1996年に吉本興業のオーディションを経てデビュー。お笑い番組「エンタの神様」では、「マジャ・コング」として毒舌を売りに人気を博したピン芸人のまちゃまちゃ(47歳)。
「女はつまらないからボケるな」と言われて…
9月24日、『千原ジュニアYouTube』に出演したピン芸人のまちゃまちゃは、自身を「ブスで金をもらっていたころの女芸人」と自虐しつつも、お笑い界に押し寄せる「ルッキズム」の風潮に対して、
「ブスが一番おもしれえのに、なんだってんだ!」と吠えた。
さらには、「令和の芸人じゃないことをやっている」と語り、つい最近も酒の飲みすぎで救急車に運ばれたという破天荒なエピソードを披露。今年で芸歴28年目を迎えたにもかかわらず、いまだに”とがり続ける”ピン芸人、まちゃまちゃの本心に迫ると、尖っているだけではない芸人の在り方への思いが見えてきた。
今年で芸歴28年目を迎えたまちゃまちゃ
――YouTube内での発言が大きな反響を呼び、複数のネットメディアにも取り上げられました。どのような思いで「ルッキズム」に言及したのですか。
単純に「このノリだりいな」と思ったからです。だって、かわいくないモノ(人)をかわいいと言うのはウソついているわけで、ちゃんとかわいくないと教えてあげなきゃいけない部分も多少はあるじゃないですか?
別に自分が若手芸人のころに「ブスいじり」されたから、他の人も同じような思いをしろなんて気持ちはサラサラありません。でも、だからといって容姿いじりを『古い』の一言で片付けるのはちょっと違うなと。なにもかも「ルッキズム」で封じ込めようとするのは、面白くないと思うんですよ。
――ご自身も、当時は容姿イジりに傷ついていた一人?
一流の芸人の方たちにイジられて傷ついたことはありませんが、それに便乗してくる「つまらないヤツ」から、たまに傷つけられましたね。私の場合、これまでいろんな例えをしていただいたんですけど、よく言われたのが「(ビート)たけしさんが被る大中のお面みたいな顔してんな!」というイジり。
別に自分でもそう思ってるから気にしていなかったんですけど、それに便乗して、バカにするような言い方をしてくるヤツもいて…。ある劇場作家には「女はつまらないからボケるな」と言われたこともありますし、これまでずっと「(バカにしてくるヤツを)殺すか(自分が)売れるかしか道はないな」と思ってやってきました(笑)。
――当時は、それだけ女性芸人の地位も低かった?
うーん、低いというか…なんでしょうね。どうしても受け入れなきゃいけない部分はあったと思います。「女芸人」だからこれができない、あれができないと決めつけて、大して偉くもないヤツが威張ってくる。当時は女芸人の数もほんとに少なかったので、男性芸人からも「女だから」と意地悪されたこともありましたし。
セクハラをスポーツに変えた
――今では考えられないような環境ですね。そんななかでも芸人を続けてこられた理由は?
私の中で名言で、森三中が残してくれた「まちゃさんはセクハラをスポーツに変えた人」っていうのがあるんですけど、私の場合、「こっちが何かされても気にしないし、逆にこっちからもやってやるぞ」という気持ちでいましたね。
当時、「私のおっぱいに顔はさんでから舞台に上がったらスベらない」という伝説があったくらいなんですよ(笑)。銀座7丁目劇場で、芸人4組ずつくらいに分かれてネタをして、お客さんから面白いほうに投票してもらい、勝ったら毎週舞台に立ち続けられるイベントがあったんですけど、私の入ったチームは負けないんです。同じチームの芸人が「ちょっと俺ウケたいんで、まちゃ姉お願いします!」って感じで、胸に顔を挟むとほんとに勝てたんですよ(笑)
それくらい、私はセクハラとか気にしてなかったし、他の女芸人に感謝(?)されていると思うと嬉しかったくらいですね。
――そんな「姉御」的な存在のまちゃまちゃさんですが、そもそも芸人を志したきっかけはなんだったのですか?
