生活保護基準の引き下げをめぐる「いのちのとりで裁判」。最高裁でその違法性が“断罪”され、原告らが引き下げ前の基準に戻しての支給を求めていたが、国・厚労省は独自の試算を基に支給額を再計算し、大幅に減額した額を算出して、2025年度補正予算に計上した。

これに対し、原告と支援する弁護士らは12月9日、東京都内で「司法軽視の再減額方針の撤回を求める」緊急集会を開き、国の対応を批判した。
国の対応に対しては、120人を超す法学研究者からも「三権分立原則に違反する」として緊急声明が出されている。(ライター・榎園哲哉)

最高裁判決も…“厚労省独自”に被害額を算定

2012年末の衆院選で自民党は、当時、人気芸人の母親が生活保護を受給しているとの報道を機に沸き起こっていたバッシングの声を背景に、「生活保護費10%削減」を公約に掲げた(芸人の母親の受給は適法だった)。
厚労省は自民党の公約に“忖度”する形で、2013~15年、3度にわたって生活保護費のうち食費などに該当する「生活扶助費」を平均6.5%引き下げる保護変更決定処分を行った。
これに対し、全国の受給者約1000人が、支援する弁護士らとともに2014年2月以降、全国29地裁で31の処分取り消し請求訴訟を提起。「いのちのとりで裁判全国アクション」として、戦ってきた。
43の下級審判決(地裁31、高裁12)のうち、上告された愛知と大阪の二つの訴訟について、今年6月27日、最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)は、国が引き下げの根拠の一つとした「デフレ調整」を全裁判官一致で違法と認め、保護変更決定処分の取り消しを命じた。
この判決を受けて、原告らは改めて生活保護の全受給者(約200万人、2025年9月現在)に対し、保護変更決定処分が行われた2013年までさかのぼって、支払われていたはずの支給額を「遡及支給」する施策を国に求めた。
この施策で国が支払うべき支給額は総額4000億円を超えるとも試算された。
一方、厚労省は8月13日、原告らの頭越しで同省の下に行政法などの有識者でつくる「専門委員会」(委員長・岩村正彦東大名誉教授以下9人)を独自に設置。審議を重ね、11月17日の第9回専門委員会で最終案をまとめた。
厚労省はこの最終案を基に、保護費の追加給付等に必要な金額を算出。その結果、2025年度補正予算に盛り込んだ総額は、原告らが求めていた金額から大幅に減額された1475億円だった。

1世帯あたりおおむね10万円追加給付へ

原告と弁護士らは、9日の緊急集会に先立ち厚労省幹部との協議の場を設けた。その中で、同幹部らから厚労省の補正予算の額について説明を受けたという。
弁護士らによると、厚労省は、違法と認定された「デフレ調整」(マイナス4.78%)ではなく、これまでの裁判で否定されていた算出方法による低所得者(総世帯の下位10%)の消費実態と比べた「水準調整」(マイナス2.49%)が本来の引き下げるべき給付額の幅だったと主張。その差額分を追加給付するとした。
これにより、生活保護の全受給者に1世帯あたりおおむね10万円が給付されることになるという。
なお、原告に対しては、さらにマイナス2.49%の減額分も特別給付金として支給。1世帯あたりおおむね10万円が追加給付に上乗せされる方針だという。
そのうえで、補正予算案への計上額(1475億円)の内訳について、①保護費の追加給付に要する費用(1055億円)、②支給事務に係る自治体への補助(401億円)、③相談センターの設置等(17億円)、④原告への特別給付に要する費用(2億円)と説明した。

「人間の尊厳を放棄することになる」

厚労省が示した原告と原告以外を分断する形の減額の方針に、「全受給世帯への全額補償」を求めてきた原告・弁護士らは、緊急集会で憤りをあらわにした。
かつて厚生省(当時)に勤務していた尾藤廣喜弁護士は、基調報告で一連の裁判を振り返り、「今回の最大の問題点は、まず(基準引き下げの)結論ありきで進められたことだ。自民党の政策に忖度した厚生労働省の責任が真っ先に問われなければならない」と述べた。
さらに、「最高裁判決の矮小化を許さず、再度の引き下げ、原告と他の制度利用者の分断を企図し、『無差別平等の原則(※)』に反する厚生労働省の対応策を撤回させる」ことなどを今後の目標として掲げた。
※生活保護法2条「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を無差別平等に受けることができる」
集会では、原告らも発言。疾病のため働けないという神奈川県在住の高橋史帆さんは、今後、厚労省対応を受けての再提訴が検討されていることにも触れ、「(今年)8月にエアコンを設置できず熱中症で亡くなった原告もいる。
みんなの命を守るための戦い。あきらめれば人間としての尊厳を放棄することになる」と、力を込めた。

全国の法学研究者120余名も危惧を表明

最高裁によって保護変更決定処分が取り消されたが、なぜ全額支給が行われないのか。
尾藤弁護士は「最高裁判決には、あくまで処分取り消しの効力しかなく、全受給世帯への全額給付を命じる“強制力”はないため」と行政訴訟の性格を説明した。
しかし、今回の厚労省の対応には反発の声も広がっている。集会のあった12月8日、井上英夫金沢大学名誉教授(社会保障法)ら2人が呼び掛け人となり、全国の大学教授ら123人が賛同した「法学研究者による緊急声明」が出された。
緊急声明は、国が「水準調整」という引き下げ基準を持ち出したことについて、「引き下げ処分全体が最高裁により取消されたにもかかわらず、再度行政が保護費減額処分を行うことは、最高裁判決の上に行政の判断を置く、日本国憲法の基本原則である三権分立原則に違反する許されないこと」と強く批判した。
「生活保護をめぐる問題にとどまらず、日本社会において法の役割を無に帰せしめるものである。日本が法治国家であり続けることを破壊することを意味し、日本の民主主義の根幹を壊すことにつながると言わざるを得ない。私たち、法の研究に携わる者として、こうした事態を看過することはできない」(緊急声明より)
最高裁の判決の“効力”が及ばない部分はほかにもある。それがSNSなどで見られる生活保護受給者へのバッシングだ。
「いのちのとりで裁判全国アクション」事務局長の小久保哲郎弁護士は、「残念ながら、いまだに生活保護に対する偏見や差別意識が国民の中に根強くある。
すでに十数年戦ってきたが、私たちの戦いはいまだ道半ばだ」と集会を締めくくった。
■榎園哲哉
1965年鹿児島県鹿児島市生まれ。私立大学を中退後、中央大学法学部通信教育課程を6年かけ卒業。東京タイムズ社、鹿児島新報社東京支社などでの勤務を経てフリーランスの編集記者・ライターとして独立。防衛ホーム新聞社(自衛隊専門紙発行)などで執筆、武道経験を生かし士道をテーマにした著書刊行も進めている。


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