沖縄尚学・末吉良丞インタビュー(前編)
沖縄尚学の比嘉公也監督は、厳しく選手と向き合う指導者として知られている。
練習中の選手と比嘉監督のやり取りを見ていても、選手からは指揮官に対する畏怖の念が伝わってくる。
【監督に怒られてもいい】
「『監督さんに怒られたらどうしよう?』と思うことはないですか?」
そう尋ねると、末吉は平然とこう言い放った。
「怒られてもいいと思ってるんで」
末吉によると、高校1年までは「なるべく怒られないようにしよう」という恐怖感があったそうだ。だが、やがて「バカバカしいな」という境地に至ったという。
「比嘉先生がなんで赤の他人である自分たちのために、本気で怒ってくれるのか。そう考えたら、先生は敵ではなくて味方じゃないですか。まずは自分のやりたいことをやって、結果的に間違っていても、どういう意図を持ってやったのか先生に伝えればいい。2年生になってから、そう思うようになりました」
昨夏の甲子園。末吉はマウンドに太い根を下ろすかのように、どっしりと腰の据わった投球を披露した。その姿には、末吉の芯の強さが凝縮されていた。
同期の実戦派右腕・新垣有絃(あらかき・ゆいと)との二枚看板で勝ち進み、全国制覇。
身長175センチ、体重90キロ。たくましい体躯ではあるが、上背があるわけではない。両親に野球歴はなく、末吉も特別に運動能力に優れるタイプではない。ただし、末吉は「強いて言えば」と前置きして、こう続けた。
「小さい頃から肩だけは強くて、上半身の柔軟性はよかったと思います」
【全国の名だたる強豪校から勧誘】
浦添市立仲西中では軟式野球部でプレー。最速145キロを計測し、県内外の名だたる強豪校から声をかけられた。そのなかには、誰もが知る全国屈指の名門も複数あった。だが、末吉は「とりあえず沖縄でやりたい」と、顧問を通して県外の高校に断りを入れたという。
沖縄尚学からは熱心に誘いを受けたわけではない。きっかけは同地区でプレーした慶留間大武(けるま・だん)だった。
「県内の別の高校に行こうと思っていたんですけど、慶留間から尚学に誘ってもらって。慶留間は小学生の頃からの知り合いで、お兄さんが尚学でプレーしていたんです。比嘉先生は自分と同じ左ピッチャーだし、U−18代表のコーチもしていました。この人に教わりたいと思って、自分から入れてくださいとお願いしました」
末吉が言うように、比嘉監督は自身も左投手として活躍し、1999年春のセンバツで沖縄県勢初となる甲子園優勝を経験している。母校の監督になってからは、東浜巨(ソフトバンク)ら好投手を次々に育成した実績がある。
末吉は1年時から公式戦のマウンドに立ち、秋には九州大会で優勝。2年時は甲子園に春夏連続出場し、前述の通り夏は優勝している。誰もが順調な道を歩んでいるように見えたはずだ。
だが、末吉は当時の自分自身をショッキングな言葉で表現した。
「ただの勘違い野郎でした」
末吉は重圧に押しつぶされそうだった日々について、口を開いた。
つづく>>










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