小泉今日子、江角マキコ、紀子さま…「ひのえうま女性は気が強い」“伝説”の実態は?
「ひのえうま年生まれの女性は気性が激しい」は女性差別的な迷信にもとづく言説だが、世間ではまことしやかにささやかれ続けてきた。
この「迷信」は実際に社会に対して影響をもたらし、1966年の「昭和のひのえうま」には大規模な出生数減の一因となった。
同年に生まれた女性たちには、前後の年生まれの人々に比べて同級生が少ない、長女や一人っ子であることが多いなどの人口学的な特徴がある。
では、これらの特徴が彼女たちの性格に影響を与えている可能性はあるのだろうか?本記事では、計量社会学者・吉川徹教授(大阪大学)の著書『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』(2025年、光文社新書)から、1966年生まれの有名人の実例を挙げつつ「気性が激しい」という迷信の実態を考察した箇所を抜粋して紹介する。(本文:吉川徹)

「レガシー」の始まり

世間を揺るがせた「ひのえうま騒動」は、その年の暮れまでの一過性の大衆現象であり、やがて人びとからは忘れられていきました。何しろ次は60年も先なのですから、同じ時代を生きている人たちが、いつまでも出生忌避を語り続ける必然性はありません。
けれども、思いがけないことが幾重にも重なった末に、1966(昭和41)年の12ヵ月は、生まれてくる赤ちゃんの数が、確かに前後の年よりも著しく少なく抑えられました。
この出来事は、日本の人口ピラミッドに深い切り欠きを刻みました。この人口学上の「瑕疵(かし)」は、以後、昭和後期の二十数年、平成の約30年間、そして令和の10年弱の間、同じかたちで残り続けることになったのです。
ですから、この特異な年に生をうけた人たちにしてみれば、ひのえうまは終わったわけではなく、ここから始まったのです。そして忘れてはならないのは、ひのえうま出生が忌避されたのは、元来はその年生まれの女性に厄難が危惧されていたからだということです。
江戸期から明治までは、その年以降はそちらに社会的関心が移って、ひのえうま現象は時代・世代を超えて続いていったのでした。ですから、彼女たちに一体いかなる人生が待ち受けていたのか?ということも気にかかります。この切り欠きの世代を思うとき、昭和のひのえうまの「レガシー」は、現在もなお続いているとみることができるのです。
そこでここからは、この昭和のひのえうま生まれの人たちの人生の歩みをたどることにしましょう。
もっとも、それは歴代のひのえうまでみてきた悲劇の物語とは、全く異なる方向へと展開していくことになります。

昭和のひのえうまとはだれか

まず、この年に生まれてきた赤ちゃんに、どんな名前(ファーストネーム)が付けられたのかからみていきましょう。明治安田生命の「生まれ年別名前調査」によると、女性で最も多かった名前は由美子で、真由美、明美、智子、洋子、裕子、由美、陽子、久美子、幸子と続いています。男性の一位は誠で、浩、和彦、哲也、健一、学、剛、直樹、浩二、秀樹がトップテンです。
女性の名前に「美」が入りがちで、「子」の付く名前が多いなど、なるほど今の壮年層の人たちらしい傾向がみられます。もっとも、前後の生年と比べたとき、この年生まれの人だけに目立った特徴があるというわけではありません。
年の離れた人たちには、これだけではまだ見当がつかないと思います。そこで、この年およびこの学年の生まれの著名人(アスリート、芸能人、作家・芸術家、政治家、メディアで話題となった人など)にどんな人がいるかもみておきましょう。
詳細はあらためて説明しますが、ひのえうま生まれの人については、暦年の生年でみる考え方と、学年でみる考え方があります。そこで【表】では、Ⓐ当年1~3月(ひのえうまの早生まれ)、Ⓑ当年4~12月(ひのえうまコア・グループ)、Ⓒ翌年1~3月(翌年の早生まれ)の三つのグループを分けて、順不同で氏名や活動名を示しています。
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【表】ひのえうま生まれの著名人(『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』から転載)

この他、架空の人物としては、池井戸潤の原作シリーズ(2004年~)における半沢直樹(同名のドラマ・シリーズでは堺雅人が演じました)、2013年のNHKの「朝ドラ」(連続テレビ小説)『あまちゃん』の天野春子(小泉今日子と有村架純(かすみ)が演じました)が、この昭和のひのえうま生まれの設定になっています。
どうでしょうか?知らない名前も多いかもしれませんが、「このあたりの年齢の人たちが、ひのえうまなのか」と実感が湧いてきたのではないでしょうか。「え、この人も⁉」と思う名前もあるかもしれません。

