
全国のスーパーで9月7日までの1週間に販売されたコメの平均価格は、5キロあたり税込みで4155円と前の週より264円の値上がり。4000円を超えるのは今年6月以来だ。
一方で、小泉進次郎農林水産大臣は16日の閣議後の記者会見で、今年の主食用のコメの生産は去年より大幅に増える見通しだとしたうえで「来年の民間の在庫量が直近10年程度で最も高かった水準に匹敵する可能性もある」「今の価格が、これから1年間続くと判断するのは早すぎると思う」などと述べ、市場に冷静な対応を呼びかけていく考えを示した。
米価の高騰については大量の情報が錯綜(さくそう)し、誰かが意図的に価格をつり上げているといった言説も少なくない。だが、農業経済学を専門とする西川邦夫教授(茨城大学)は、9月10日に刊行した新著『コメ危機の深層』(日経BP)において、「令和のコメ騒動」の原因はシンプルに需要と供給の問題だと喝破している。
本記事では同書から、2025年前半に政府が実施した「備蓄米の放出」がもたらした影響について分析した内容を、抜粋して紹介する。(本文:西川邦夫)
政府備蓄米の放出
コメ不足を解消するためには、市場に新しく供給量を増やすしかなかった。しかしながら、2025年が明けるまで、政府は対策らしい対策をほとんどとっていない。「とらなかった」というより、「とれなかった」とするのが正確だろう。現行の需給調整の仕組みでは、収穫後に発生する不足を調整する手法はほとんど準備されていない。残された手法は政府備蓄米の放出であったが、今回の事態が放出の条件である不作や災害等による緊急事態に該当するかどうかは、判断が難しいところだった。
その間にも米価はどんどん上昇していった。政府が重い腰を上げたのは、2025年1月31日に開催された食糧部会においてだった。
政府備蓄米の放出は一般競争入札によって行われ、3月10日から12日にかけて14.2万トン、3月26日から28日にかけて7万トン、4月23日から25日にかけて10万トンが、JA全農を中心とした集荷業者によって落札された。
ただし、放出の名目はあくまで流通目詰まりの解消であり、高騰する価格の引き下げではなかった。この時点での政府の考え方は、価格はあくまで市場で決まるものであり、「価格にはコミットしない」という立場は維持されていた。
5月に小泉進次郎農林水産大臣へ交代すると、放出方法は一般競争入札から、政府が売渡条件を定める随意契約へ変更された。一般競争入札では落札価格が60kg当たり2万円に達し、価格引き下げ効果に乏しかったこと、また放出決定からスーパーの店頭にコメが並ぶまでに時間がかかったことへの批判が高まったためである。
5月26日から31万トン、6月11日から12万トンの受付が始まった。一般競争入札による放出分、随意契約のうち受付が始まっていないものを含めると、本書を執筆している8月段階で最大81万トンの放出枠が設けられている。
随意契約への変更により、政府は明確に価格引き下げへ舵を切った。石破茂首相は、5月2日に国会で開催された党首討論で、「米は3000円台でなければならないと思っております。4000円台なぞということはあってはならない」と発言した。
小泉農相も、「需要があった場合は無制限に出す」「3000円台ということの思いを私としても、共有をしながら農政を進めていきたい」「2000円台で店頭に並ぶような、そういった形で、随意契約で出していく」と繰り返した。明確な目標価格の水準は示されていないが、引き下げに向けて政府が価格にコミットしたのは明らかである。
埋まる需給ギャップと政府備蓄米の目詰まり
政府備蓄米61万トンの放出によって、「令和のコメ騒動」の原因となった需給ギャップ76万トン(2023年産で44万トン、2024年産で32万トン)は、計算上はかなりの部分が埋まった。それに加えて、国家貿易に基づくSBS(売買同時契約)入札による輸入米が2024年産10万トン供給され、2025年産も8月現在で6万トンが落札されている。報道によると、民間でも5万トン程度が輸入される見込みである。
さらに、2025年産は増産される。6月末の時点で2025年産米は735万トンが生産される見込みとなっているが(※)、需要見通しに対してプラス72万トンに達する。このままでいくと、最終的に需給ギャップは78万トンの過剰になり、今年の出来秋(コメの収穫期)には市場はコメで溢(あふ)れかえることになる。
※ 9月18日、農林水産省は12025年産の主食用米の生産が728万~745万トンになるとの試算を発表した。
今後、米価は下落するだろう。農林水産省の調べでは、5月12日~18日の週に精米5kg当たり4285円の最高値をつけた後、9週連続で下落し、7月14日~7月20日の週では3585円となった。それでも、1年前の2000円台に比べると高止まりしている。その要因の1つが、政府備蓄米の流通が目詰まりをしていることである。
政府備蓄米の流通の状況(『コメ危機の深層』から転載)
現在に至るまで、一般競争入札、随意契約を問わず、放出された政府備蓄米は十分に小売店頭まで到達していない。7月20日現在で、一般競争入札分の集荷業者への引き渡しはほぼ完了しているが、集荷から卸へは8割程度、卸から実需へは6割程度にようやく到達したところである。随意契約分で実需に引き渡されたのは4割にも満たない。
