
大きな瞳を輝かせ、ポニーテールを左右に大きく揺らし疾走する。激しいプレーの合間には明るい笑顔が弾ける。
ディズニーチャンネルでバスケと出会った
2歳のときの原因不明の疾病で、両足の運動機能を失い車いす生活になった。バスケとの出会いは小学5年生のとき。
「大好きだったディズニーチャンネルを観ていたときでした」姉とテレビで見た映画にバスケットボールが出てきて「楽しそうやなー!」と興味をもった。
「やりたいな! と思ったけど、やれるところをどう探せばいいかもわかりませんでした」
リハビリの先生に話したところ紹介してくれたのが、地元京都と大阪を拠点とした女子クラブチーム「カクテル」だった。全国大会常勝の強豪チームだ。
さっそく見学に行ったが、車いすバスケットボールのみならず「自分以外の車いすの人を見たのも初めて」だった。「シンプルにすごいなって思いました。バリバリ車いすに乗って、コケながらもがんばっていて」
しかし選手たちはほとんど大人で、最も年齢が近くて4歳上。まだ小学生だった柳本には、真剣に競技に取り組む姿が“ガチすぎて”怖かったという。
その1年後、「なんかもう1回行ってみようかな、という気持ちになって」チーム練習に参加するようになった。
強豪チームに食らいついた中学時代
チームに日本代表選手が多くいたこともあり、競技を始めたときからパラリンピックは目標だった。「私は絶対パラリンピックに行く、日本代表になる! とずっと言ってました」
さながら英才教育ともいうべきハイレベルな環境に身を置いたことを「ラッキーだった」と話す。
「正直練習はしんどかったです。やっぱり強いチームなんで。でも、だからこそ今の自分があると思います。体力も精神力も養われました。中学の3年間は、練習中1回もボールを触らず、陸上部なみに走りこ込んでいた時期もありました」
持ち前の負けん気で食らいつき、技術を磨いた。「何かちょっとでも上手くできたら、すごい楽しくなっちゃう。負けず嫌いなんです(笑)」
日本代表でも試合に出られないジレンマ
2014年、高校1年生で初めて日本代表に選出される。しかし試合にはなかなか出られなかった。「ベンチウォーマーの時期がずっとありました。ものすごく悔しかった。
そこから他の選手の動きを分析して、シュート率を上げる工夫を積み上げていった。「めちゃくちゃ練習しました。スタメン取れればパラリンピックへ行ける!と」その努力が実り、2大会連続でスタメンに入った。
挫折をターニングポイントにした“負けず嫌い”
だがその後、リオパラリンピック予選大会のメンバーから落選。バスケットをやめたいと思うほど落ち込んだ。「めっちゃ悔しくて。大会も見られなかった」だがこの挫折が大きなターニングポイントとなった。さらに練習量を増やして目標に向かっていく。
「シンプルに負けず嫌いが出た(笑)。やっぱり負けず嫌いなんです。『もうあの思いを絶対にしたくない!』と。
スリーポイントを世界レベルに
カギとなるのはやはりシュート成功率だ。「精度を上げるために、体幹トレーニングやピラティスにも取り組みました」
さらにシュートフォームも改善した。「以前は、自信のなさから助走距離を長くとり、スピードを出していましたが、逆に助走距離とスピードを抑えて、ラインギリギリから真上に放るように変えました」
シュートの成功率は上がり、スリーポイントシュートにも磨きをかけた。2023年の世界選手権ではスリーポイントシュートの個人ランキングで2位に。「スリーポイントは、間違いなく私の武器です。それが自信です」
さらなる進化で東京からパリへ
東京パラリンピックでは、全試合でスタメンの座を勝ち取った。「リオでの挫折を経験した私にとって、めちゃくちゃデカかったし、大きな自信になりました」
次のパリ大会に向けて、さらなる成長をとげようとしている。「今はガードを任されていて、コーチからもキャプテンからも『あまねらしくやってくれたらいいよ』って言ってもらって」ガードとはオフェンスを組み立てるいわば司令塔。重要なポジションだ。
「最終予選では自信を持って指示を出せたり、自分が迷いなく打てたりしましたし、パスのタイミングなんかも、ガード力という点ではちょっとは成長してるかな、と。自分のためにとか、自分が得点するためにとかではなく、チームのためにどれだけ自分が貢献できるか、そこにシフトチェンジしています」
その表情は、チームを牽引する中心選手のものだ。
ピンクのネイルで気合いを入れる
メイクやおしゃれも大好き。「大会でのネイルは絶対ピンク!」と指先を掲げる。「試合中ネイルを見るとやる気が出ます。特にピンクは自分らしさを取り戻せる色で、安心するんです。
車いすバスケは「人を明るくしてくれる」
車いすバスケには深く感謝しているという。「自分を変えてくれた存在やから、もう間違いなく。大好きですこの競技が」
さらに平等なところが好きだと語る。「障害がある人、ない人関係なく、1個の車いすに乗るだけで、全員が同じ競技で楽しめます。障害の重さによる持ち点という制度で、だれもが平等に活躍できる機会があるところがいいですね」
そして笑顔で続ける。「私は車いすになって、すごい自信がなくなってたんです。でも車いすバスケに出会って、これだけ明るい性格になった。車いすバスケは、“人を明るくしてくれる競技”だと思います」
今日も元気な声がコートに響いている。
取材・撮影/越智貴雄[カンパラプレス]