実家の母ちゃんが美容院を経営していたので、中学生のころから「将来はオシャレな美容師になって、東京で成功して地元に帰ろう」くらいに考えていました。でも、高校生のころにロックバンドの追っかけをしていて、メンバーの入待ちの時間とかが暇すぎるので、追っかけ仲間にネタを見せはじめたんです。
もちろん、当時からお笑いは大好きでしたけど、自分でネタを作ったことはないので、とにかくめちゃくちゃ(笑)。最初は「擬人化コント」みたいなことをしていて、牛乳やヨーグルトを口に含んで「チンコでーす」と言ってバーっと吐きだすみたいな(笑)。それでも、みんなが「まちゃ最高だ」と言って笑ってくれたので、学校の授業中にもネタを作るようになっていって、どんどんお笑いの世界に惹かれていきましたね。
――NSC(吉本総合芸能学院)ではなく、オーディションを経て吉本興業に入られていますが、どのような経緯で?
当時、東京にNSCができたことを知らなくて、気づかぬうちにNSCの1期生がスタートしていたんですよ(笑)。そこで、吉本の劇場のオーディションでMCをしていた「ペナルティ」のワッキーさんに相談したら、「お前は学校に行かなくてもいいやつだから」とうれしいことを言われまして。
だからNSCの2期生にはならず、オーディションを受けました。その時も「これで落ちたらしゃーない」と思って臨んだんですけど、当時の銀座7丁目の支配人に「じゃあ今日からよろしく」と言われて、バイトみたいなノリで合格しましたね(笑)
――そこから2005年の「エンタの神様」の出演をきっかけに、29歳という若さでブレイクを果たしました。同世代の芸人に妬まれたりはしなかったのですか。
それはないです。周りの芸人も「まちゃ、すげえな!」と喜んでくれました。なかでも先輩たちのリアクションがうれしくて、「よかったな~」と言ってくれたり、「バイトしなくて芸人だけで食べていけるっていいよな」と背中を押してくれた先輩がいました。
それが、のちに闇営業問題でやらかすことになる「ロンドンブーツ1号2号」の「亮(田村亮)」さんなんですけど、今思うと「誰が言ってんだ、私の感動を返せ!」って感じですよね(笑)
芸とユーモアとジョークの上に成り立つ「ブスいじり」
――(笑)。
もちろん金には困らなくなりましたけど、私は早起きとかも苦手だし、忙しいことに慣れていないので「ちょっと参っちゃったな」という感じは少しありましたね。そもそも「エンタの神様」に拾ってもらったのも、その日たまたま「ルミネtheよしもと」でやった漫談のなかの一言がきっかけだったんです。
当時、給料がいいという理由で中野のキャバクラで働いていたんですけど、同僚(キャバ嬢)にはムカつくわ、店長に給料を持ち逃げされるわ、とストレス続きで、その腹いせにクソみたいなキャバ嬢の悪口を10分間ネタにしてたんですね。そこで私が言った「ハァ?!」って一人ツッコミにプロデューサーが食いついてきて、のちに「マジャ・コング」としてエンタの神様に出演することになったんです(笑)
――そういった毒舌?を続けてきたまちゃまちゃさんだからこそ、昨今の「ルッキズム」の風潮を憂いている?
個人的には、芸とユーモアとジョークの上に成り立つ「ブスいじり」は全然あってもいいと思うんですよ。そりゃ、急に地方の営業で芸人さんとの絡みに疎い司会に「いやあ、ブスですねえ」なんて言われたら「殺すぞオラ」ってなりますけど、一流の方にイジってもらえるなら「どうぞどうぞ」って感じ。
それこそ『トレンディエンジェル』はハゲネタですし、『ブラックマヨネーズ」さんもコンプレックスを押し出してました。やっぱり一等賞獲れるくらいの容姿イジりはただただ爆笑ですよ。もっとみんなでお笑いを楽しめていた時期を知っているので、何もかも守られすぎるのは違うし、それを外野がとやかく言うのも違うんじゃないかな?と思いますね。
――そういった「容姿いじり」への思いが、YouTubeで話していた「ブスが一番おもしれえのに」という発言につながったんですね。
だって、ブスとかオバサンが必死になってたら面白いじゃないですか(笑)。それこそ最近は、SNSにキラキラした子とか多いですけど、あの人たちに街を歩いていて会ったことあります? ないですよね?
世の中の大半はこっち(ブサイク)側だと勝手に思ってるんです(笑)。だからブスであることをチャンスだと自覚できている子には、「大丈夫よ、もっと笑いを取りにいきゃいいじゃん」って声をかけてあげたい。
後半では、現在の彼女の破天荒な生活ぶりと、その酒豪伝説について詳しく聞く。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
写真/松木宏祐