
今夏の退団が決まったヴィッセル神戸の元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタのJリーグ最終戦が7月1日に行われる。2018年夏に来日して以来、約5年間にわたって世界的スーパースターはJリーグに何を残したのか…。
一切の驕りなく去りゆく「世界的スーパースター」の余韻
「これはとても美しく情熱的な挑戦だ」
遡ること約5年前。ヴィッセル神戸への加入に際し、アンドレス・イニエスタはそんな言葉で日本、Jリーグでの新たな挑戦を表現した。

撮影/高村美砂
「一番大事なことは、たくさん練習し、多くを学んで、チームに貢献すること。日本の文化に溶け込み、生活を楽しみ、プレーを楽しみ、早くヴィッセルの一員になりたい」
画面の向こうで見ていた世界的スーパースターと、目の前でとても謙虚に、穏やかな表情で語るイニエスタをうまく重ねられず、ヴィッセルのユニフォームに身を包む彼を不思議な気持ちで見ていたのを覚えている。その日から、Jリーグで、ヴィッセルでイニエスタがプレーするという夢のような出来事が日常になった。
ホーム戦、アウェイ戦に関係なく、彼の行く先々でチケットは完売。スタジアムは満員に膨れ上がり、その目の前で彼も柔らかなボールタッチから驚くようなパスを繰り出した。Jリーグの舞台でも決して目立たない小柄な体から、だ。
ルーカス・ポドルスキからのアシストでJ1リーグ初ゴールを決めた18年の第21節・ジュビロ磐田戦も、同年の第31節・名古屋グランパス戦で、寸分の狂いもないループパスからそのポドルスキのジャンピングボレーシュートを演出したシーンも……。挙げればキリがないほど、そのプレーは衝撃的で、美しかった。
そんなプレーの凄さを今さらここで説明するまでもないが、驚いたのはそれらがサッカーへの真摯な姿勢とリスペクト、努力の積み重ねで成り立っていたことだ。
戦うステージの大きさ、チームの人気に関係なく、彼は常に自分が所属するクラブに最大限のリスペクトと愛情を注ぎ、仲間に信頼を寄せた。そこに世界的スーパースターとしての驕りは一切感じなかった。
「ヴィッセルへの加入を決断した時から、楽な挑戦になるとは思っていませんでした。ですがサッカーも、人生も、楽なことばかりが続くわけではなく、いい時、悪い時の浮き沈みは必ずあります。それを自分自身が素直に受け入れ、より強い気持ちで立ちあがろうとすることが大事だと思っています」
J1リーグで5連敗を含む6戦勝ちなしの状況下で行われた囲み取材でこう話した言葉が印象に残っている。
サッカー人生で最も長い離脱、それでもピッチに立ちたかった理由
また、イニエスタへの取材を続ける中で印象的だったのは、AFCチャンピオンズリーグ2020(ACL)の戦いだ。前年度、クラブ史上初めてのタイトル、天皇杯制覇に導いたキャプテンはこの年、序盤から抜群のコンディションでチームを牽引。ACLでもハイパフォーマンスを繰り広げた。

