ワールドカップ戦士が語る(2)
清武弘嗣インタビュー@後編
「2014年・ブラジル」

◆清武弘嗣・前編>>「3人が偉大すぎて超えられなかった」
◆清武弘嗣・中編>>「4年間で一番日本らしさを出せなかった試合」

 大きな期待を胸に臨んだ2014年ブラジル・ワールドカップ。しかし、清武弘嗣(ニュルンベルク/当時・以下同)に与えられた出番はグループリーグ最終戦の数分のみで、背番号8がピッチで輝けるチャンスは訪れなかった。

 だが、夢の舞台で失意を味わうも、ワールドカップに出場したことは決して無駄ではなかったという。かけがえのない経験を手にし、その後のキャリアに大きな影響を与えたからだ。

 アルベルト・ザッケローニ監督との出会いも、大きかったと振り返る。指揮官への感謝の思いを口にするとともに、ワールドカップの価値について、持論を語った。

   ※   ※   ※   ※   ※

【サッカー日本代表】清武弘嗣が語るザックジャパンの敗因 「監...の画像はこちら >>
── 立ち上げ当初の2011年アジアカップを制した時のサッカーと、2014年ワールドカップでのサッカーとでは、やり方がだいぶ違ってきたように感じていました。もちろん「対アジア」と「対世界」とではレベルも置かれた立場も異なるので、やり方が変わるのは当然かもしれませんが。

「その意味では、4年間で積み上げてきたサッカーではなかったですよね。まったく別のチームみたいな感じだったので。やっぱりコンフェデレーションズカップで勝てなかった(3連敗)ことが大きかったと思います。

 勝てない以上は、何かを変えなければいけない。監督とすれば、そう感じていたんでしょう。ただ、これまで積み上げてきたものを変えたくない選手もいたと思います。

長谷部(誠/ニュルンベルク)さんが選手の考えを監督にも伝えてくれていました。

 そのなかで、監督にも選手にも葛藤というか、迷いがあっただろうけど、たくさんのディスカッションをしたなかで、このサッカーでいこうということになった。それが結局、うまくはまらなかったということ。僕自身はそう思っています」

【一枚岩になるのは簡単ではない】

── 「史上最強」と言われていたチームが1勝もできなかったという意味では、失意もかなり大きかったのではないでしょうか。

「ロンドンオリンピックの時とは真逆の結果になってしまいましたからね。オリンピックの時は『最弱』と言われていたけど、ベスト4までたどり着くことができた。あのチームは一体感があったし、いい意味で割りきって、やることが徹底されていたと思います。

 一発勝負の短期決戦では、そういう部分が一番大事なんだなって思いました。ひとつのことを信じ抜くというか、誰かが『これ違うやろ?』って思いはじめても、それをストップできる選手だったり、同じ方向に持っていける選手が絶対に必要なんです。

 やっぱり、みんな個性があるから、ひとつにまとまるのって難しいんですよ。特に代表選手なんて『個性の塊(かたまり)』ですから。そんな選手が集まれば、一枚岩になるのは簡単ではないです。

 でも、まとまることができれば、それこそ最強になる。

今の代表チームを見ていると、それを感じるんですよね。外から見ているだけなので、本質はわからないですけど、力のある選手たちがひとつになって戦っている。本当にすごくいいチームだなって思いますね」

── ザックジャパンは、ひとつになりきれなかったということでしょうか。

「僕たちもまとまってはいた、と思います。でも、本当に最後まで監督を信じて、選手たちを信じてやりきれたかというと、そうじゃなかったのかなって。

 別に確執とか、わだかまりとか、そういうものがあったわけではないですけど、今あらためて思えば、まとまりきれなかったんでしょうね。結果的に1勝もできなかったわけですから」

── あらためてザッケローニ監督は、清武選手にとってどういう存在でしたか。

「自分をここまで大きくしてくれた存在ですよ。いろんな選択肢があるなかで、僕を代表に選んで、そして使ってくれた。

 ほかの監督だったらどうだったのかなって、考えたこともあります。たぶん、ザックさんじゃなかったら、代表に選んでくれなかったんじゃないでしょうか。だから僕にとっては、自分を成長させてくれた恩師のひとりですよね。

