ワールドカップ戦士が語る(2)
清武弘嗣インタビュー@中編
「2014年・ブラジル」

◆清武弘嗣・前編>>「3人が偉大すぎて超えられなかった」

 2014年5月、アルベルト・ザッケローニ監督はブラジル・ワールドカップ本大会に臨むメンバーを発表し、清武弘嗣(ニュルンベルク/当時・以下同)は無事に23人のなかに選ばれた。

 だが、大会が始まっても出番は訪れず、チームも勝つことができない。

ようやくピッチに立ったのは、すでに敗色濃厚だった第3戦のコロンビア戦の終了間際。ほとんどプレーに関与できないまま、タイムアップの笛を聞いた。

 悔しさを味わった清武は、出られないことに納得している部分もあったという。一方で勝てなかった原因については「戦い方の変化」と「迷い」を挙げた。

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── ワールドカップメンバーに選ばれた時は、どんな心境でしたか。

「とにかく、ドキドキでしたよ。それこそ、外れるんじゃないかと思っていました。継続的に選ばれていましたけど、ヨーロッパ遠征での使われ方を考えると厳しいかなって。

 だから名前を呼ばれた時はホッとしました。もちろん本番で活躍しないと意味はないんですけど、とにかくその時はうれしい気持ちでいっぱいでした」

── 清武選手は2012年のロンドンオリンピックにも出場していますが、ワールドカップの雰囲気はいかがでしたか。

「全然違いましたね。ロンドンの時も『これが世界大会か』っていう感じはしましたけど、やっぱりワールドカップはまったく別物でした。

でも、結果的に試合にはちょっとしか出られなかったので、本当の意味では味わえなかったのかもしれません」

── 大会ではコートジボワール、ギリシャ、コロンビアの3チームと同組になりました。まず初戦のコートジボワール戦を振り返ると?

「早い時間帯に(本田)圭佑くん(ミラン)が決めてくれたので、流れは日本にあったと思うんですよ。ただ、本当に(ディディエ・)ドログバ(ガラタサライ)の登場がすべてでしたね。

 彼が後半から出てきて、会場の雰囲気がガラッと変わった。それがベンチにいても感じたんですよ。そうしたら直後に追いつかれて、すぐに逆転されてしまった。ちょっと信じられなかったですね」

【若い世代が盛り上げ役を担っていた】

── 日本の選手たちがプレッシャーを感じてしまったのでしょうか。

「僕が感じたのは、日本がどうこうというよりも、ひとりの選手の力でこれだけ雰囲気が変わるのかということ。それほどのオーラというか、影響力がありましたね。

 ワールドカップの雰囲気もあるでしょうし、会場の期待感というのもあったんだと思います。たったひとりですべてを変えてしまった......それくらいの衝撃でした」

── 大事な初戦で逆転負けを喫したダメージは大きかったのでは?

「いや、雰囲気は全然悪くなかったです。まだ2試合あるし、両方勝てば(決勝トーナメントに)行けるでしょうっていう感じでした。

 ただ、短期決戦なので、負けた以上は修正しないといけない。

だから、もっとこうしたほうがいいとか、いろんな声が飛んでいましたよ。僕も含めて出られなかった選手もバラバラにならないように、チームを盛り上げようと前向きな声を出していた記憶があります」

── 「俺を出せ」という思いにはならなかったのですか。

「全然ないです。やっぱり勝ちたいですし、短期決戦だから雰囲気は絶対に重要だと思っていました。僕はそこにけっこうフォーカスしていましたね。

 あの大会では、練習からいい空気感を作り出すことを意識していました。僕だけじゃなくて、サブの選手たちはみんな心がけていたと思います。あの時は(酒井)高徳(シュツットガルト)とか(齋藤)学(横浜F・マリノス)とか、(酒井)宏樹(ハノーファー)もいて、結果的に彼らは試合に出られませんでしたけど、僕ら若い世代が盛り上げ役を担っていたと思います」

── 勝利が求められた第2戦のギリシャ戦では、相手が退場者を出して数的優位に立ちながらも、スコアレスドローに終わりました。あの試合で勝ちきれなかったことで、苦しい状況に追い込まれてしまいます。

「たぶん、ザックさん(アルベルト・ザッケローニ)の下で4年間やってきたなかで、あの試合が一番日本らしさを出せなかった試合だったんじゃないかなと思います。相手が退場したなかで、なかなか点が取れなくて、焦る気持ちもある。そのなかで積み上げてきたものを、まるで出すことができなかった。

 外回しのボールが多かったし、厳しいところになかなか入らない。もちろん相手が割りきって守りを固めてきたことも影響したと思いますが、単純なミスも多かった。引いた相手を崩せずに、焦りからミスが出てしまう。ベンチから見ていて、それがすごく印象に残っています。だからギリシャ戦は、1戦目よりも試合後にガクッときたのを覚えています」

【最後に使ってくれたことは感謝】

── それこそ、出番を与えてほしかったのでは?

