ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(16) 前編(全3回)

 子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽くす連載。その第16回は、8月4日に85歳で亡くなった名レスラー、ドリー・ファンク・ジュニアさんの「不穏試合」に思いを馳せた。

【追悼】ケンコバが語るドリー・ファンク・ジュニアの「不穏試合...の画像はこちら >>

【語り継ぎたい不穏試合は3試合ある】

――ケンコバさんが後世に語り継ぎたい名勝負を紹介していただくこの連載。今回はどの試合でしょうか?

「相変わらずの激動が続くプロレス界ですが、やはり今回は、お亡くなりになったドリー・ファンク・ジュニアさんについて語り尽くしたいと思います。俺らの世代にとって"グレート・テキサン"は偉大すぎるレジェンドですから、追悼の思いを込めて語らせてください」

――馴染みのない世代の方のため、ドリーさんのプロフィールは別途紹介させていただきますが(※)、そこでは書ききれないほど功績が大きいですね。

(※)1941年2月3日、米インディアナポリス生まれ、テキサス州アマリロ育ち。父は名レスラーのドリー・ファンク・シニア、弟はテリー・ファンク。大学卒業後の1963年1月にデビュー。1969年2月11日にNWA世界ヘビー級王座を奪取した。同年11月に日本プロレスで初来日し、ジャイアント馬場、アントニオ猪木と名勝負を展開。弟のテリーとのタッグでインターナショナルタッグを獲得。馬場が1972年10月に全日本プロレスを旗揚げ後、テリーとともにトップ外国人として数々の激闘をマットに刻んだ。

「日本のマットとの関係という意味では、リング上の功績はもちろん、ジャンボ鶴田さん、天龍源一郎さん、三沢光晴さん、小川良成さんら、多くのトップレスラーがプロレスを学び、影響を受けました。いわばドリーさんが育てた弟子たち。外国人レスラーでありながら、これだけのトップ選手を育てたことも含めて功績は計り知れません。

 ただですね......。俺が紹介したいのは、スポットライトを浴びてきたドリーさんの影の部分というか、知られざる不穏試合があったことを語っておきたいんです」

――28歳でNWA世界王者になったドリーさんは、正統派レスラーのシンボル的存在で、不穏試合とは縁がなかったと記憶していますが......。

「不穏試合は、どちらかといえば新日本プロレス系の"専売特許"で、全日本プロレス系とは縁遠い印象があると思います。でも、そんなドリーさんにも不穏試合があるんです。しかも3試合。そのなかには、ちゃんと書籍として残っているものもあります」

【ブロディに返り討ちにあった息子のディンクくん】

――3試合もあるんですか!

「そうなんですよ。1試合目は、いきなり"不穏"と位置づけていいのか判断に迷う試合ではあるんですが、ドリーさんの息子であるディンクくんが、ブルーザー・ブロディにキングコングニードロップで失神に追い込まれた一戦です」

――その試合は確か、1981年10月6日、仙台の宮城県スポーツセンターで、ドリーさんとテリーの"ザ・ファンクス"が、上田馬之助さんとバック・ロブレイのタッグと対戦した一戦でしたね。

「それです。そのタッグマッチは、ドリーさんがロブレイをエビ固めで丸め込んで勝ちました。試合そのものは、暴れるロブレイと上田をファンクスがいなしたような内容だった。ただ、異変は入場時にあったんです。

 テーマソングの『スピニング・トー・ホールド』が鳴り響くなかで、ファンクスとともに、テンガロンハットをかぶった白シャツ・ジーンズ姿の青年が入場してきたんです。それがドリーさんの息子、ディンクくんでした」

――息子さんはセコンドだったんですね。

「俺も『そんなことがあるんだなぁ』というぐらいであまり気にはしてなかったんですよ。実際、試合にディンクくんが介入する場面もなかった。それが、ドリーさんが巧みなテクニックを見せて勝利した直後、ブロディが乱入してきたんですよ。

 ドリーさんは当時、インターナショナルヘビー級のチャンピオンで、この仙台大会の3日後の10月9日に蔵前国技館でブロディの挑戦を受けることが決まっていました。そこでブロディがチェーンを持って乱入し、ドリーさんを背後から襲撃したんです」

