1985年8月12日夜、520人が犠牲になった日本航空123便墜落事故は、単独の航空機事故としては世界最多の犠牲者を出した事故。御巣鷹の尾根で回収された遺体の多くは損傷が激しく、DNA鑑定もない時代。
犠牲者のおよそ4割が「歯」や「骨」の特徴から身元が確認された。
その作業に従事したのが、東京歯科大学名誉教授で歯学博士の橋本正次氏。あの夏の現場は、日本の災害時の身元確認の原点となった。事故から41年、そこで得たものは何に受け継がれているのか。身元確認の現場と、遺族と向き合う報道のあり方を聞いた。

日本航空123便墜落事故から41年。「DNA鑑定が存在しない...の画像はこちら >>

背景には「奉仕」の思いが

――日航機墜落事故で身元確認に携わることになった経緯を教えてください。東京歯科大学として組織的に動員されたのか、個人として参加されたのでしょうか。

橋本:個人ではなく、私が所属していた法歯学講座が動くことになったんです。事故後すぐに現場に向かった当時の鈴木和男教授(故人)から「来られる者は来い」という連絡があり、4日後の8月16日に、私を含む3人が群馬へ向かいました。

いま思えば、あの頃は歯が身元確認の決め手になるという認識そのものが、世間にも、医療の現場にすらあまりなかった。だから、そもそも歯科の人間が呼ばれること自体が異例でしたし、急な要請で参加できる人員も限られていたんです。

現地に行く費用についても、日本航空からは一切受け取っていないと聞きました。交通費はのちに大学から出して頂いたと聞きました。
「法歯学は奉仕の学問だ」という教授の考えがあったからです。

急きょ駆けつけた現場の状況は…

――藤岡市民体育館での作業が始まった当初、現場の状況はどのようなものでしたか。

橋本:まず、墜落現場は御巣鷹の尾根、深い山の中です。自衛隊の方々が斜面を捜索してご遺体を見つけ、回収するのですが、そこから人の手で担いで山を下りるわけにはいきません。そこで山の上にヘリポートが設置されました。

見つかったご遺体は毛布のようなブランケットにくるみ、ヘリコプターでそのヘリポートから運び出します。降ろす先は、藤岡市民体育館の裏手にある大きな運動場です。

運動場に降ろされたご遺体は、その場で棺に納めます。そして棺のまま体育館の中へ搬入し、番号をつけて登録する。そこから先が、警察官や医師、歯科医師、看護師などの仕事です。一体ずつ、確認のための検査に回されてきました。

運ばれてくるのは、大きなご遺体から小さな断片まで。損傷の程度に関しても、まったく焼けていないものから、完全に焼けてしまったものまで様々でした。
真夏ですから、山で何日か経てば必ずハエが卵を産みます。ウジがわいた状態で下ろされてくると、看護師さんたちがそれを洗い落とし、ようやく検査に回せる。終わったら棺にドライアイスを入れて保管し、ドライアイスは毎日のように詰め替える。医療関係者は、多いときで数百人、歯科医師だけでも100人を超えていたと思います。

機体の壊れ方で明暗が分かれた

――機体はどのように壊れ、なぜ後部座席の4人だけが助かったのでしょうか。

橋本:飛行機が墜落時に2か所で折れて、3つに分かれたんです。そのうち、後部側は前後が反転し、後ろから山の斜面を滑るようにして沢まで下り、そこで停まった。だから、ここから見つかったご遺体にはほとんど火傷がなかった。身体も背もたれに支えられていたためシートベルトによる切断は無いけれど、圧死や内臓破裂で亡くなった方が多かった。

機体中部にはエンジン部分があり、これが燃えてカランカランの白骨になっていた人もいました。一方、機体前方や2階部分に乗っていた人は、骨の損傷が極めてひどく、その形態をとどめていないものも多くありました。

生存者は後部座席にいた4人。いずれも女性で、たまたま座席の隙間に空間ができたところに収まったので助かったんだと思います。
あの事故で「後部座席が安全だ」と言われましたが、そんなことはない、たまたま、この事故ではこういう壊れ方をしたから助かったということではないでしょうか。

遺体特定を支えた歯の情報

――身元確認において歯科所見が果たした役割を教えてください。518人という高い身元確認率に、法歯・法人類学の手法はどの程度貢献したとお考えですか。

橋本:過去の大きな航空機事故は、ヨーロッパの報告でも遺体のおよそ4割が歯で身元確認されています。どの事故もほとんどそうなんです。日航123便も計算すると39.8%。ほぼ同じ数字でした。15歳以下の乗客については、歯や骨から性別や年齢、血液型がわかり、乗客名簿との照合で確認ができました。

