神戸国際大付・青木尚龍監督インタビュー(後編)

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 プロレスラーの入場曲が、神戸国際大付のアルプススタンドから初めて全国に響いたのは、2001年の選抜大会。青木尚龍(よしろう)が36歳の時だった。

【高校野球】グラウンドに鳴り響く「パワーホール」 弱小校を強...の画像はこちら >>

【勝つ喜びを知った大学時代】

「監督になって10年で甲子園に行けたんです。あの時は『ウチの学校が甲子園に行けるんや、本当に行けるんや!』と、夢のようでした。近畿大会で1回勝って、さらに次も勝って、『これで行けるの? ほんまに行けるの?』と、何度も周りの人に聞きましたからね」

 近畿大会初戦では、近江(滋賀)を相手に9回表に6点を奪う大逆転勝利。つづく準々決勝では、攻守の柱である坂口智隆(元オリックスほか)が姫路工業(兵庫)を完封し、チームは近畿ベスト4入りを果たして翌春の選抜出場を確実なものとした。甲子園初出場の思い出は、今も試合の内容とは別のところで、青木のなかに色濃く残っている。

「ウチはもともと男子校なんですが、なかなか野球で勝てなくてね。OBの先輩方も、夏になると職場などで高校野球の話題になるけれど、兵庫は強い学校が多いから、なかなか話題に入っていけなかったと聞いていました。それが、『やったで、ウチの高校が甲子園に出るで!』と言えた、と本当に喜んでくれたのが、とにかくうれしかった」

 OBである青木が高校に入学する前年までの八代学院(現・神戸国際大付)の夏の戦績を振り返ると、大会には16回出場し、そのうち9回が初戦敗退だった。

 青木の現役時代も、1年時は部員同士のトラブルにより県大会出場を辞退。2年時は、報徳学園がエースで4番の金村義明(元近鉄ほか)の活躍で全国制覇を果たす一方で、初戦敗退。1番・センターで出場した3年夏も、東洋大姫路が全国ベスト4に進出した裏で、やはり初戦で姿を消した。

 しかし、愛知工業大へ進学して臨んだ大学野球で状況は一変する。3、4年時には4季連続でリーグ優勝を果たし、3年時は神宮大会準優勝、副主将となった4年時には神宮大会優勝を経験。

エースは、のちに日本ハムで活躍する西崎幸広で、青木は「僕らは何もしていなかった」とNPB通算127勝の右腕を称えるが、この舞台で"勝つ喜び"を知った。

【25歳で母校の監督に就任】

 1989年に母校・八代学院野球部のコーチに就任し、翌90年夏の大会後、25歳で監督になった。そこからチームづくりと生徒指導に明け暮れる日々が始まった。当時は"手ごわい"生徒も少なくなかったが、「何か大きなことを成し遂げてやろう」というエネルギーに満ちた選手も多かった。

 プロレス界では"維新革命"を起こした長州力がアントニオ猪木超えを果たすなど、一大ブームに沸いていた時代。長州のテーマ曲『パワーホール』などをグラウンドに響かせながら、選手たちを徹底的に鍛え上げた。

 一方で、校名を広め、野球部の存在を知ってもらおうと、密かなPR活動にも力を注いでいたのもこの頃だ。飲みに出た帰り道、タクシーに乗ると、こう運転手に話しかけていたという。

「夏の大会が近づくと、『今年の兵庫はどこが強いんですか?』と聞いたりしてね。そこで何番目かにウチの名前が出てきたらうれしかったし、こっちから『最近、垂水のあたりの学校が強くなってきたみたいですけど』と話を振ることもありました(笑)」

 2001年春の選抜での初出場を皮切りに、2005年春、2010年春、2014年夏、2017年春夏、2021年春夏と出場を重ね、今回が9度目の甲子園となる。振り返れば、昨秋は地区予選初戦で須磨翔風に1対0で勝利したところからのスタートだった。

 兵庫大会は7試合を戦い、コールド勝ちは1試合のみ。1点差での勝利が2試合あり、総得点も36にとどまった。

近畿大会後半から神宮大会にかけて見せた強打とは、やや異なる印象がスコアからも伝わってくる。

「でもね、どのチームも秋はそうだと思うんです。接戦で勝った次の試合が大味な展開になったり、その逆もふつうにある。試合も基本的に土日ごとで間が空くので、1試合ごとにチームのカラーがまったく違って見えたりして、僕らが見ていてもわからないんです。そのなかで、とにかく負けたら終わりですから、1つ勝って、また次の積み重ねでしたね」

