最高裁判決から2か月がたっているにもかかわらず、国・厚生労働省は基準の回復、差額の支給などについての具体的見通しを明らかにしていない。
8月29日には同省の下に設置された有識者9人による専門委員会の第2回会合が行われ、原告代表らが初めて出席して意見陳述を行ったが、互いの見解は平行線のまま溝は埋まっていない。(ライター・榎園哲哉)
「ヒアリングをパフォーマンスで終わらせてはいけない」
第2回会合に先立って、原告と支援者ら約50人が厚労省前で行った抗議行動では、進まない状況へのいら立ちの声が相次いだ。精神疾患のために働けないという50歳代の男性は、厚労省に向かって声を振り絞った。「(第2回会合の)1回だけ、(原告代表のうち)若干名の声を聞いて片付けようとしているのではないかと疑ってならない。意見のヒアリングをパフォーマンスに終わらせてはいけない」
最高裁判決後、厚労省に専門委員会設置される
厚労省は、2013年8月から2015年4月にかけて3度にわたって、「生活扶助費」を平均6.5%引き下げた。受給者と支援する弁護士らは「いのちのとりで全国アクション」を起こし、全国29地裁で提訴。原告側が地裁(20勝11敗)、高裁(7勝5敗)と大きく勝ち越している。
この間、2024年2月の三重・津地裁(竹内浩史裁判長)では、引き下げは自民党の「選挙公約に忖度(そんたく)」した、との踏み込んだ判決も出された。同党は2012年12月の衆院選で「生活保護費10%削減」を公約に掲げていた。
そして、今年6月27日、最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)は、上告された大阪・愛知両訴訟について、保護変更決定処分の取り消しを命じる原告側勝訴の判決を言い渡した。
最高裁判決を受けて厚労省は、今後の対応を検討するため8月13日、同省社会保障審議会生活保護基準部会の下に専門委員会(委員長・岩村正彦東大名誉教授以下9人)を設置。同日、第1回会合が開かれた。
「一方的な判断を行わないよう切に願う」
8月29日に行われた第2回会合では、10年来「いのちのとりで裁判」を戦ってきた弁護士と原告ら7人が意見陳述を行った。冒頭、小久保哲郎弁護士(大阪訴訟弁護団)は、謝罪や被害回復について明らかにされないまま、専門委員会が原告の頭越しに設置されたことを指摘。
「最高裁判決の意義を矮小(わいしょう)化し、被害回復額をできる限り小さくしようとしているのではないか、という不信感をぬぐえずにいる」と率直に訴えた。
元厚生省(当時)職員でもある尾藤廣喜弁護士(同)は、「堀木訴訟(※)」の第一審判決が出された際の国会の対応に言及し、現在の厚労省の対応を問いただした。
※障害福祉年金と児童扶養手当の併給禁止が「生存権」を保障した憲法25条などに違反しているとして提訴された。一審の神戸地裁(1972年9月)で憲法違反との原告勝訴判決が出され、これを受け国会は法改正を行い、児童扶養手当の併給禁止条項を削除した(二審、最高裁はいずれも原告敗訴判決)
「運用が間違っていると司法に指摘されたのであれば、厚生労働省の官僚として、堀木訴訟一審判決の時のように、『国民生活の保障及び向上』『社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進』(厚生労働省設置法3条)を図ることを任務とするべきではないか」
また、西山貞義弁護士(愛知訴訟弁護団)は、「最高裁判事は全員一致で国を敗訴させ、地裁・高裁では国の敗訴が27も積み重なった。厚生労働省の主張立証は、裁判所に全く通用しなかった」と述べ、「敗訴当事者の言い分だけで、一方的な判断を行わないよう切にお願いします」と委員たちに求めた。
「(差額を)そのまま払えという判決ではない」
基準回復後の遡及(そきゅう)支給の対象は生活保護受給者約200万人、差額の支給総額は4000億円以上にも上ると推計される。会合で太田匡彦委員(東大大学院法学政治学研究科教授)は、「(最高裁判決が)不利益処分を取り消して、(基準引き下げ前に)回復したということは間違いない」と述べた。
一方で、基準引き下げ理由の一つとして国が主張した「ゆがみ調整(所得下位10%層との消費実態の是正)」について、最高裁判決が「統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性に欠けるところはない」とし、違法としていないことなどに触れ、「そのまま(回復後の差額を)払えというところまでは決まらなかった判決だろう」と語った。
また、判決の「既判力(※)」が及ぶ範囲については、「生活保護基準の改定を行うことになれば、原告とそうでない人(受給者)を分けられない。原告ではない人にも新しい基準を追求することになる」と述べ、生活保護制度に準ずる外国人や亡くなった人、制度から離脱した人への追求については「議論していただきたい」と語った。
※判決が確定した場合、同一事項がその後訴訟で問題になっても、当事者はこれに反する主張をすることができず、裁判所もこれに抵触する裁判ができないという効力
厚労省幹部は会合後の記者会見で、今後の省としての対応について、「委員の先生方の知見をいただきながら整理していきたい」と答えるにとどめた。
次回、第3回専門委員会会合は9月8日に開かれる予定だ。
■榎園哲哉
1965年鹿児島県鹿児島市生まれ。私立大学を中退後、中央大学法学部通信教育課程を6年かけ卒業。東京タイムズ社、鹿児島新報社東京支社などでの勤務を経てフリーランスの編集記者・ライターとして独立。防衛ホーム新聞社(自衛隊専門紙発行)などで執筆、武道経験を生かし士道をテーマにした著書刊行も進めている。