歯の情報が得られないものについては、所持品、外見で見当をつけながら、最終的には指紋や足紋、血液型、本人固有の身体的な特徴などで確認していく。本来、所持品で「Aさんだ」と決めてはいけない。当時でも、確認は指紋か歯できちんとやる必要があったわけです。家族のなかには歯科医からもらったカルテの写しを握りしめて、遺体の間を歩き回っている方もいました。

この事故で、歯や骨が個人識別にいかに重要かが世の中に認識されました。
そしてその後、全国47都道府県に警察歯科医制度ができ、現在に至っています。これは、この事故が残した大きなものだと思います。

情に流されぬ倫理が必要だった

――作業を進める中で、技術的・倫理的に難しいと感じた場面はありましたか。当時の法歯学の限界として痛感したことは。

橋本:技術的には、バラバラになったご遺体をどう結びつけるかが最大の難題でした。いまなら、すべてのご遺体のDNAを調べれば、同じDNAを持つ断片を一人としてまとめられる。でも当時はDNA検査がなかった。あちらで手が見つかり、こちらで胴体が見つかっても、つなげようがないんです。私は、切り口を見て「これは合う」、この骨は何歳くらいの男性だ、と一つずつ照合していきました。

倫理的に痛感したのは、身元確認はあくまで科学的にやるべきで、情に流されてはいけない、ということです。たとえば、鼻の穴が三つあるご遺体がありました。動かしてみると、一つの穴と二つの穴の断片に分かれる。一方は男性、もう一方は女性でした。


そうなると、つい「新婚旅行のご夫婦だったんですね」「顔を寄せ合って、最後まで抱き合って亡くなったんですね」と、ストーリーを作ってしまう。ご遺族は救われるかもしれない。実際、そう伝えれば「二人で一緒に逝けたんですね」と感謝もされる。でも、それは科学ではないんです。そういう説明はいかがなものか、と思ったことが何度かありました。

信仰や文化で異なる弔いの形

――身元確認において、宗教や文化への配慮はどの程度必要だとお考えですか。

橋本:先ほど「情に流されてはいけない」と言いましたが、それは鑑定の話です。誰であるかを見極める作業は、あくまで科学をもとにしなければならない。けれど、確認したご遺体をどうお返しするか、ご遺族とどう向き合うかは、まったく別の軸なんです。ここを混同してはいけないと思っています。

だから私は、作業の後半に一つ提案をしました。残されたご遺体を、すべて一度ドライアイスから出して調べ直そうと。8日間かけて、凍って固まったご遺体を一体ずつ戻し、手で触れながら、右手の棺、左手の棺、右足の棺と、部位ごとに新しい棺へ移し替えたんです。


なぜそこまでするのかというと、日本人家族は、亡くなられた方の手も足も最後の一本まで探してあげようとします。死後の世界でご飯が食べられない、顔が洗えない、と考えるからです。だから「右足が見つからないご遺族は、右足の棺を見てください」とお話しました。

ところが、ある女性の足を特定して、家族に連絡したものの、現場に来られないとのことでした。電話でお話ししたところ、「見つけていただいてありがとうございました。娘は他のわからない方々と一緒に焼いてください。娘は神に召されて、いま幸せです」と言われました。クリスチャンだったんですね。国や信仰が違えば、弔いのかたちも、ご遺族が本当に望むことも大きく変わる。だから災害の身元確認では、宗教や文化への配慮が絶対に欠かせないんです。

遺族対応を行った職員にも大きな負担が

――約4か月にわたる作業を終えた後、どのようなお気持ちでしたか。遺族への思いも含めてお聞かせください。

橋本:作業は8月から12月まで、およそ4か月に及びました。12月8日にすべての見直しを終えたあと、まだご家族が見つかっていないご遺族に、「確かめたいことがあればお越しください」と連絡をしました。そうして待ち続け、12月13日の金曜日に区切りをつけました。その一週間後、12月20日が合同葬でした。

遺族対応でいえば、日本航空が犠牲者のご家族一人ひとりに職員を一人つけて、ずっと付き添わせていました。その世話役と仲良くなって、いまも家族ぐるみで付き合っている事例も見られます。一方で、どうしても受け入れてもらえず、自ら命を絶った職員もいたと聞きました。

