手の届く名車を数多く生み出してきたスズキ

スズキは今年3月で創立100周年を迎えた。スズキの目の付けどころやひらめきは素晴らしいものがあるだけにジムニー、初代アルト、初代エスクード、カプチーノ、ワゴンR、スイフトスポーツ、ハスラーなど、多くの人が買える名車を多数生んでいる。その反面、名車とは対照的な迷車もいくつかある。



1)マイティーボーイ(1983年)

3ドアクーペだった2代目セルボをベースに、キャビン後方をピックアップトラック化した軽乗用車。2人乗りのトラックと考えればキャビンは広く、シート後方の荷物置き場も実用的で、クルマ自体も新鮮だった。しかしやむを得ないことながら荷台が狭く、軽トラックなどに比べると中途半端なのは否めず、一代限りで姿を消した。ただ、「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」というキャッチフレーズによりマー坊というニックネームが印象深かったのは救いだった。



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2)X-90(1995年)

初代エスクードをベースにボディを2人乗りのTバールーフとした、小型クロカンSUVにオープンカーの要素をミックスした欲張りなモデル。面白いコンセプトだったが、決してスタイリッシュだったわけでもなかったため不発で、短命に終わった。SUVが多様化している今であればX-90の運命も変わっていたのかもしれない。



100年の間には冒険したクルマも! 「名車」だらけのスズキが生んだ「迷車」6台



3)エリオ(2001年)

エリオはカルタスの後継車的なモデルとなる、当時のカローラやシビック級のミドルクラスカーとして登場。新開発のプラットホームが採用されたが、全体的に完成度が低いのに加え、ユーザーには「このクラスのスズキ」というイメージが薄く、浮上することなく一代で静かに姿を消した。



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キザシは覆面パトカーとして大量に導入された

4)ツイン(2003年)

ツインは車名の通り乗車定員の2人が全長2735mmの中に乗る、シティコミューターを目指した軽乗用車である。簡易なハイブリッドがあり、メインとなるガソリン車はエアコンなしなら49万円と安かった。しかしエアコン付だと70万円といったところで、「ツインが70万円なら、軽トラックなり一番安い4人乗りの軽の方がいい」と考えるユーザーが圧倒的に多く、約3年間という短命に終わった。しかしコロナウイルス禍もあり、シティコミューター的なクルマを考えるユーザーが増えそうな現代に安価で蘇れば、案外成功するかもしれない。



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5)キザシ(2009年)

キザシはスズキがカムリやアコードといった、欧州流の表現だとDセグメントに初めて参入した歴史的なモデルだ。初のDセグカーながら全体的に出来は悪くなかったのだが、登場時から受注生産だったのに加え、やはり「カムリやアコード級のスズキ車を買う」というユーザーは非常に少なく、登場から短期間でその存在は忘れられてしまった。このクルマが残したのは捜査用覆面パトカーとして大量に導入されたため「キザシ=覆面パトカー」というイメージくらいだろうか。



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6)バレーノ(2016年)

バレーノはスイフトの1つ上となる、輸入車でたとえればルノー・ルーテシアなどのようなサイズが大きめのコンパクトカーで、日本車としては初となるインド製だった。当時のコンパクトカーとしては珍しく先行者追従型のアダプティブクルーズコントロールを装備するなど、決して悪いクルマではなかった。しかしスイフトがあるスズキではやはり存在感が薄いなど、ターゲットユーザーがわかりにくく、つい最近絶版となった。



100年の間には冒険したクルマも! 「名車」だらけのスズキが生んだ「迷車」6台

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