そして「やはり、それらしい人が多いな」と思いませんでしたか?しかしながらそれは、確証バイアスという心理学的な偏りです。合理的、科学的に考えれば、ひのえうま生年だけに特有のパーソナリティ特性などあろうはずもありません。
確証バイアス緩和のために、前後の年の生まれの著名人の名前も挙げましょう。
前の1965年(生年学年一致、順不同)については、秋篠宮皇嗣、香川照之、髙嶋政宏のほかに次のような名前が挙がります。中森明菜、吉川(きっかわ)晃司、長谷川健太、吉田美和、さくらももこ、中村芝翫(しかん)、小林聡美、太田光、上川隆也、林修、尾崎豊、古田新太、松本伊代、本木雅弘、古田敦也……。
後の1967年(生年学年一致、順不同)生まれには次のような人たちがいます。清原和博、中山雅史、武田修宏(のぶひろ)、沢村一樹(いつき)、松岡修造、蓮舫、東野幸治、立花孝志、織田裕二、坂上忍、伊集院光、南野陽子、原田知世、北斗晶、天海祐希……。
話を本筋に戻しましょう。ここで名前を挙げた3ヵ年の生まれの人たちについては、間違いなく次のことがいえます。それは、およそ60年前の出生に際して、「ひのえうま騒動」があったということです。
いずれのご両親も、産むにせよ、タイミングをずらすにせよ、無視するにせよ、ひのえうま年の出生について、何らかの考慮と判断を迫られる状況にあったはずなのです。

女性たちの「気が強い」伝説

江戸期の川柳や戯作(げさく)などから振り返ったとおり、ひのえうま迷信の本質は、当年生まれの女性の性格について、「気が強い」とされていることです。昭和のひのえうま女性については、その真偽はどうなのでしょうか。

彼女たちは、その生まれについて、周囲から忘れられていたわけではありません。さすがに、「嫁にいけないぞ」などとからかうような大人はあまりいませんでしたが、性格の気丈さをいう迷信があることは、おそらくほぼすべての人たちが、親や親戚などの年長者から聞いた経験をもつはずです。
そのため「気が強い」は、当人たちの間でも、事あるごとに言い交わされていたように思います。生まれの近い友人、兄弟姉妹、配偶者なども、ひのえうま女性は男勝りだ、物怖じ(ものおじ)しない、気性が激しいなどと旧来いわれていることを耳にしてきたはずです。
心理学者や教育学者ならば、ピグマリオン効果(周囲からの期待が個人の発達を促し、実現する現象)が生じているのでは?と考えるかもしれません。
社会学者としては、俗言のために本当に女性たちの気が強くなり、さらには、それがもとで縁談や婚期、夫婦関係にまで悪影響が生じるなど、ありえないストーリーだという立場をとります。
けれども、この年生まれの女性にまつわる言説が草の根レベルで生き続けていたことには、同世代人として確かに心当たりがあります。ここでは、迷信のいうところに加担する意図はもたず、文化論としてこれを紹介しておきましょう。
明治のひのえうま女性たちは、ちょうど大正末から昭和初期のモガの世代にあたります。では、昭和のひのえうま女性は何世代にあたるのかといえば、彼女たちのうちの大卒者は、男女雇用機会均等法施行後間もない就職活動で、空前の好況期に「(平成)元年入社」した、バブル世代女子にあたります。
小泉今日子、江角マキコ、紀子さま…「ひのえうま女性は気が強い」“伝説”の実態は?

バブル期の女子大生の就職活動(『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』から転載)

早とちりして、バブル期の様子を伝える映像でよく流れるシーンなどと結び付けて、あのときディスコの「お立ち台」で踊っていたのが昭和のひのえうま女子大生だ、などという話は作らないでください。
1990(平成2)年5月11日の日本経済新聞には、この時代に結婚情報サービスを展開していたアルトマンシステムが実施した、ひのえうま独身女性(当時24歳)234人への調査の結果を受けて、以下のような記事があります。

丙午の迷信について「まったく信じない」と一笑に付したのは66・2%と多数を占めた。だが一方74・8%の人が「気が強い」ことを自認。同年の友人たちについても「他の年代より気が強い」との答えが約70%に上った。
これは、彼女たちが婚期を迎えようかというタイミングで、営業上の関心から、迷信でいわれてきたことの成否が調べられたもののようです。集計結果からは、迷信自体は生きていないが、「気が強い」は事実かもしれない、ということが示唆されています。

