連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
最終回 羽生結弦 #3

 今年2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪では、団体戦を含め史上最多となる6個のメダルを獲得した日本フィギュアスケート。その偉大な功績は、これまでの日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩があったからこそだろう。

 2002年ソルトレイクシティ大会から2022年北京大会に出場した日本人フィギュアスケーターを振り返る本連載最終回(第14回)は、2014年ソチ五輪と2018年平昌五輪を連覇するなど数々の金字塔を打ち立ててきた羽生結弦のキャリアを振り返る。3回目は、ソチ五輪後の苦闘と平昌五輪連覇への道のりについて。

羽生結弦、五輪連覇の舞台裏 ケガで欠場中に取り組んだ「勉強」...の画像はこちら >>

【大事故に見舞われるなか執念の演技】

 2014年ソチ五輪の金メダル獲得で最初の目標を達成し、次の目標である「五輪連覇」に向けて歩み出した2014−2015シーズン。羽生結弦は「五輪王者だから評価されるのではなく、五輪王者らしい演技をするから評価は高くなるものだと思う」と自分にノルマを課し、表現の幅を広げる新たな挑戦としてショートプログラム(SP)に繊細なピアノ曲『バラード第1番ト短調』を選んだ。

 しかし、シーズン初戦のGPシリーズ・中国大会でいきなりアクシデントに見舞われた。フリーの6分間練習でジャンプに入ろうとした瞬間、同じようにジャンプに入っていたハン・ヤン(中国)と衝突したのだ。

 それでも、アメリカのチームドクターに応急処置をしてもらって、羽生は強行出場。5回も転倒したが、合計237.55点とまとめて2位に入った。

 のちの精密検査で全治2~3週間と診断された羽生は、「GPファイナル進出を諦めたくない」と、3週後のNHK杯にも出場。4位にとどまったが、ランキング6位でファイナル進出を果たした。

 そのGPファイナルでは、SP首位発進すると、フリーでも4回転サルコウとトーループをきっちり決めて合計288.16点で優勝。全日本選手権でも2位に35点の差をつける合計286.86点で頂点に立った。その滑りは勝利への執念を見せつける見事なものだった。

 だがその直後、「尿膜管遺残症」との診断を受けて手術。2週間の入院を余儀なくされた。退院後も右足首捻挫で練習できない期間があり、十分な準備ができぬまま臨んだ世界選手権では、ハビエル・フェルナンデス(スペイン)に屈して2位に終わった。

【驚異的なハイスコアを次々にマーク】

 翌2015−2016シーズンは、他を圧倒する飛躍のシーズンとした。GPシリーズのカナダ大会こそパトリック・チャン(カナダ)に敗れ2位に終わったが、次のNHK杯で覚醒。SPでは『バラード第1番ト短調』の前半に4回転サルコウと4回転トーループ+3回転トーループを入れる難度の高い構成に変更し、その難しいジャンプをノーミスで滑り、自身が持つ世界歴代最高得点を5点近く更新する106.33点を出した。そして、フリーも気迫のノーミス演技で、合計は史上初の300点超えとなる322.40点をマークして優勝した。

 さらに2週間後のGPファイナルでは、SP110.95点、フリー219.48点と驚異的な得点をマークし、合計330.43点を叩き出した。その結果を振り返って、「NHK杯の時は『やった』と素直に喜べましたが、今回は『よかった』という安堵感のほうが大きかった」と羽生。その理由についてはこう語った。

「NHK杯で結果を出したあとで、追われる立場になったというのが"怖かった"要因のひとつでもあると思います。ソチ五輪で優勝し、世界選手権でも勝ったあと、自信を持って臨んだ中国杯でケガをして、次のNHK杯でもミスが出た。GPファイナルに向かう時に『挑戦者に戻れる』と自分が言った言葉が印象に残っています。

だから(今回は)そうじゃない状況が怖かった。でも、こういう環境も一種の自分との戦い。たとえ追われる立場になったとしても、自分を取り巻くいろいろな条件と戦っていかなくてはいけないんだなと思えた試合でした」