自分が変わるきっかけをくれた人かなと思います。

 僕は、あまり自信がなかったんですよ。主張するタイプではないし、ミスをすればヘコんでしまう。まだ若かったというのもありますけど、当時はそういうタイプでした。でもザックさんは、自分のよさを教えてくれたんですよね」

【優しいおじいちゃんのような存在】

── 具体的にどんな言葉をかけられたのでしょうか。

「キヨは常に安定したパフォーマンスを出せる選手だから、それを継続していってほしい。たしか、そんなようなことを言われたと思います。

 正直、自分のよさってわかっていなかったんですよ。足が速いわけでもないし、フィジカルが強いわけでもない。抜群に足もとがうまいわけでもなかったので、自分の特長ってなんなのかなって。

 だけど、ザックさんにそう言われたことで、安定感を意識するようになりましたし、実際にそこが特長になったと思います。こいつを使っとけば、ある程度計算が立つという信頼感を得られる選手になれたのかなって」

── ほかの選手にも愛されていたのでしょうか。

「みんな、好きだったと思いますよ。

最後の日に泣いている選手はけっこういましたから。本当にいろんなところを見てくれるし、いいところを伸ばしてくれる接し方をしてくれました。優しいおじいちゃんのような存在というか、本当にすばらしい監督でしたね」

── ワールドカップを経験したことは、その後のキャリアにどのような影響を与えていると思いますか。

「欲が出てきましたね。もっとこうなりたいとか、もっとこうしたいっていう欲はすごく生まれました。それまでの僕は自信もなかったし、欲もそれほどなかったんですよ。すでにドイツでプレーしていましたけど、日本にいる時から『海外でプレーしたい』という思いもあまりなかったんです。

 だけど、ああいう大舞台を経験して、自分ももっとこうなりたいとか、自分はもっとできるというふうに思えるようになったんですよ。試合にはそんなに絡めなかったですけど、あの舞台に立ち、あの雰囲気を味わって、すごい選手を間近で感じることもできた。

 そこで打ちひしがれるのではなくて、逆に自信が生まれたんですよ。もっと上を目指したいという思いを引き出してくれた大会だった。負けたけど、ここで終わりじゃなくて、むしろここからがスタートだって思えたんですよね」

【ワールドカップのおかげで今も現役】

── ワールドカップに出なければ、気づけなかった感覚ですよね。

「そうなんですよ。だから、ワールドカップでは当然、勝つことが一番重要ですけど、出るだけでも得られることがある。当時は23人で、今は26人しか経験できないけど、ワールドカップのメンバーに選ばれて、あの舞台に身を置くだけで、本当に成長できるんです。上に行くためのスタートの大会だと、自分は勝手に思っていますけどね」

── その意味では、「4年後のロシア大会でリベンジを果たしたい」という思いが強かったのでは?

「もちろん、僕だけでなく、同じロンドン世代の選手たちはほとんど試合に出られなかったので、悔しさもあったし、『次は俺らの番だ』という気持ちは強かったですよ。実際に(酒井)宏樹(ハノーファー)とか、サコ(大迫勇也/1860ミュンヘン)とか、(酒井)高徳(シュツットガルト)とか、次の大会では主力としてプレーしましたからね。

 僕自身も途中までは、よかったんですけどね。だけど、もうケガのオンパレードで、止まらなかったです。調子がいい時期もあったんですけど、思うようにはいかなかったですね。まあ、これも人生ということで。

 でも、今でも現役を続けられているのは、ワールドカップのおかげだと思っています、あの大会を経験できていなければ、ここまでやれていないと思う。だから、本当にワールドカップに出られてよかったと思います」

(文中敬称略/了)


【profile】
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ、大分県大分市出身。大分トリニータU-18から2008年にトップチームへ昇格。

プロ3年目の2010年にセレッソ大阪へ移籍し、頭角を現す。2012年からはニュルンベルク(ドイツ)へ移籍。その後、ハノーファー→セビージャ(スペイン)でプレーしたのち、2017年にC大阪へ復帰、2024年にサガン鳥栖への期限付き移籍を経て、2025年に古巣・大分へ完全移籍する。2012年ロンドン五輪、2014年ワールドカップ出場。日本代表・通算43試合5得点。ポジション=MF。身長172cm。

編集部おすすめ