――タイトルマッチで闘う選手が、前哨戦の後に相手を襲撃することはよくある光景ですね。

「ところが、この時は様相が違いました。ドリーさんのセコンドについていたディンクくんが、ブロディに襲われた父を救出しようとリングに飛び込んだんです。そして、ブロディに背後から襲いかかった。素人がリングに上がるのはご法度ですから、ロブレイがディンクくんを引き離してストンピングを浴びせて追い込み、ブロディが必殺のキングコングニードロップを突き刺したんです。

 ディンクくんは吐血し、真っ白なシャツが鮮血に染められ失神するという凄惨なシーンとなりました。素人がリングに上がることは許されないとはいえ、必殺のキングコングニードロップを一般人に浴びせるという前代未聞の事件。吐血量が多すぎるんちゃうか、という部分には触れずにおきましょう(笑)」

【続かなかった因縁のストーリー】

――その試合はテレビ中継され、実況した日本テレビの倉持隆夫アナウンサーはディンクくんを「20歳の大学生で考古学を勉強している。プロレスを知りません」と紹介していました。

「ドリーさんは吐血して失神したディンクくんの上半身を起こし、悲しげな顔をして心配そうに抱きしめました。激高したテリーは、『医者はどこだ!』と叫んでいた。リング上は修羅場と化していて、それだけでも大事件なんですが、俺が最も"不穏"だと思うのはまた別の場面なんです」

――そんな衝撃の場面より"不穏"なことがあったんですか?

「あそこまでの事件が起きたにも関わらず、続きのストーリーがほとんどなかったことです。俺の記憶だと、そのあとの全日本プロレス中継や、当時は月刊だった『ゴング』をはじめ各プロレス誌も、ディンクくんの吐血失神事件をあまり報じていなかったはず。それで『これはどういうことなんや?』と困惑したんです」

――確かに3日後のタイトルマッチと絡めて、ドリーさんとブロディの遺恨を深めるに十分な事件になったはずですね。

「そうなんです。息子がブロディにやられ、失神して口からドクドク血を吐いている。その息子を抱きしめるドリーさんは悲しい顔をしている。わかりやすい対立のストーリーができたはずなんですよ。

 なんならディンクくんが、ブロディへの報復を誓ってプロレスラーとしてデビューする展開があってもよさそうなものですよね。そうすれば、ドリーさんとの親子タッグやテリーとのコンビが実現して面白くなると期待していたんです。だけど、ディンクくんが関わったあの事件が、もともとなかったかのように進んでいったんです」

【ディンクくんは実在したのか】

――蔵前で行なわれたタイトルマッチは、ドリーさんがブロディに敗れて王座を陥落しました。

「父のベルトを奪った宿敵に、息子がリベンジする図式があってもいいのに、まったく動きはなかった。しかし数年後、その謎がさらに深まる出来事があったんです。確か『ゴング』の記事だったと思うんですが、アマリロにあるドリーさんの自宅を訪問する特集があって。そこで家族を紹介した写真に、ディンクくんの姿がなかったんですよ。

 俺は特集記事を読みながら、ディンクくんを必死に探しました。自宅ではなく別のところに住んでいたのかもしれませんが、それでも記事のなかでディンクくんの近況に触れるべきですよね。何しろ、リング上で吐血失神するという事件を起こし、ファンの記憶に鮮明に残っていた人物ですから。

 だけど記事はおろか、どの写真にも写っていない。結果、一部のマニアの間で『果たしてディンクくんは実在したのか?』という論争が起きました」

――のちの記事で、ディンクくんは医師として活躍していることが伝えられていますね。

「そうですね。ただ、そのディンクくんは、ブロディに失神に追い込まれたディンクくんと同一人物なのか......。ドリーさんが亡くなった今、俺の胸のザワつきをどう収めたらいいのか。

記者の皆さんが取材して、なんとか事実を解明していただきたいです」

――私たち取材者側が追究していかないといけませんね。

「ぜひお願いします。さて、続く不穏試合の2試合目は、ファンクスと長州力さん・谷津嘉章によるタッグマッチについて語りましょう」

(中編につづく>>)

【プロフィール】

ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。

松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

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