ミニバンを投入してクライスラーの再建に貢献した

1980年代に破綻の危機にあったクライスラーの再建に尽力した、リー・アイアコッカ クライスラー元会長が、7月2日に94歳で亡くなった。

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リー・アイアコッカ(リド・アンソニー・アイアコッカ)元会長は、1924年10月15日にペンシルバニア州で生まれた。1946年にエンジニアとしてフォードに入社する。

その後、いまでもフォードの看板車種となっている、マスタングの初代モデルの開発を手がけ、1970年には社長に就任する。そして1978年には当時のヘンリー・フォード2世会長との確執もあり、フォードを解雇される。



フォードを解雇されたあと、1979年にクライスラーの会長に就任。当時のアメリカ自動車産業はオイルショックの影響もあり、消費者の燃費性能への注目が高まるなか、省燃費で品質も高い日本車人気が高まるなか、排気量も含めてダウンサイズへなかなか踏み切れなかったこともあり、厳しい状況に陥り、とくにクライスラーは破綻の危機にさらされていた。



アイアコッカ体制下、クライスラーは小型車開発を積極的に行い、1983年にはアメリカでの小型車向けKプラットフォームベースとなるFFを採用したミニバン、ダッジ・キャラバンとプリムス・ボイジャーをデビューさせ、これが大ヒット。同じKプラットフォームを採用した、小型セダンなどもヒットし、見事にクライスラーを再建に導いた、アメリカ自動車産業界のカリスマ的経営者であった(自動車殿堂入りしている)。

敏腕経営者が死去! かつての勢いを失ったクライスラーに足りないものとは



筆者はアメリカンブランド車が大好きなのだが、アイアコッカ元会長死去のニュースに触れ、とくにクライスラーは馴染み深いブランドであることを思い返した。



まず幼少期に親より足こぎ式のクルマのおもちゃを買ってもらったのだが、それに“クライスラー”と名づけた。なぜクライスラーとしたかは両親に聞いても理由ははっきりしなかった。そのクライスラーは買ってもらったすぐあとに、大型トラックに踏みつぶされてしまった。



歴代カローラを乗り継ぐも初めての浮気はクライスラーだった

1989年に21歳になった筆者。アメリカではクレジットカードを使えば21歳からレンタカーの運転ができた。さっそく貯金していたバイト代をはたいて、大学の春休みを利用して約2カ月間アメリカ旅行に出かけ、アメリカ各都市を訪れ、そのなかで念願だったロサンゼルス地域でレンタカーを運転してあちこちを巡った。



そのときに初めてステアリングを握ったアメリカ車が、いわゆる“Kカー(FF小型車用Kプラットフォームを採用するモデル)”の1台となる、車体色がブルーのプリムス・リライアントであった。当時は世界的に日本車が絶賛される一方で、アメリカ車の評判はボロボロであった。そこで“本当にボロボロなのか”という興味本位もあって運転することにした。

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当時のアメリカ車定番の“ベンチシート&コラムシフト”というだけでも日本車とはイメージがかなり異なるのだが、見た目はサポート性が劣るように見えるシート形状であっても、実際座ってみるとそのホールド性の良さなどその出来に驚かされた。



搭載エンジンはV型ではなく2.2リッター直4エンジンであったが、アメリカ車らしいトルクの太い印象の乗り味にすっかり魅了され、以降アメリカ車にどっぷりハマることとなった。燃費性能や見た目質感では日本車の優位性は高いように見えたが、アメリカ車もクルマ本来の基本性能は高く、アメリカ車の歴史の深さというものを、Kカーという直4搭載のFF小型車でも十分感じることができた。



1994年に“日本車キラー”として、初代クライスラー・ネオンがワールドデビューする。そして1996年に日本市場でも右ハンドルのセダン(本国では2ドアクーペもあった)の正規輸入販売が開始された。当時日本で輸入販売されていたアメリカ車は、排気量が小さいといっても、3リッターV6ぐらいだし、とにかく日本ではボディサイズが大きいために持て余すので、興味はあったが、所有対象と見ることができなかった。

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しかし、ネオンは2リッター直4エンジンということもあるし、サイズが手ごろ。ずっと乗り続けてきたカローラセダンも、当時はコストを優先した8代目で、代替えして乗りたいという所有意欲がそれほど湧かなかったので、カローラの担当セールスマンに「申し訳ないけど浮気させてくれ」といって、ネオンの購入に踏み切った。

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ただし狙うのは北米生産となる初期ロット車両。

セカンドロットからはオーストリアで右ハンドル車が生産されるとのことだったので、欧州製のアメリカ車には興味がないため、なんとか奔走して、ソリッドレッドで無塗装バンパーとなる最廉価グレードのSEを購入した。



アメ車ブランドの勢いを感じられないのが残念

アメリカンブランドにしてはかなり硬い足まわりや、ダッシュボードはほとんどビスを使わず、ただはめこまれているだけという思い切ったコストダウンなど、とにかく驚かされることも多く、クライスラーの本気のようなものを感じた。



オーディオをレベルアップしようと、専門ショップへ取り付けに出したら、若いメカニックが配線で苦労していたときに、社長さんが配線を見て「懐かしいなあ、昔のクライスラー車(1960年代)のころと変わってないよ。これじゃ若い人はわからないよな」と言っていたのをいまもよく覚えている。



夏にエアコンの温度調節をマックスレベルにしておくと白い冷気が出てくるほど効きがよく、トルク志向の2リッター直4エンジンは4万km走ったら、やっとエンジンに“アタリ”がついてきたなど、アメリカ車らしい“茶目っ気”もたっぷりあった愛らしいクルマであった。



それでもアメリカ車に乗るということで、故障の頻発は覚悟していたのだが、電動ファンの作動に関するセンサーに水が入って機能せずに、1度オーバーヒートを起こしただけであった。



現状ではFCA(フィアット・クライスラー・オートモビルズ)となり、FCAとなった直後はクライスラー系ブランド(ダッジ、クライスラー)車も、フィアット車のメカニズムを共用した小型車がラインアップされたりしたが、今では、ミニバンやピックアップトラック、V8 HEMIエンジンも搭載する、ベタベタな大型車となるクライスラー300やダッジ・チャレンジャー&チャージャーなど、かなりラインアップが絞り込まれ、絵にかいたようなアメリカンブランドらしい車種構成となり、現状ではほぼ北米限定ブランドのようになっている。

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クライスラーだけでなく、フォードは北米市場での乗用車販売を原則やめるし、GM(ゼネラルモーターズ)も小型トラック(SUVも含む)へのシフトを強めており、さらに全般的に北米市場をメインに意識した“内向き”モデルが目立っている。



日本車が北米市場に大量に流れ込んできたときに、日本車に対抗しようとグローバル市場を意識しながら新車開発を続け、クライスラーの危機的状況を脱したアイアコッカ氏のような意気込みは、いまのアメリカンブランドからはなかなか感じられないのが、アメリカ車好きとしてはなんとも寂しいところである。