
2022年に手塚治虫文化賞新生賞を受賞した漫画家・谷口菜津子の新連載『じゃあ、あんたが作ってみろよ』は、”完璧な男”が慣れないながらに作る料理を通して、今までの「あたりまえ」を見つめなおす物語だ。作者は「自分自身への警告」としても、本作と向き合っているという。
私も「おじさん」たちと同じ失敗をしそうで怖い
–––『じゃあ、あんたが作ってみろよ』の主人公・海老原勝男くんは、今の時代に珍しい古風な男性です。たとえば「料理は女のもの」みたいな思い込みをしている彼が、急に彼女にフラれたり、合コンで総スカンを食らったり……世界に置いていかれている様子が痛快、かつ哀れでした。
勝男は、大学のミスターコンテストでも優勝するような男ですが、料理でめんつゆや顆粒だしを使うことをバカにしていたり、彼女に対して「(結婚という)責任取らなきゃ」と思っていたり、古い価値観を持った男にしました。
キャラクターを作るうえでは、担当編集さんと打ち合わせをしているときに「ドラマ『エルピス』で前田郷敦さんが演じている役がすごく素敵だった」という話で盛り上がりまして(笑)。実家が太くてイケメンで自信もあるはずなのに、自分の無力感を前に涙してしまう……みたいな。彼のように「壁にぶち当たるハイスペ」を作ろうと思って生まれたんです。

漫画家・谷口菜津子さん

古風な男性として描かれている主人公・海老原勝男。『じゃあ、あんたが作ってみろよ』第1巻より(©︎谷口菜津子/ぶんか社)
–––谷口さんは、勝男について「自分自身に対する警告のようなところがある」と綴っています。谷口さんは、古い価値観を持っているようには見えないのですが……?
いや、自分も彼のように「間違えている部分」があるような気がしていて。
–––間違えている部分?
私自身、35歳を過ぎたあたりから「ヤバいな」と思う瞬間が増えてきたんです。おじさんたちが若い女性と話すとき、間を繋ぐために自分たち世代のテンプレ発言をして場が凍りつく……みたいな話って、よく聞くじゃないですか。私も同じ失敗をしそうで怖いんです。
つい最近も、自分より年下の友達と飲んでいるときに「若いからまだいいじゃん」みたいな発言をしてしまって、「いや、何を言っているんですか」と怒られたばかりです。

『じゃあ、あんたが作ってみろよ』第1巻より(©︎谷口菜津子/ぶんか社)
–––たしかに、本作も勝男を全否定しない展開ですよね。そこは読んでいて安心しました。
少し前のサイン会で、年配の男性が来てくださったんですけど、その方が私の漫画を読んで「こういう価値観があるんだなと知ることができて良かった。」とおっしゃっていて。きっかけがあれば自分より下の世代のことを知ろうとしてくれるんだな、と希望を感じました。この経験が、勝男に結びついているような気がします。「反省できる人」にしたいな、と。
クソ男の運命は“破滅”でいいのか
–––2020年には、男性のジェンダーロールに悩まされる作品『男がつらいよ』も描かれています。以前からジェンダー的なトピックに興味があったのでしょうか?
私たちは、いろいろな映画や文学で「この社会を、女としてどうやって生き抜くか」というお手本を見せてもらっていると思うんです。けれど、自分が知らないだけかもしれないんですが、男性が変わりたいと奮闘する作品は、女性のそれと比べるとあまり見ないな、と。
それに、私自身も価値観が変わった気がするんですよね。自分が昔描いた漫画を今読むと「うわ……」って思いますから。

