この記事をまとめると
■かつて国産メーカーは販売会社ごとに取り扱い車種が異なり兄弟車が数多く存在した



■パルサーの兄弟車ラングレーはスカイラインをイメージさせる広告戦略を打ち出した



■実際はスカイラインとの共通点はほぼゼロのモデルだった



スカイラインをイメージ戦略に用いたパルサーの兄弟車

いまでこそどのメーカーの車両もどの販売会社に行っても購入することができるようになっているが、少し前までは同じメーカーであっても販売会社ごとに取り扱い車種が異なっており、対象の系列ディーラーに足を運ばなければ購入することができなかった。



そのため、基本的なメカニズムは共通であるものの、内外装のデザインやグレード体系が若干異なる“兄弟車”というものが多く存在しており、キャラクターも各販売会社に合ったものとなっていたのだ。



「スカイラインの七光り」が戦略! じつは共通点はほぼゼロのプ...の画像はこちら >>



そんな販売会社ごとのキャラクターの違いを如実に表していたモデルのひとつが、1980年に初代モデルがリリースされた日産ラングレーだろう。



スカイラインを取り扱う日産プリンス系の販売店の新規車種として追加されたラングレーは、1978年にリリースされた初代パルサーの兄弟車となっており、2ドアクーペ、3ドア/5ドアハッチバックというバリエーションをもっていたパルサーのなかから3ドアハッチバックをベースに誕生した。



「スカイラインの七光り」が戦略! じつは共通点はほぼゼロのプアマンズ・スカイライン「日産ラングレー」を知ってるか?
日産ラングレー(初代)



キャッチコピーもスカイラインでハコスカからケンメリの時代に使用された「愛のスカイライン」を踏襲する「愛のラングレー」となっており、フロントマスクに至っては当時のスカイライン(C210型)の異形ヘッドライトをそのまま装着しており、規格ライトを採用していたパルサーとのサイズの違いを埋めるためにガーニッシュが装着されていたのだ。



1982年に登場した2代目ラングレーは3ドアハッチバックのほか、新たに5ドアハッチバックも設定。スカイラインとの差別化を図るためか、2代目パルサーに存在していた4ドアセダンは用意されなかった。



「スカイラインの七光り」が戦略! じつは共通点はほぼゼロのプアマンズ・スカイライン「日産ラングレー」を知ってるか?
日産ラングレー(2代目)のフロントスタイリング



ルックスも初代に比べるとパルサーのイメージを色濃く残すものとなっていたが、キャッチコピーは「ポールとポーラの新ラングレー」となっており、「ケンとメリーのスカイライン」を意識したものとなっていた。



そして、1986年には3代目モデルが登場。この頃になるとスカイラインも立派になっていたこともあってか、ハッチバックのほか、ついに4ドアセダンも設定。



このセダンモデルではテールランプをスカイラインのアイデンティティでもあった丸型4灯とし、キャッチコピーも「スカイラインズ・ミニ」とスカイラインを意識したモデルであることを積極的にアピールしていたのが印象的だった。



「スカイラインの七光り」が戦略! じつは共通点はほぼゼロのプアマンズ・スカイライン「日産ラングレー」を知ってるか?
日産ラングレー(3代目)のフロントスタイリング



ただし、歴代ラングレーは前述したようにパルサーの兄弟車であり、駆動レイアウトも前輪駆動となるなど、メカニズム面でスカイラインと共通するところはほぼゼロで、あくまでイメージ戦略的にスカイラインの名前を使っていたにすぎなかったのだった。

編集部おすすめ