 全日本選手権4連覇達成のあとの2016年世界選手権は、練習中に痛めた左足甲の靱帯損傷の影響もあって前年に続く2位にとどまった。大会終了後には「左足リスフラン関節靱帯損傷」で全治2カ月と診断され、新シーズンへ向けては治療とリハビリに専念することになった。

 羽生は負傷中のなかでも2016−2017シーズンへ向け、さらなる挑戦を始めた。トーループの練習を制限されるなか、4回転ループの習得が進み、構成に入れることを考えた。そして7月にはSPの4回転をループとサルコウにし、フリーはサルコウ2本とループ、トーループの4本構成で臨むと明らかにした。

 このチャレンジはなかなかノーミスの演技にはつながらなかったが、GPシリーズ2戦目のNHK杯では自身3回目の300点台となる301.47点を記録して優勝。GPファイナルでは4連覇達成と結果を残した。

 ただ一方で、シーズン後半の四大陸選手権では303.71点を出しながら、ルッツやフリップなど4種類の4回転ジャンプを跳ぶネイサン・チェン(アメリカ)に敗れて2位。新勢力の登場を実感させられることになる。

 それでも、世界選手権では王者の貫禄を示した。

SPでは109.05点のフェルナンデスを筆頭に3位までが100点台に乗せるハイレベルな戦いのなか、羽生は98点台の5位と出遅れたものの、フリーの『ホープ&レガシー』の4回転4本構成を完璧に滑って223.20点。合計321.59点で優勝し、次の平昌五輪シーズンへ向けて期待が膨らむ結果を出した。

【逆境を跳ねのけ五輪連覇を達成】

 平昌五輪がある2017−2018シーズン。五輪連覇に向け、SPはソチ五輪後の2シーズンを滑った『バラード第1番ト短調』を選択。フリーは2シーズン前に「和の雰囲気を世界でどう評価されるか見てみたい」と採用し、歴代世界最高得点を連続で更新した『SEIMEI』を選んだ。

 9月のオータムクラシックでは、フリーでサルコウ、トーループ、ループにルッツも加えた4回転4種類5本の構成に挑むことを表明した。その1週間前のUSインターナショナルクラシックでチェンが5種類目の4回転であるループを成功させていたこともあり、彼のこれからの進化も予想しての挑戦だったのだろう。だが、その挑戦はのちに羽生を窮地に追い込むことになる。

 チェンとの対戦となったGPシリーズ・ロシア大会は、SPで転倒のミスが出てチェンに5点以上差をつけられる2位発進となった。フリーは4回転の成功こそ3本にとどまったが、冒頭の4回転ルッツを成功。4回転4本成功のチェンをしのいで1位となったが、総合順位ではチェンに届かない2位にとどまった。羽生はそれでも、4回転ルッツの成功に大きな手応えを感じていた。

 ところが、2戦目のNHK杯で思わぬ事態が起こった。体調不十分のなか臨んだ前日の公式練習中、4回転ルッツで右足首を負傷。翌日には「右足関節外側靱帯損傷」の診断とともに、大会欠場が発表された。さらに、その治療にはかなりの時間を要し、全日本選手権までも欠場することになってしまった。

 そのため、平昌五輪の代表には実績が評価されて選出されたものの、羽生は連覇をかけた大舞台にぶっつけ本番で挑むことになった。

「ケガをしてからの3カ月間は試合を見るだけだったし、スケートができないきつい時期を過ごしていました」と話す羽生の平昌入りは、男子SPの5日前だった。2月13日の公式練習後の記者会見には各国の記者も大勢駆けつけ、注目度の高さをうかがわせた。

 羽生はケガでスケートができない期間、陸上でのトレーニングに力を注いできた。それは「無駄な時間ではなく、多くのことを学べた時間だった」というが、氷上練習に入ってジャンプが跳べるようになったのは、この会見の数週間前のこと。3回転とトリプルアクセルがおよそ3週間前、4回転は2週間半前くらいだった。そんな状況にありながら、羽生は落ちついた表情で記者たちの質問に淡々と答えていた。