『今夜すきやきだよ』のスピンオフ作品として「SPA!」に掲載された『男がつらいよ』(©︎谷口菜津子/扶桑社)
–––私も高校生ぐらいのときは、リップクリームを塗っている男子に「女子力高い」と言っていたなと反省しています。
そういう経験、ありますよね。昔の自分の行ないを振り返ると、反省しかないです。つい最近も、気の合う同世代の男女で飲んでいるときに「あのときの自分はよくなかった」と反省し合う流れになりました。「俺ヤバかったね、ごめん」「いや、私も酷かったよ」って。友人同士で飲みながら「変わっていかなきゃマズイよね」と自分たちの行ないを振り返りました。
–––ここ数年で、これまでのジェンダー観がだいぶ更新されましたよね。
子どものころの家庭科の教科書って覚えていますか? 今は違うかもしれませんが、自分が使っていた教科書は、お母さんがエプロンを着て、お父さんが日曜大工をする……みたいな画像が多かった。
あと家庭科と技術科の授業はあるけれど、なんとなく前者は女の子、後者を男の子が頑張る……みたいな雰囲気もあったような気がします。教室の中でジェンダーロールのイメージが刷り込まれていったなと思うと、根深い問題だなと思います。
–––「そういう価値観を変えなきゃ」と思い始めたのは、いつぐらいからですか?
本当に最近だと思います。Netflixとかで海外ドラマを大量に見るようになったからかなぁ……。
NetflixやHuluなどを通して、世界にはこんなにジェンダーの問題に関する作品があるのかと驚きました。
–––特に影響を受けた作品はありますか?
最近観た中で印象に残っているのは、『マーベラス・ミセス・メイゼル』です。
専業主婦だった女性がコメディアンとしての才能を開花させていく物語で、舞台となっている1950年代末~1960年代前半って、女性がステージに立つことも、目立つことも歓迎されない時代だったそうです。主人公の夫・ジョールは働きながら趣味でコメディアンとして活動をしているのですが、コメディアンとしてはそれほど上手くいっていない。その理想と現実からの逃避からか秘書と浮気をして、2人は離婚してしまうんです。
–––理想だけが高く、女癖も悪い夫……。
この作品が今まで自分が触れてきたものと違うなと思った点は、妻を蔑ろにして浮気をした夫が破滅していく痛快な物語などでなく、ジョールが元妻に触発されてよい方向に変わろうとしていくところです。妻を蔑ろにして浮気をした夫が破滅していく痛快な展開ではない。勝男を描くうえで、すごく参考になりました。
ジェンダーギャップの描き方
–––ジェンダーギャップを物語に落とし込むのは、バランスが難しそうですね。
本当にあらゆるバランスが難しいですよね。伝統的な男尊女卑の慣習で深い傷を負っている人もいます。私も昔付き合っていた人に「彼女なんだから料理作ってよ」って言われて泣いたことありますし。
私は、常に「自分は正しくない」と思う傾向がありまして。さっきも言ったように「自分もやらかしているかもしれない」という考えが拭えない。だから漫画家としてバシッとした作品はたぶん描けなくて……何か小さなきっかけになるといいなと思って描いています。

『じゃあ、あんたが作ってみろよ』第1巻より(©︎谷口菜津子/ぶんか社)
勝男は、担当編集さんが九州出身なので、地方出身というところやそれによる文化の違いも描きたいと思い、九州出身という設定にしたのですが、九州の男性全員が“勝男的”な人ではない。九州の方が不快な気持ちにならないように、と常に心懸けています。
そういうこともあって、最初は『男子の家庭科』という仮題だったんですが、もう少しゆるい雰囲気に調整しました。
–––ほんの少し言葉のセレクトを変えるだけで、全然違って見えますね。
X(旧Twitter)にこの漫画をアップしたら、共感してくれる人と怒っている人がいて。そういう諍いを見るとつらい気持ちにはなるんですけれど……話し合いをたくさんすることは大事だと思うんです。
私自身のいたらなかったところは教えてほしい。すぐに作品に落とし込むことは難しいかもしれないですが、考えることから逃げ出したくないです。それはジェンダーの問題だけじゃなくて、若者に対してとか、本当にいろいろな部分。

『じゃあ、あんたが作ってみろよ』第1巻
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』第1話を試し読み

文・インタビュー/嘉島唯
じゃあ、あんたが作ってみろよ(ぶんか社)
谷口菜津子

2023年12月14日発売
880円(税込)
B6判/192ページ
978-4-8211-5720-4
社会人カップルの勝男と鮎美。大学時代から続いた交際は6年目を迎えようとしていた。同棲生活にも慣れ、そろそろ次の段階へ…と考えていた勝男だったが、そんな彼に訪れた、突然の転機とは―!? 慣れないながらに作る料理を通して、ザ・昭和男が今までの「あたりまえ」を見つめなおす、第26回手塚治虫文化賞・新生賞受賞作家、谷口菜津子の最新作!描き下ろし漫画も多数収録。