
東京都足立区西保木間の住宅街を歩いていると、民家をまるまる改築した異質なアートギャラリーが現れる。その名も「あさくら画廊」。
副業はせず、1ヶ月の収入は「6~7万円くらい」
――この画廊にある作品は、すべて販売しているんですか?
辻修平氏(以下、同) はい。この中で一番安い絵は5000円で、一番高い絵は214万円です。絵の大きさで値段を決めることが多く、1号(キャンバスサイズ)3万円という値段設定にしています。
あと、この家も丸ごと2億4000万円で売っています。この家も1個の作品なので。
――たしかに、風呂場やトイレ、台所など、家全体がアートで埋め尽くされていますね。風呂場にある血まみれのぬいぐるみは、すごいインパクトです。
このぬいぐるみは、実家のマンションのゴミ置場で拾ってきたものです。それに祖母の家にあった五月人形の刀を刺して、赤い油絵の具で仕上げました。
――作品はどれくらいの頻度で売れますか?
全然売れないですね。
1ヶ月の収入は6~7万円くらいで、副業とかはしてないです。
――生活が厳しいと思うことはありますか?
この生活だけならやっていけますが、ほかには何もできないですね。ふだんは基本的にずっとここで作品を制作していますが、1週間に一度、彼女の家に泊まりに行っています。彼女はファッションデザイナーをしていて、付き合って5年になります。
――ご家族は活動に協力的なんですね。
はい、協力的です。自由にやらしてくれるんですよ。
――裕福な家庭で育ったんですか?
いえ、普通のサラリーマンの家庭で育ちました。
イチ押しの作品は、100万円の“ゾウさん”
――イチ押しの作品はどれですか?
このゾウさんです。この作品は現在100万円で販売しています。
――あと、いたるところにギャルの絵がありますね。ギャルが好きなんですか?
はい、ギャル好きです。最近はギャル雑誌がかなり少なくなったので、描く頻度は減りましたけどね。以前はギャル雑誌をいっぱい買ってきて、それを見ながら絵を描いていました。
基本的には、自分の好きなものを描いています。自分の作品はすべて気に入っていますし、全部に思い入れがあります。
――最近はどんな作品を作りましたか?
毎日制作しているので、いっぱいあるんですが……1週間くらい前に、ラジカセをピンクに塗りました。もともと真っ黒だったのですが、画廊に来てくれた外国人のお客さんに「ノーピンク!」と言われて、一か八かピンクの絵の具を直塗りしました。今のところ問題なく使えています。
――1ヶ月にどれくらいお客さんが来ますか?
30人くらいで、最近はその6割くらいが外国の方です。
この画廊が外国人観光客向けサイトに掲載されているみたいで、それを見て来てくださる方が多いです。外国の方は、よく「アメージング!」とか「クール!」とか言ってくれます。
――ふだん、ここで生活をされているとのことですが、どうやって暮らしているんですか?
トイレはそのまま使っていますし、風呂場では置いてある作品を湯船のほうに移動させてから、シャワーを浴びています。台所も普通に使っていますよ。
寝るときは、2階の押入れの中に布団を敷いています。世界観を壊さないように、営業時間になったら、衣類を含めて生活感のあるものはすべて押入れの中に入れています。
東京藝大の受験に失敗し、独学の道を歩む
――辻さんは似顔絵も描かれるそうですね。今まで1日何人くらいの似顔絵を描いたことがありますか?
多いときで、1日10人くらいですね。2020年にYouTubeチャンネル「エミリンチャンネル」で取り上げていただいたときに、ここでエミリン(大松絵美)さんの似顔絵を描いたんですよ。
その動画が公開されたあとに、すごくたくさんのお客さんが来てくれて。みんなに「似顔絵を描いてほしい」って言われたのですが、そのときはすごく大変でしたね。
――画家を目指したきっかけは何ですか?
