
オリックス・バファローズ不動のセットアッパー・阿部翔太。プロ野球選手としては珍しい28歳という年齢でプロ入りしたオールドルーキ―のプロ3年目が終わった。
年収700~800万円の安定を捨ててプロへ
――28歳でのプロ入りから気づけば3年が経ちました。
阿部翔太(以下、同) 入団したときは、もちろん小さいころからの夢だったので、歳はかなりとってましたけど、チャンスがあるなら勝負したいという気持ちでプロ入りしました。プロに入るときには(社会人野球の)日本生命におったほうがいいのにという声もいただきました。でも、自分で決断したからには言い訳はしたくなかった。
――阿部選手の登場曲でもある『Our core』(HAND DRIP)の歌詞がその生き方と重なります。
あの歌詞いいですよね(笑)。
“誰かのせいでって終わりたくないから
一度の人生賭けるしかないね
やってみれるだけやってみせるぜ
人生失敗の繰り返し
アイツの為にも叶えてみせる
これまでの日々無駄なんかじゃないし
やってきたことだけやってるだけ”
(『Our core』作詞・作曲HAND DRIP)
知らない歌だったんですけど、知り合いからグループを紹介してもらって、歌を聴いたときに僕の人生っぽいなと思って、マウンドに上がるときの登場曲にさせてもらっています。
――率直に社会人野球の日本生命って年収もよかったと思います。
僕は社会人6年目までいたので、年収は700~800万円くらい。10年くらいいると1000万円までいったりするので、いい待遇だと思います。
――好きな野球ができて安定もあって、それでもやっぱりプロ野球でしたか?
社会人野球はめちゃくちゃ好きでした。
野球に携わるという意味でも、プロのほうが長く携われるかなと。あとは、プロの世界で自分がどれだけやれるかってのも試してみたかったですし、僕の中でプロ入りへの迷いは一切なかったです。
「僕ら野球下手くそだから…」
――社会人野球で学んだことって何ですか?
たくさんあるんですが、特にコロナ禍のときに無観客で試合をしたときのことを憶えています。無観客だと、あんまり燃えなかったんですね。ふだん応援してくださっているみなさんがいるからこそ力を発揮できてたんだなと思い知らされました。社会人野球でも会社の方がすごく応援してくださってて、投げてて本当に楽しかったし、うれしかったんですよ。
やっぱりお金をいただいて野球をするのは社会人野球が初めてで、その責任感はありました。日本生命は特に朝から野球に集中できる環境でさせてもらってて、その上で職員さんと同じ給料をもらっていたんです。そういう「責任感」は社会人時代に学びました。
――そうした経験があるからファンをとても大切にされているんですね。
社会人上がりなので、プロにきたからといって「プロ野球選手」感みたいなのをあんまり出したくないというか、あんまり特別やと思ってないです。普通に居酒屋とかいきますし、「こんなとこいるんですね」って言われるけど、まったく気にしません。街中で声をかけられたら普通に一緒に写真も撮ったりします。
ファンの方のありがたみを感じてますし、応援してもらって当たり前じゃないので。応援してくださる方々がいなかったらプロ野球って成り立たないと思っています。
――阿部選手はファンとの距離が近いですよね。
たしかに夢を与えるスポーツ、職業なので、あまり近すぎてもよくないところがあることもわかっています。でも、それはたぶんすごいスター選手がそうであって、社会人6年もやって28歳でなんとかプロ入りした僕みたいな選手はすごくないんですよ。野球が本当に上手かったらもっと早くプロに入ってるはずなんで、(同じ社会人野球出身の)比嘉(幹貴)さんと2人で「僕ら野球下手くそだから(笑)」ってよく話しています。
すごいプロ野球選手はたくさんいますけど、僕はそこじゃないと思ってるので。いいのか悪いのかわからないんですけど、あんまりエラそうになったりしないように普通にやっています。
この先がよければそれが正解
――1つ聞きにくいことを聞いてもいいでしょうか。
なんでも聞いてください。
――昨年の契約更改で一昨年に離婚されていたことを公表しました。
球団からはプライベートのことなので公表しなくていいって言われたんですけど、自分から言いました。ファンの方は僕が結婚して子どもがいてプロ入りしているということを知ってるので、例えば僕に彼女ができて街を歩いているときに見られて誤解されるのもいやだし、いろんなことを考えたときに元奥さんからしてもいやじゃないですか。だからそこは隠すことじゃないと思って自分から言いました。
――プロ入りした環境の変化は大きかったのでしょうか。
モメたとかではなくて、子どもに会う回数を決められてるわけでもなく、今も子どもと元奥さんと一緒に一泊旅行にも行けます。正直、日本生命で社会人野球をしていれば、離婚していなかったかもしれないとは思うんですけど、今は子どもにできることをしっかりできたらそれでいいかなと考えています。
――広島カープの矢崎(加藤)拓也投手も今年2月に「離婚というネガティブなイメージが変わればいい」と離婚を公表していました。3組に1組が離婚する日本で「バツイチ」という言い方は本当に「バツ」なのかなと思ってしまいます。
僕はマルイチって言ってますよ(笑)。プロに入る決断もそうですけど、この先がよければそれが正解だと思うので。
盟友の背番号20を受け継いで迎える2024
――来季は仲のいい近藤大亮選手が巨人へ移籍してしまいます。
「大亮さんにとってはチャンスだと思うんで」という話は大亮さんとしました。必要とされる場所にいくことは選手としていいことだと思うので。でも、これで「革命軍」(阿部と近藤のユニット)は自然消滅ですかね(笑)。
――阿部選手が近藤選手の背番号20を受け継ぐことになりました。
僕自身は(今季までの背番号)45も好きなんで変えるつもりじゃなかったんですけど、大亮さんが「おまえ45にこだわってるの? 20付けろよ。オレからも球団に言うとくわ」って言ってくれたので「付けられるなら付けたいです」と答えました。
ただ、大亮さんにも言ったんですけど、「若い選手が付けるって言ったら譲ります」って言いました。いい番号なんで。
――そういう若手への気遣いが愛される理由なんでしょうね。
コミュニケーションをとるのは上手いほうやと思いますけど、たぶん、なめられてるだけです(笑)。
――最後に来季の意気込みをお願いします。
長くこの世界で活躍したいので、しっかり3年目もチームに貢献してまだまだ長くやれるようにやっていきたいです。ファンの方の応援の力を全選手が感じてるので、まだまだ力を貸していただけるとうれしいです。たまに阪神ファンとの人数を比べられたりするんですけど、人数関係なくやっていければ(笑)。
――来年もオリックスにしかない楽しみを楽しんでいきたいです。4連覇期待しています!
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取材・文/集英社オンライン編集部 撮影/高木陽春