一般競争入札と随意契約を合わせると、実需に届いた量は31.1万トンにとどまり、流通ベースではまだ需給ギャップは埋まっていないことになる。なお、7月30日時点で、随意契約による放出予定量51万トンに対して、申込確定数量は30万トンにとどまっている。政府備蓄米に対する需要はほぼ上限に達したといってよい。
食糧部会で放出のスキームが承認されてから半年、放出が決まってから5カ月、第1回の入札から4カ月が経過しているにもかかわらず、現物はまだ消費者の手元に十分に届いていないのである。
初めての大量放出ということで、放出に携わる関係者には慣れない部分があったかもしれない。しかしながら、この事実は、政府備蓄米の放出が機動的な市場対策として機能しないことを、如実に示しているといえる。
流通業者は現在、2024年産の一般流通米、一般競争入札による政府備蓄米、随意契約による政府備蓄米の3種類のコメを扱っている。政府備蓄米はそれぞれルールが定められているため、実務的な煩雑さが増す。また、放出された政府備蓄米が加わることによって、現時点でコメの流通量は増加していることが予想される。
卸売業者の団体である全国米穀販売事業共済協同組合(全米販)の調べ(5月30日~6月3日)によると、会員企業に残されている精米の余力は、1日当たりわずか310~350トンに過ぎなかった。
計画性に欠ける政府備蓄米の放出により、流通の目詰まりがより増幅されたとしても不思議ではない。政府が流通目詰まりを「令和のコメ騒動」の原因と考えているのであれば、経費面での支援や物流体制の強化など、流通業者の活動を円滑化させるための配慮が必要だった。

政府備蓄米の売渡の状況(『コメ危機の深層』から転載)
政治介入のツケと出口戦略
筆者は、随意契約も含めて政府備蓄米の放出は、行き過ぎた米価高騰を抑制するためにやむを得なかったと考えている。しかしながら、政府介入には市場との丁寧なコミュニケーションが必要である。政府備蓄米の売渡条件はめまぐるしく変化した。第1回の一般競争入札では集荷業者に限定されていた売渡先は、随意契約では大手小売業者、中小小売業者、米穀小売店、最終的には外食・中食・給食事業者にまで広げられた。売渡事業者数も延べ892事業者に達した。売渡価格は一般競争入札では60kg当たり2万円を超えていたが、随意契約では1万円程度と半額になった。
売り渡したコメも、2024年産から徐々にさかのぼり、2021年産までが対象となった。買戻し期限は1年以内から5年以内へ延長され、随意契約では撤廃された。それ以外にも、様々なルールの変更があった。
市場にはそれぞれ制度的な制約が課された多様なコメが、無計画に注入された。目標とする価格水準も明示されずに、コメが溢れかえる局面を迎えようとしている。このままではいつ供給過剰に火がついて、米価が暴落するか分からない。
市場への供給量は既に十分であり、これからは放出した備蓄米の買い戻しや新たな買い上げを含む、「出口戦略」の検討に移る時である。日本銀行は10年にわたる大規模金融緩和からの脱却に苦労しているが、コメでも同じことが起こらないとは限らない。
また、政府は価格を引き下げるために市場に介入したが、価格下落時にもコメの買い上げを求める声が出てくることを覚悟しておく必要がある。政府がぎりぎりまで政府備蓄米の放出をためらったのは、市場介入が恒常化することへの懸念であったと思われる。備蓄米の放出を決定した2月14日の記者会見で、江藤農相(当時)は以下のように発言している。
「米の歴史は、非常に財政負担を伴って、在庫を処分した時代もあります。全量買い取りをして、売渡価格を決めて、それが税金を投入される形で、大きな国民負担になっていた。そういう時代に戻ることは、決してあってはならないと思っています。
…(中略)…今回売渡しをしたことによって、逆に下がった時は、この備蓄米として買い増しが出来るのではないかとご指摘が出てくるかもしれません。
あくまでも流通の問題であって、食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)を条文ごとに読んでいただければ、価格の高騰時にはこうするということは、どこにも読める条文はありません。逆に言うと、価格が下がった時に買うという条文もないです。法治国家であって、立憲主義です。法律に基づいて、制度を運用されることが当然ですから、それは守っていきたいと思います」
緊急事態を除いて、政府による市場介入が必ずしも良い結果を生んでこなかったことは、これまでの歴史が証明しているのである。
■西川邦夫(にしかわ・くにお)
茨城大学学術研究院応用生物学分野教授。1982年島根県生まれ。東京大学農学部卒、同大学院博士後期課程修了(博士[農学])。日本学術振興会特別研究員を経て2014年茨城大学准教授、2025年より現職。安倍フェローシップ等受賞。著書に『「政策転換」と水田農業の担い手』(2015年、農林統計出版)、『水田利用と農業政策』(2024年、編著、筑波書房)など多数。