 迎えた2月16日のSP。

羽生は周囲の危惧を吹き飛ばすような完璧な演技を見せた。冷静な集中力を身体中にみなぎらせたように滑り出すと、「4回転サルコウは朝の曲かけ練習で失敗したので若干不安もありましたが、調整法も含めてスケートができない時期に書籍や論文などで勉強したものが出せました」と羽生。最初の4回転サルコウから最後まで一瞬もよどむことがない、流れるような演技だった。

 得点は自己最高に迫る111.68点。2位のフェルナンデスに約4点差をつけての首位発進を決めた。

「本当に練習どおりです。すべてのことを自分の身体が覚えていると思ったし、とにかくアクセルもトーループもサルコウも、何年間もずっと一緒につき合ってくれたジャンプなので。そういう意味では感謝をしながら跳んでいました」

 しかし、まだ痛みは残っていて痛み止めを服用しての演技だった。翌日のフリーでは「ケガをしたからいろいろ考えることもあったし、作戦も学んだし、『勝つためにここに来たのだ』という気持ちがありました」と、4回転ループを回避し、4回転4本とトリプルアクセル1本の構成に決めた。

 羽生は最終グループ4番滑走で、SP2位のフェルナンデスと3位の宇野昌磨があとに続く滑走順だった。SPと同じように冷静に滑り出し、最初の4回転サルコウと次の4回転トーループをGOE(出来ばえ点)加点満点のジャンプにすると、後半の4回転サルコウ+3回転トーループもきれいに決める。

 次の4回転トーループは着氷を乱して予定していた3連続ジャンプにできなかったが、それでもトリプルアクセルをつけてリカバリー。

最後は「跳べるようになったのもギリギリ。痛みとの戦いのなかでなんとか跳べるようになったジャンプ」という3回転ルッツをどうにか堪えて、ミスを最小限に抑えて滑りきった。

 その得点は206.17点。フリーでは4種類6本の4回転を跳んだチェンに及ばない2位だったが、合計317.85点で男子シングルとして66年ぶりの五輪連覇を果たした。

 羽生はメダルセレモニーのあと、笑みを浮かべながらソチ五輪との違いをこう語った。

「ソチの時のがむしゃらさとは違い、今回は本当に『(メダルを)獲らなきゃいけない』という使命感もあったし、だからこそ『逃したら......』という気持ちも少なからずありました。19歳の頃は(五輪本番まで)もっと時間があると思っていたけど、今回の五輪は『もう時間がない。こうやって大きな舞台で演技ができるのがあと何回あるかわからない』という緊張のなかでの戦いだったので、ある意味、五輪(というもの)を強く感じられたのかなと思います」

 羽生の凄まじい精神力をあらためて実感させる大会だった。大会最終日のエキシビションで羽生は大トリを務め、2016年カナダ大会でタチアナ・タラソワ氏に「ぜひ踊ってほしい」とプレゼントされた『Notte Stellata(星降る夜)』を舞った。

 ソチ五輪のエキシビションで披露したのは、東日本大震災が発生したシーズンのSP『ホワイトレジェンド』だった。それぞれの選択について、羽生は次のように語った。

「ソチの『ホワイトレジェンド』は震災の頃の経験を重ねたものになっていた。でも今回はさらに羽ばたくような振り付けもあるので、震災から立ち直った皆さんが少しでも元気になり、明るくなるような気持ちを込めた演技ができたらなと思って滑りました」

 五輪から帰国後、右足関節外側靱帯損傷、腓骨筋腱損傷と診断された羽生。代表に決まっていた世界選手権出場を断念し、このシーズンを終えた。

最終回につづく

<プロフィール>
羽生結弦 はにゅう・ゆづる/1994年12月7日生まれ、宮城県仙台市出身。2009年ジュニアGPファイナル、2010年世界ジュニア選手権を制覇。2014年ソチ五輪で日本男子フィギュアスケート初の金メダルを獲得すると、2018年平昌五輪では66年ぶりとなる男子シングル連覇を達成。その間、世界選手権2度優勝、GPファイナル4連覇など数々の偉業も遂げる。2022年、北京五輪(4位)に出場後、同年7月にプロへ転向。自身で企画・プロデュースを手掛ける単独アイスショーを開催するなどプロスケーターとして精力的に活動している。

折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

編集部おすすめ