
10時から18時まで、家賃7万円、8畳一間のオフィスで黙々と本を作り続け、さまざまな仕事の実情を語る「職業日記シリーズ」を累計発行部数62万部の大ヒットに導いた編集者がいる。勢いづく「一人出版社」を起こした中野長武氏に、その成功の秘密を聞いた。
時流とマッチングさせることの大切さ
――さまざまな仕事の実情を語る「職業日記シリーズ」の1作目『交通誘導員ヨレヨレ日記』が7万6000部も売れ、その後、シリーズ累計発行部数62万部(全18冊)の大ヒットへと続くわけですが、1作目のヒットの要因はなんだったのでしょうか?
中野長武(以下同) 1作目を刊行したときは、ちょうど世間が「老後2000万円問題」で揺れているときでした。2000万円貯めるどころか高齢者が生活費のために働かざるえない状況を描いたこの本は、その時流に乗っかり、テレビをはじめ、多くのメディアに取り上げてもらいました。ヒットはその結果だと思います。やっぱりメディアの力はすごいです。
――シリーズ全18冊中、どの本が売れ筋ですか?
『交通誘導員ヨレヨレ日記』『ディズニーキャストざわざわ日記』『非正規介護職員ヨボヨボ日記』『ケアマネジャーはらはら日記』『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』がよく売れていますね。
分析すると、交通誘導員や非正規の介護職員、ケアマネージャーが人気というのは、やはり自分たちの老後に関係するテーマとして関心が高いからなんだと思います。まだまだ働かなければいけない中高年の人たちに、自分と同世代が働いてるんだと、自分事として参考になったのではないでしょうか。
シリーズのおもしろさを担保する技
――職業日記シリーズは、リピーター読者が多いのも特徴だということですが……。
まずは、発行部数2、3万部を目指し、その職業への関心から入ってくる読者をターゲットにしています。加えて、一度読んでみたらおもしろかったから、シリーズの前作や新作を読んでみようと思う方々が一定数いて、部数を底上げしてくれています。
こちらとしても「このレベルだったら、もう読まなくていいや」じゃなくて、「このぐらいのおもしろさはだいたいどの本も担保してるんだな」と感じてもらえるような本づくりを目指していますね。そのおもしろさに達しないのならば本を出さない、っていう自分だけの感覚的な基準もあります。
実際、イラストやカバーデザインができあがっているのに、発行を断念した作品があります。その方はある職業のシングルマザーで、お話を聞いていると、子育てしているころの娘とのやり取りがおもしろいわけです。
だから、プライベートのあなたを描くために、娘さんと喧嘩したり、仲直りしたりする描写を含めて親子関係のありのままを書いてくださいとお願いしたんです。ところが執筆が進むにつれて、「この作品ができあがったときに娘が読んで傷つくことは避けたい」と言うようになって……。
しかし私からすれば、読者におもしろいものを提供しなきゃいけない立場ですから。あなたにしか書けない、と伝えるやり取りが何日か続いて、あるときから音沙汰がなくなりました。
私は著者が隠したいことがえてして読者の読みたいものである可能性があると思っているんですね。また、著者が言いたいことだけを言うと絶対おもしろくならないんですよ。だから私がたずねたことには、すべて答えてもらいます。それがおもしろさを担保するための編集方針のひとつです。
はじめての本を書くのに大切なこと
――1作目以降、原案・原稿の持込が続いているということでしたが……。
キャビンアテンダント、女性騎手、風俗嬢、托鉢僧、海上保安庁などなど。バラエティーに富んでいますが、まだ実現には至っていませんね。
――著者になりたい人は、どんなことに気をつけるべきですか?
日記という体裁をとっていますが、例えば「今日、電話がありました」って言うだけではダメで、それをどうおもしろく、電話があったかを表現するかが重要なので、あったことを真正面から書いてはダメですね。純粋な日記ではないので、観察眼と自分なりの表現が必要です。
また、下品な話があったりしても、どこかで救いがあるような形にしたり、ちょっと意地悪な心があっても「それって人間、誰でもある感情だよね」のように、おさまりのいい形でまとめたりすることも大事ですね。
目的が謎の内容証明!
――職業日記シリーズは、業界の暗部を明らかにしている側面があると思うのですが、企業から訴えられたことは?
訴えられていません。でも、18冊刊行して大手企業2社から2件の内容証明が届いています。9分の1の確率です。ともに書籍の内容に抗議するものですが、具体的な要望がないんですよ。だから対応のしようがなく、放置せざる得ない状態です。
内容はすべて事実を描いていますし、後ろ暗いところもない。だから、むしろ訴えてほしいぐらいに考えています。それでまた本が話題にもなりますしね。
――そもそも、なんで「一人出版社」を始められたんですか?
2017年10月に、私が18年間勤めた出版社の三五館が倒産しました。それでその年の12月に1人で三五館シンシャを設立することになりました。
一人出版社の魅力は、上司も部下もいないってことです。怒られないし、怒ることもない。
設立後のトラブル
――会社名「三五館シンシャ」の「シンシャ」には、「新社」と「深謝」の意味が込められているとか。倒産してしまった前の会社(三五館)に強い思い入れがあるのですか?
もちろんです。恩返しの気持ちが強いです。私は1976年生まれで、いわゆる就職氷河期にあたる世代です。採用がない会社も多くて、就職活動のときに出版社を30社ぐらい落ちました。
「なんで私が入れないんだ」と怒っていました。入社したやつは、私よりもそんなに優秀なのかと。なんとしても自分の好きなことやってやるんだという覚悟が生まれ、その後、社員募集をしていないのに、出版社に直電をしては社長に会いに行っていました。意外と社長は会ってくれるんですけど「君の熱意はわかるけどむずかしいね」って言われて。
そんななかで、三五館だけが私を引き取ってくれました。そして育ててくれました。
ところが、この会社名があだとなり、大手出版取次会社(本を書店に配本する会社)で口座開設ができませんでした。理由は負債が残る三五館の会社名は一部でも使えないと。
一瞬、会社名を変えることも頭をよぎりましたが、それでは意味がない。このままで行くと覚悟を決め活路を求めました。その結果、ありがたいことにフォレスト出版が応援してくれることになり、営業・販売を請け負ってもらっています。
「一人出版社」の気楽さ!
――最後に、今後の抱負を教えてください。
誰かを雇っているわけではないので、取り立てて言うような計画はないですね。成り行きで経営しているようなもんですから。
いまは消費者金融、介護ヘルパー、警察など、4冊を並行して編集しているのと、森永卓郎さんの本『ザイム真理教 それは信者8000万人の巨大カルト』『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』が売れたので、3冊目の『がん闘病日記』を編集しているところです。
生きがいは本だけで、本作りがおもしろくてしょうがない。ずっと作るためにも、お金ができたら新聞広告をうつなど、さらに売っていきたいですね。
取材・文・写真/集英社オンライン編集部
電通マンぼろぼろ日記
福永 耕太郎