「この試合に出られなかったことで、ちょっと納得した部分もありました。ヨーロッパ遠征からなかなかうまくいかず、メンバーには選ばれたけど、ザックさんのなかでの信頼度は落ちていたんだなって。

 僕は2011年に韓国戦でデビューして、そこから3年間、継続的に積み上げていくことができなかった。最初の頃はよくても、だんだんと調子を落としてしまったんです。

 最後の1年で調子がよかった人が入ることもあれば、ずっと入っていた人が外れることも当然あります。僕はメンバーには入れましたけど、結果的にうまく調整できなかった。気持ちの部分で踏ん張りきれなかったところもあります。

 だから、ワールドカップで試合に出るのは、本当に難しいことなんだなって。ギリシャ戦で出られなかったのも、今の状態ではやっぱり使ってもらえないんだなって、妙に納得してしまったんですよね」

── それでも第3戦(コロンビア戦)に勝てば、決勝トーナメントに進出できる可能性が残っていました。

ところが1-4の完敗に終わり、ひとつの勝利も挙げられないままブラジルの地を去ることになりました。

「あの試合は、これまで出ていなかった選手が起用されましたし、僕も最後に少しだけピッチに立つことができました。先制されながら一度は追いついたんですけど、この試合ではハメス(・ロドリゲス/モナコ)にやられましたね。後半から出てきて、完全にやられてしまった。見ていても本当にやばい選手だなって」

── 清武選手は終了間際の85分、香川真司選手(マンチェスター・ユナイテッド)に代わって出場しました。あの時の心境は?

「3点差をつけられていたので、一矢を報いたい気持ちもあったんですけど、悔しさのほうが大きかったかもしれません。でも、ザックさんがどういう狙いで僕を送り込んだかわからないですけど、3年間見てくださって、最後に使ってくれたことは、やっぱり感謝ですよ」

【違う考えを持っている選手もいた】

── 惨敗に終わったこのワールドカップの敗因は、どこにあったのでしょうか。

「正直、本大会でも迷いがあったと思います。あらためて代表チームを作っていくことの難しさを感じましたね。今、冷静に考えると、最後のコロンビア戦はチームとしてバラバラだったのかなって。

 選手とスタッフの絆(きずな)は強かったし、最後の解散式の時にザックさんは泣いていました。何人かの選手も泣いていましたね。

それくらい絆が強かった分、結果を出せなかった悔しさは大きかったですよ。

 ただ、強い結びつきがあったとしても、選手も生き物だから、意見や考え方がまとまらない部分もある。監督の求めることを納得している選手もいれば、違う考えを持っている選手もいたと思います」

── 折り合いがつかない部分もあったと?

「落としどころを見出せなかったのかもしれません。どこまで選手に求めて、どこまで選手の意見を聞くのか......とか。

 今の代表って、けっこう選手主導じゃないですか。ヨーロッパでプレーする選手たちが多いし、経験値も高いから、そういったチーム作りも可能なんでしょうけど、あの時はまだ海外組が半分くらいだったんですよね。そのなかで意見をすり合わせることが、難しかったんだと思います」

(文中敬称略/つづく)

◆清武弘嗣・後編>>ザックジャパンの敗因「信じてやりきれたかというと......」


【profile】
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ、大分県大分市出身。大分トリニータU-18から2008年にトップチームへ昇格。プロ3年目の2010年にセレッソ大阪へ移籍し、頭角を現す。2012年からはニュルンベルク(ドイツ)へ移籍。その後、ハノーファー→セビージャ(スペイン)でプレーしたのち、2017年にC大阪へ復帰、2024年にサガン鳥栖への期限付き移籍を経て、2025年に古巣・大分へ完全移籍する。2012年ロンドン五輪、2014年ワールドカップ出場。

日本代表・通算43試合5得点。ポジション=MF。身長172cm。

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