僕は港区にある東海大学付属高輪台高等学校に通っていたんです。だから大学は何も考えずに、そのまま東海大学に進学しました。でも、キャンパスが箱根のほうにあって、通学に片道3時間くらいかかったんですよ。往復6時間くらいかかるのが嫌で、1年も通わずに中退しました。
その際「そういえば俺、絵がうまかったよな。藝大でも受けてみようかな」と思って、そこから東京藝術大学を目指すようになりました。
――画廊をオープンしたきっかけは?
藝大は3回受験したのですが、すべて失敗しました。それで最後に受験に失敗した年に、母方の祖母が足立区で営んでいた豆腐屋が閉店しちゃって。店舗が空いたので祖母に「あんたなんかやれば」って言われたのがきっかけです。「東京藝大は受からなかったし、独学で絵を描くか」と思って、そこをアトリエにしました。
今の場所に来る前は、その豆腐屋の跡地で「せんごく画廊」というギャラリーをやっていました。母方の祖母の苗字が「仙石」なので、その名前をつけました。
––––その後、あさくら画廊をオープンしたきっかけは?
前の画廊が、絵でいっぱいになっちゃったんですよ。広さが10畳くらいしかなかったので。
それでどうしようか考えていたときに、父方の祖母が老人ホームに行っちゃって、ここが空き家になったんです。すると父が「自由に使っていいよ」と言ってくれて、「ピンクの家が作れる」と思い立ち、12年前にここへ来ました。
とにかくピンクの家が作りたかったんですよ。それまでの作品を全部持ってきて、いろいろ改装したあと、2012年8月にあさくら画廊をオープンしました。
小学生の出入りを学校が禁止した理由
――そもそも、ピンクの作品を作り始めたきっかけは何ですか?
画材屋で、ピンクの絵の具と運命的な出会いがあったんですよ。当時、毎週画材屋へ行って、絵の具の研究をしていたんです。そうしたら、あるときこのピンクの絵の具を見つけて、「この色はどうやって使うんだろう?」と思い、試しに買ってみたんです。このピンク色と縁色の2色だけでギャルを描いてみたら、すっかりハマってしまって。
――こんなにもピンクの絵を描いていて、飽きないものなのでしょうか?
不思議なことに、まったく飽きないです。スランプになることもないですね。
ずっと「作らなきゃ!」「描かなきゃ!」っていう強迫観念に囚われているんですよね。だから、いくら描いても終わることがない。この感情が何なのか自分でもよくわかんなくて、「いつか解放されるときが来るのかな?」と思っています。
――辻さんはさまざまなメディアに取り上げられていますが、注目されるようになったきっかけは何ですか?
あさくら画廊を始めたばかりのころ、近所の小学生がよく遊びに来て、ここがたまり場みたいになっていたんですよ。で、よく来ていた小学生がテレビ番組「ナニコレ珍百景」に画廊のことを投稿したんです。それで紹介されたのが、はじめてメディアに出たタイミングですね。
テレビで紹介されたあとは、さらに画廊が小学生でいっぱいになりました。多い日で、20人くらいの小学生が遊びに来ていましたね。
――小学生は最近もよく遊びに来るんですか?
いえ、2014年ごろからは来なくなりました。近くの学校で、子どもだけでここへ来ることが禁止されたんです。
――なぜそのような決まりができたのでしょう?
小学生たちが「マッチを使ったことがない」って言っていたので、僕が教えてあげたんです。そしたら、その子たちが火遊びにハマっちゃって、近くの公園でボヤ騒ぎを起こしてしまったんです。
親に「誰にマッチの使い方を教わったんだ?」って聞かれた子どもが、「ピンクのおじさん」って答えたようで。それからは、子どもは画廊へ来なくなりました。
――今後の夢はありますか?
とにかくデカい絵が描きたいですね。大きな壁や車、飛行機などを、かわいいピンクの絵で仕上げたいです。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班