3着メジロライアンが1番人気に推され、勝ったハクタイセイが僅差の2番人気で続いた。アイネスフウジンは3番人気。逃げ切りへの不安が持たれていたことは間違いない。

 しかし、アイネスフウジンは自らの身上を変えることはなかった。デビューからコンビを組んできた中野栄治騎手はハナを主張して、前半1000mを59秒8という淀みないペースで運んだ。

 3コーナーすぎ、ハクタイセイとカムイフジが早くも後方に迫り、直線入口では両馬が外から並びかけてきた。さらに、馬群を割って馬場の中央から追い上げてきたメジロライアンが、前を行くアイネスフウジンに襲い掛かってきた。

 長い直線、アイネスフウジンは再びライバルたちの末脚に屈してしまうのか――。

 だが、アイネスフウジンはそこから強さを発揮した。ピンクの勝負服をまとった中野騎手の叱咤に応え、後続との差をジワジワと広げていく。早めに仕掛けてきたハクタイセイ、カムイフジが脱落し、大外から懸命に脚を伸ばしてきたメジロライアンも並ぶことさえできず、アイネスフウジンが堂々の逃げ切り勝ちを決めた。

 この結果に熱狂したのは、この日東京競馬場に詰めかけた19万6517人の大観衆だ。この数字は、現在もJRA史上最高入場者数の記録として残っている。また、アイネスフウジンがマークした2分25秒3という勝ちタイムは、当時のダービーレコードだった。

 そして、このダービーが今なお語り継がれる一戦となっているのは、レース後にアイネスフウジンと中野騎手が引き上げる際、超満員のスタンドから自然と「ナカノコール」が沸き起こったことだ。以来、大レースのウイニングランにおいて、ジョッキーの名前がコールされるケースが増えていった。

 記録と記憶が刻まれた1990年の日本ダービー。このレースを境にして、それまでギャンブルだった競馬が「スポーツに変わった瞬間」だと評す声もある。

 アイネスフウジンはこのレースを最後に引退することになったが、競馬界に新たな文化を築き、見る側に多様な意識を生み出したことは間違いない。

その功績は決して小さくない。

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