ご遺族は限界まで追い詰められています。事故を起こした航空会社の職員が目の前にいれば、その怒りが向かうのは当然です。だからこそ、誰を担当につけるかを慎重に見極め、そして付き添う担当者自身も一人で抱え込まないよう支える仕組みがいる。それを怠れば、ご遺族が救われないばかりか、対応する側も壊れてしまう。あの現場で痛感しました。

取材で傷つけられた尊厳

――この事故では報道の過熱も問題になりました。災害報道のあり方をどうお考えですか。

橋本:伝えることが仕事である以上、現場に来ること自体を否定するつもりはありません。使命感を持ってやっている方がいるのも承知しています。

ただ、あのときは一線を越えるものが少なくなかった。体育館の周りには報道陣が張りついていて、ご家族が出入りするたびに駆け寄り、「今のお気持ちはどうですか」とマイクを向ける。悲しいのは誰だってわかっている。「この人は何を聞きたいんだ」と思いました。いま何が起きているのかを事実として知りたいだけなら、わざわざ直撃する必要はないはずです。耐えかねたご遺族から、なんとかしてほしいと訴えてこられたこともありました。

さらにひどいものもありました。安置所は本来、報道は立ち入り禁止です。それでも入ってくる。心配そうにご家族の後ろについて、一緒に中まで入ってしまうんです。しかも白衣を着ている。中にいる者から見れば、医療スタッフの一人にしか見えない。

そうして棺が開けられると、すっと足元のほうへ回り込む。白衣にカメラを仕込み、ポケットの内側を切った隙間から撮るんです。棺の中で眠る被害者の顔を、いったい誰が見たいというのか。しかし、その写真が当時の写真週刊誌に載った。見せてもらえないものが見られる、というだけで売れてしまう。それは、ご遺族を食い物にしているだけだと痛感しました。

高浜雅己機長を世間が責めたのも、私は違うと思っています。同じ状況でシミュレーションをやれば、ほかのパイロットだったらみんな10秒ほどで墜落してしまうと聞きました。それを30分飛ばしたんです。超一流ですよ。でも結果が悪ければ、恐怖を与えた側として見られてしまう。事実を正確に伝えることと、ご遺族の役に立つことは、両立できるはずなんです。そこを引き受けてくれる報道であってほしいと思います。

あまりに大きな犠牲が教えてくれたのは…

――事故から41年、日本の身元確認体制はどこまで整備されたとお考えですか。今後の課題は。

橋本:警察歯科医の制度が全国に整い、体制は大きく前進しました。DNA鑑定という強力な手段も加わりました。あの当時を思えば、隔世の感があります。

ただ、「DNAさえあれば何でもわかる」と結論付けるのには危うい印象を抱きます。DNA情報には名前がないんです。「あなたのDNAを知っていますか」と聞かれても、誰も答えられないでしょう。照合する資料がなければ、誰であるかまではたどり着けない。だからこそ、まず歯で身元を確認するべき。そのご遺体のDNAがわかれば、そこから手足の断片へとつなげていける。どちらが優れているという話ではなく、順番と組み合わせの問題なんです。

社会の変化も課題です。歯科に通わない人が増え、カルテが残っていない。未曾有の状態で大きな災害が起きたとき、何を手がかりにするのか。2026年秋の発足をめざす防災庁も、いまは南海トラフ地震や首都直下地震といった自然災害に視線が向いています。航空機事故のような人災まで含めて、身元確認や遺族対応をどう位置づけるのか。細部まで見据えた議論をしてほしいと願っています。

とはいえ、私は悲観していません。歯が身元確認の決め手になると誰も知らなかった時代から、いまは全国に警察歯科医がいて、鑑定の技術も格段に上がりました。かつては現地へ飛ぶしかなかったものが、いまは写真一枚を送れば、その日のうちに照合ができる。備えの形は、確実に前へ進んできたんです。

520人という、あまりに大きな犠牲が教えてくれたことを、次の災害で一人でも多くの方をご家族の元へお返しするために活かす。それが、あの現場に立った私たちの責任だと思っています。

<取材・文/菅原春二>

【菅原春二】
東京都出身。フリーライター。6歳の頃から名刺交換をする環境に育ち、人と対話を通して世界を知る喜びを学んだ。人の歩んできた人生を通して、その人を形づくる背景や思想を探ることをライフワークとしている。
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