この記事をまとめると
■901運動とは1980年代末から1990年代初頭に日産が掲げていた目標



■「1990年代までに技術の世界一を目指す」という意味だった



■R32型スカイラインGT-Rなどの数々の名車を生み出した



名車・名機・新技術を生み出した901運動

1980年代末から90年代初頭にかけて、日産車は異彩を放っていた。「技術の日産」という理念はもちろん、それが単に技術の先進性だけでなく、クルマとしての総合力を高めていたからだ。背景にあったのが、「901運動」という社内活動である。



901運動の意味は、「90年代までに技術の世界一を目指す」という目標であり、技術開発はもちろん、造形などにも新たな血が注がれた。



そこから生まれた車種は限りないが、代表的なのがR32スカイラインであり、その延長としてGT-Rの復活がある。ただし、新技術の導入はその前からはじまっており、ATESSAと名付けられた前輪駆動(FWD)車向けの4輪駆動はブルーバードから、ATESSA E-TSは後輪駆動(RWD)車の4輪駆動として、また後輪操舵のHICASもGT-Rの前のスカイラインやシルビアから導入され、ほかにマルチリンクサスペンションなども901運動から生まれた。



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新しい車種として登場したP10と呼ばれる4ドアセダンのプリメーラは、そもそもクルマ全体の構成を見直す取り組みがなされ、5ナンバーのFWDセダンにとって最大の合理性を追求しながら、走行性能も高いという、欧州でも評判を呼ぶクルマとなった。「プリメーラ・パッケージ」の言葉で、全体像を宣伝した。



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ガソリンエンジンも、SRと呼ばれた直列4気筒とRBと呼ばれた直列6気筒が誕生し、SR型はプリメーラなど小型車に搭載され、RB型は従来のL型に代わりスカイラインや、排気量を増大しGT-Rにも採用され、それぞれ主力エンジンとなった。



901運動が後にカルロス・ゴーンのリバイバルプランにつながる

クルマの理想像を追求しながら、次の時代の日産車の姿を明らかにする活動が901運動であり、そこから生まれた新車は、ほかにもパルサー、フェアレディZ、インフィニティQ45、セドリック/グロリアなど枚挙に暇がなく、それぞれに販売成績もよかった。



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しかしながら、90年にバブル経済が崩壊したあと、国内自動車メーカー全体で業績が悪化するなか、日産はより守りの経営姿勢に転じ、901運動で生まれた技術は既存の財産として継承されたが、産まれてくる新車の魅力は色褪せはじめた。



そして他社との資本提携による生き残りを模索し、最終的にルノーとの提携に落ち着いて、カルロス・ゴーンが社長となり、リバイバルプランが実行されるのである。



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再建のなかでも、R35ニッサンGT-Rが誕生したり、フェアレディZが存続したりした背景に、901運動から生まれた、技術の日産らしく世界と競合できる技術があったからこそといえるだろう。

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