 兵庫1位で出場した近畿大会では、金光大阪、橿原学院(奈良)をそれぞれ3対1、3対0で下したあと、準決勝で大阪桐蔭を7対1、決勝で智辯学園(奈良)を7対6で撃破。打線が徐々に活発さを増し、神宮大会では中京大中京(愛知)に7対0、英明(香川)に6対2と快勝した。この2試合で5本塁打を放つなど、攻撃面の迫力が一気に増した。

【近畿王者として挑む今回の選抜】

 一方、守備面でも4人の実力ある投手が揃い、盤石の布陣を誇る。近畿王者として臨む春への期待は大きく膨らむ。兵庫、近畿を制し、神宮大会準優勝。その先に見据えるものは──。

「優勝候補の一角? ないです、ないです。兵庫で優勝して、近畿も勝って、神宮で準優勝。

でも、それは去年の秋のこと。たしかに去年の秋は、九州国際大付さんが1番で、ウチが2番だったけど、3月になったら関係ないことですから」

 初めて前年秋の近畿王者として出場した2005年の選抜では、大西正樹(元ソフトバンク)、有元一真という左右の好投手に加え、打線も強力。スケールの大きなチームでベスト4まで勝ち上がった。当時、選抜前に訪ねた際には、いかにも気の強さを感じさせる選手たちから、神宮大会で敗れた柳ヶ浦(大分)へのリベンジを誓う声が相次いでいた。

 今回も、チームのなかには神宮大会決勝で敗れた九州国際大付(福岡)への雪辱を期す思いは強くあるのだろうか。

 青木は「僕は相手がどうこうという考えはないので。選手もとくにそこはないんじゃないですか」と素っ気ない反応を見せたが、その直後の抽選会で初戦の相手が九州国際大付に決まり、"国際対決"の再戦が実現することになった。

 選手たちの気持ちがどう動いたのか興味は尽きないが、青木はあくまで「相手よりも自分たち」という姿勢を崩さなかった。

「とくに選抜前は体調不良が怖いんです。冬の間、しっかり練習を積んできたのに、インフルエンザで5日間ほど休んでしまい、筋力が落ちて元に戻すのに時間がかかった、というのはよくある話です。大会が終わってから『じつは投手の肩が痛かった』『じつは腰が悪かった』といった話もよく聞くでしょう? まずはコンディションをどれだけベストに整えて大会に入れるか」

【選抜出場の監督のなかで3番目に高齢の61歳】

 この話の最後に、青木は「まあ、ベテランの監督さんは、そのあたりのさじ加減もうまいんでしょうけど」と口にした。そこで今回の選抜に出場する監督のなかでは、最年長が専大松戸の持丸修一監督(77歳)、次が東洋大姫路の岡田龍生監督(64歳)、そして青木が61歳で3番目だと伝えると、「3番目? いややなあ~」と、やや大げさに顔をしかめて見せた。

「今でも選手とは冗談を言い合ったりして、考え方は若いほうだと思うんですけどね(笑)。でも、たしかに学校のなかでも昔は一番若かったのにどんどん上になって、今では......。まあ、歳はとるものですし、時代は過ぎていくものやからしゃあないけど」

 そう言うと、すぐさまプロレス話でつなげてきた。

「ノアの杉浦貴も50歳を超えているけど、すごい体をしていますからね。世間の50代でも、しっかりトレーニングして鍛えている人なら、体力的に20代に勝つ人もいっぱいおるでしょう。武藤(敬司)さんも膝を痛めて苦労しはったけど、58歳で一度チャンピオンベルトを巻いたしね」

 自分もまだまだ──そんな負けん気が伝わってくる。

 今回も、グラウンドとリングを行き来するような時間の締めくくりに、あらためてプロレスと高校野球を愛する青木の思いを尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「プロレスでもね、試合前にグッズを売ったり、リングを設営したりしている子が、だんだんと上のほうの試合に出るようになると、体も変わって、コスチュームも変わり、自分をアピールするようになっていく。自信がついてくるんですよ。その過程を見るのが好きなんです。

 高校野球もそこは同じで、練習を積み重ねて自信を持てるようになると、打席やマウンドでの立ち姿やプレーはもちろん、ユニフォームの着こなしまで変わってくる。そういう変化が見えた時に、『ああ、この子も頑張ってきたんやな、よし!』となるんです。

だから今回も、ウチの試合を見てもらった時に、『国際の子、ええよな』と思ってもらえたり、小学生や中学生が見て憧れを持ってくれたりしたらうれしいですね」

 まさに監督冥利に尽きる、ということなのだろう。さあ、大好きな野球を甲子園の舞台で思いきり楽しみながら、バックには尊敬してやまないレスラーたちのテーマ曲が響く。まさに"野球小僧にしてプロレス小僧"。青木にとっての至福の時間がどこまで続くのか。まもなく、神戸国際大付にとって6度目の春が幕を開ける。

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