この記事をまとめると
■3878台も生産された水陸両用車「アンフィカー770」



■アメリカ市場を狙ったアンフィカー770だったが高価でありメンテナンスも大変だった



■アンフィカー770を作り上げたハンス・トリッペル氏は一生涯を水陸両用車の開発に捧げた



キュートな見た目の本格派水陸両用車

水陸両用車と聞けば、たいていの方は軍用車両か観光地にときどきある乗り合いバスを改造したものを想像するかと。やはり特殊な目的で作られるだけあって、そうしたクルマの生産台数はさほど多くはありません。



ところが、1961年に登場したアンフィカー770という水陸両用車は、なんと3878台もの生産台数を誇り、うち5台はヤナセ系列のウエスタン自動車が日本国内でも販売したという大ヒット作! フォード・サンダーバードの幼虫みたいなルックスですが、その秘めた歴史はずっしりと重く、密度の濃いものでした。



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まず、アンフィカーという車名の由来は水陸両用を意味する「アンフィビアス」(amphibious)と自動車を意味する「カー」(car)をくっつけたもの。770は陸上走行時の最高速度が約70km/hだったことが理由とされています。



1961年から1968年まで、西ドイツ(当時)のカールスルーエにあったIWK(Industoriewerke Karlsruhe)の工場で製造されたとのことですが、このIWKはBMWの出資元であるクヴァント・グループが所有するメーカー。となると、アンフィカー770はBMWの従弟みたいな存在といってもさほどこじつけにもならないでしょう。



オープンボディとフィンテールを装備したなんちゃってアメ車みたいなボディは、FRPではなく鋼板をプレスしたもの。それゆえ、水上走行したあとのメンテナンスを怠ると平気でボディが錆びると噂されています。ボンネットフードの下にエンジンはなく、トランクになっているのですが、これまた「しっかり閉めても荷物が濡れる」とのこと。



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アンフィカー770のリヤまわり



ちなみに、こうしたコメントは現存する公式オーナーズクラブでも散見することができます。



エンジンは直列4気筒のトライアンフ・ヘラルド、1147ccから43馬力を絞り出し、ボートと同じく車体後部に搭載されています。陸上では後輪駆動であり、水中に入るとギヤを使ってプロペラ駆動に切り替えます。



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アンフィカー770のエンジンルーム



ふたつのプロペラは6 1/2ノット(時速7マイル)の推進力を発揮しつつ、舵はなんとフロントタイヤが担うのだそうです。



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アンフィカー770のリヤスタイリング



また、水中での後退、およびブレーキはプロペラを逆回転させることで可能。

ウエスタン自動車による発表会では、水槽のなかを航行するデモンストレーションまで行ったといいますから、それなりに小まわりも効いたのかもしれません。



開発者の執念がアンフィカー770を誕生させた

アメリカを主なターゲットとして、価格は2800~3300ドル(発売時期によって価格が変動した様子)と設定されていましたが、当時のシボレーやキャデラックよりも高価だったこと、前述のとおりメンテナンスが船舶なみに大変だったことから、販売は3000台程度に終わったとされています。が、実際はアメリカの法規(主に河川と環境系)が変わったことで、著しく航行範囲が狭められてしまったことだとされています。



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アンフィカー770の水上航行



ところで、アンフィカー770の生みの親、ハンス・トリッペル氏は独学で自動車づくりを学んだ努力の人。第二次大戦後、一時メルセデス・ベンツに身を寄せた際、300SLのガルウイングを考案したことでも有名だそうです。



もっとも、彼が一生をささげたのはなんといっても水陸両用車。戦時中はナチから資金援助を受けてSG6という水陸両用車をドイツ陸軍むけに開発し、20台の完成車を納めています。アンフィカー770がまがりなりにもクルマの形をしているのに対し、SG6はボートに車輪がくっついたスタイルで、フォルクスワーゲンでフェルディナンド・ポルシェ博士が作ったあまりにも有名な水陸両用車「シュビムヴァーゲン」にそっくり!



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トリッペルヴァーゲンSG6のフロントスタイリング



ですが、トリッペル氏のほうがひと足早く開発・納入をしていたのは確かで、ポルシェ博士のほうが後追いなのです。が、トリッペル氏はナチス党内でどういうわけか評判が悪く(頑固な職人タイプだった?)水陸両用車のお手柄はポルシェ博士にもっていかれてしまったのでした。



その後の数年も不遇な暮らしを続けていたのですが、1961年、前述のクヴァント・グループの総帥、ハラルド・クヴァントが救いの手を伸ばしアンフィカーの事業化にこぎつけることができたのです。



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アンフィカー770のフロントまわり



一般向け水陸両用車としては破格の生産台数を誇ったアンフィカー770でしたが、トリッペル氏はさほど満足しておらず、事業を畳んだあとはドイツ連邦軍向け水陸両用車コンサルタント事業などを行いながら、引き続き水陸両用車の開発を続けていたそうです。



ちなみに、最後の水陸両用車のプロトタイプを作り上げたとき、彼は81歳でした(2001年、93歳で逝去)



ナチのくだりは承服しかねる方もいらっしゃるでしょうが、ポルシェ博士のように当時の売れっ子エンジニアはナチスに利用されがちでしたから仕方ないっちゃ仕方ありません。

それよりもアンフィカー770によせられたトリッペル氏の執念や野望に思いを馳せてみれば、男としてなにかをやり遂げたくなる、といったらこじつけに聞こえてしまうでしょうか。



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アンフィカー660の真正面リヤスタイリング



昔もいまも、トリッペル氏のような一心居士に憧れる方は決して少なくないはずです。

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