「ひのえウーマン」と長女気質

昭和のひのえうま女性のなかには、この年の生まれを自分のプロフィールとして強調したり、求められてコメントしたりしている人があります。ただしそれは、概して明るくあっけらかんとしたものであり、明治のひのえうま女性のように悲痛な体験を語るものではありません。
ひのえうま女性たちが30歳になった年には、一冊の書籍が出されています。新津隆夫と藤原理加の『1966年生まれ丙午女(ヒノエウマ・ウーマン) 60年に一度の元気者』(1997年、小学館)です。
これはジャーナリストとライターが、女性誌『CREA』で、ひのえうま女性を主題とした記事連載を行った後にまとめたものです。ほぼ30年前の一般書なので、資料としての扱い方が難しいのですが、前半部分では、ひのえうまの来歴が丁寧にまとめられています。
この本のオリジナリティは、1990年代中盤に各界で活躍していた昭和のひのえうま女性25名、さらには2人の明治のひのえうま女性にまで面接取材をしているところにあります。
その聞き取りでは、親などの年長世代からいわれてきたことや、当事者としての多様な経験が語られています。
そうしたなかで、いずれの女性も、ひのえうま生まれを強く自覚していることを語り、多くは自分の重要なアイデンティティとして肯定的に位置付けていると述べています。そして自身の性格については、やはりほぼ一様に「気が強い」として、細かいことは気にせず、積極性にあふれた生き様を言葉にしています。
けれども、気の強さが災いした、あるいはひのえうま迷信による決めつけで、不利益を被ったというネガティブな体験談は、ほとんど出てきていません。男女雇用機会均等法施行からおよそ10年、バブル期の余韻が残る時代のことです。旧弊にとらわれず、どんどん可能性を追求している新しい時代の20代女性、その姿を著者らは「ヒノエウマ・ウーマン」と名付けています。
この昭和のひのえうま女性たちが50代半ばになったころ、ひとつの皇室ゴシップが週刊誌、文芸誌をにぎわせました。秋篠宮家の長女、眞子内親王(現在は小室眞子さん)の婚姻が難航したことです。
このとき、双方の母親が、同年に生まれたひのえうま女性であることが取り沙汰されました。少し引いた目でみると、縁談の難航にひのえうまを絡めるのはまさしく旧来の連想であり、苦笑を禁じえません。
このことについて、エッセイストの酒井順子は、自身も同年生まれであるという立場から「紀子さまと小室佳代さん 1966年、丙午生まれの私たち」という論稿を『文藝春秋』に発表しています。ただしこれは、性格上の共通点に触れるものではなく、同じ時代を三者三様に生きた人生を描いたものです。

酒井は20年以上前に、30代独身女性という自らの立場から、『負け犬の遠吠え』(2003年、講談社)というエッセイ集を著し、大きな反響を呼んだことで知られています。
「負け犬」とは、旧来望まれてきた適齢での結婚というライフコースを選ばず、自立して生きる、未婚で子どものいない女性たちを指していて、上野千鶴子のいう「おひとりさま」にも通じます。「良縁」を求めない人生について自ら論じた、昭和のひのえうま女性の論客であるわけです。
その酒井は、親王との恋愛の末に皇室に入り、皇位継承者を産むに至った紀子妃と、夫との死別や元婚約者とのこじれた関係の末に、一人息子が皇女と結ばれた小室佳代さんについて、二人はどちらも「並外れた強靱(きょうじん)さを備えている」「ひのえウーマン」なのだと断じています。
「ひのえウーマン」については、特性や定義がはっきりせず、私自身も首肯しているわけではないので、うわついた紹介になってしまいました。もっとも、彼女たちにまつわる「伝説」の正体はこれかもしれない、と思わせる事実がひとつだけあります。すでに触れていることですから、思い出してください。
それは、「ひのえウーマン」のほぼ半数が第一子、つまり兄姉をもたない「一番上のお姉さん」、もしくは「一人っ子女子」であるということです。その発端は、次子以降の出生抑制を目的とした受胎調節実地指導にあったのでした。
通常の年の第一子比率は45%ほどなのですが、昭和のひのえうまの第一子比率は、男女合わせた出生時統計で約52%、後述する「壮年女性3000人の人生調査」では、「長姉」が約46%、「一人っ子女子」が約15%で、合わせると6割を超えています。逆にいえば、この生年にはそれだけ「妹」が少ないのです。
そこから先は、きょうだい順位と性格特性、きょうだい順位と高等教育進学、きょうだい順位と婚姻……などということで、一般にいわれる長子(長女)のパーソナリティ、家族内での役割、人生上のメリットなどに接続することができます。
「気が強い」とは必ずしもいわれていませんが、長女気質でしっかり者の「お姉さん」たちが多い?親と親密な関係を続けている人が多い?というようなことです。
ただ、出生順位による性格や人生経験の異なりは、一部で有意性が確認されているというだけで、効果のサイズはいずれもごく小さいものです。それに「姉」が多く「妹」が少ないといっても、他の生年との異なりはせいぜい10%ポイントほどです。
そこに性格特性のわずかな差を掛け合わせていくわけですから、それがこの生年の女性一般の特性として表れているとみるのは、さすがに無理があるでしょう。
ひのえうま女性の性格をめぐっては、江戸期以来の迷信がいちおうは継承されていましたので、諸説に目を配ってみました。しかし結論としては、昭和のひのえうまには旧来の俗説はあてはまっていません。
ひのえうま女性の「気が強い」伝説は、現代女性に八百屋お七の「亡霊」をみているにすぎないようです。
■吉川徹(きっかわ とおる)
1966年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。計量社会学を専攻。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授。同大学行動経済学研究センター教授(併任)。主な著書に『日本の分断~切り離される非大卒若者たち~』(光文社)、学歴と格差・不平等』(東京大学出版会)、『階層化する社会意識』(頸草書房)、『学歴社会のローカル・トラック』(世界思想社)、『階層・教育と社会意識の形成』(ミネルヴァ書房)。


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