写真/Getty Images
結果的に『アジアナンバー1クラブ』への挑戦はベスト4で潰えたが、彼が示したタイトルへの執念には凄みさえ感じたものだ。ケガを負いながらも準々決勝・水原三星戦で113分からピッチに立ったこともさることながら、PK戦で最初のキッカーを務めたことにも驚かされた。
「ヴィッセルの一員になったときから、自分がこのチームで持つ『重さ』を感じてきました。キャプテンという責任を負うだけではなく、ただの1選手であってはいけないという覚悟もあり、それをアジアタイトルで示さなければいけないと考えていました。
チームを助けたいという一心でPK戦では志願してキッカーに立ちましたが、結果的にあの一本によって、サッカー人生で最も長い離脱を余儀なくされるケガになったと考えても、今もその決断が正しかったのかはわかりません。
ですが、プロのアスリートは時に自分の存在がチームに与える影響を考えて決断しなければいけない瞬間が必ずあります。
その後、彼は右大腿直筋近位部断裂の手術に踏み切ったが、そこに至る過程では「引退も考えた」とも明かしていた。
「36歳という年齢で大ケガを負ったことで、正直いろんなことを考えました。特に手術に踏み切るまでは僕自身のメンタリティ、サッカーへの思いを試されているような時間を過ごしました。ですが、最終的には2020年に得た、これまでで一番いいパフォーマンスを維持してシーズンを進められたという手応えにも背中を押され、ヴィッセルのためにできるだけ長い時間、プレーしようと手術を決断しました」
プレーだけではない隠れたイニエスタの功績
誤解を恐れずに言うならば、彼ほどの名声を得た選手ならば、のちに引退がよぎるほどのリスクを選択する必要はなかったはずだ。仮に水原水星戦でピッチに立たなくても、彼のキャリアは何ら傷つかなかったことだろう。

撮影/高村美砂
ただ、名声や築いてきたキャリアに関係なく一人のプロサッカー選手として、「ピッチに立ってプレーで自分を示すことがアンドレス・イニエスタだ」という信念がそれを許さなかった。
そんな彼だからこそ、今回のヴィッセル退団にあたり、プレーし続けることへの情熱を優先したという決断にもうなづける。
「僕はずっとヴィッセルで引退する姿を想像してきました。しかし時に物事は願望通りにはいかないものです。まだまだピッチで戦い続けたいという思いが自分にはあります。この数か月間も激しいトレーニングを重ね、試合を戦い、チームに貢献するための準備をしてきました。
しかし、それぞれの歩む道が分かれ始め、監督の優先順位も違うところにあると感じ始めました。
もちろん、彼が在籍したこの5年間におけるJリーグ、日本サッカー界の盛り上がり、ヴィッセルへの貢献は改めて説明するまでもない。彼の加入によって世界中にJリーグ、ヴィッセルの名が知られ、近年、多くのヨーロッパの選手がJクラブに興味を抱くようになったことも、世界的なビッグクラブとのビッグマッチが日本で開催される機会が増えたのも『イニエスタがプレーする国、リーグ』だということが、少なからず影響しているはずだ。
39歳イニエスタ、いまだチャレンジをやめず
何より、チームメイトはもちろん多くのJリーガーが日々のトレーニングで、あるいは試合で彼と同じピッチでボールを蹴ることができた事実は世界レベルを知ることにも繋がり、また観る側にもサッカーの面白さを伝え、多くの子どもたちに夢を与えるきっかけにもなった。それは彼が日本で残した功績であるはずだ。

写真/Getty Images
だが、「ピッチに立ってプレーで自分を示すことがアンドレス・イニエスタだ」と考える彼が、そのことだけで今の状態に納得できるのか。コンディションに自信を持つ今、ピッチに立たない自分を許せるのか。
答えはノーだ。
サッカーが大好きで、プレーすることが最大の楽しみである彼ならば。
「しっかりトレーニングをして、コンディションを整えていても公式戦のピッチに立てないということは、僕に限らずいろんな人、職場で起こりうること。決して難しい、複雑な何かがあったわけではありません。
正直、先のことはまだ何も見えていませんが、自分としてはサッカーを続けたいし、サッカー選手としてプレーしながら引退したいという気持ちが強いので、そういった形で引退に向かっていける場所を見つけたいと思っています」
であるならば、夢のようなこの5年に大きな感謝と賛辞を送り、彼の新たなチャレンジを祝福したい。これもまた、彼が真摯に築いてきたキャリアとそこで残した実績があってこそ掴み取ったできたチャレンジでもあるからだ。
Jリーグでのラストマッチは7月1日の北海道コンサドーレ札幌戦。在籍中、たくさんの愛情と信頼を寄せ続けたホームサポーターに、時間の許す限りさまざまな名所に足を伸ばすなど「第二の故郷」と親しみを寄せる神戸、日本での生活に、別れを告げる。
取材・文/高村美砂