
「高校野球はなぜ、いまだに坊主なのか?」「なぜ体罰はなくならないのか?」ともに高校時代は野球部に所属していた小説家の早見和真さんと、ノンフィクションライターの中村計さんが、これら“高校野球的なもの”の正体を語りつくした。
問題は「選手の自己決定権」が奪われていること
中村 早見さんは高校時代、丸刈りに対してはどんな感情を持っていたのですか。
早見 もちろん嫌でしたよ。
中村 私は本当に最近なんですよ。みんなで丸刈りにしているのは、実は、おかしいんじゃないかと思い始めたのは。
この話を持ち出すと、得てして「丸刈りは悪なのか」みたいな方向に逸れていってしまうのですが、丸刈りそのものがおかしいのではなくて、何の根拠も理由もなく、「髪なんてどうでもいいじゃないか」とか「伝統だから」みたいなぼんやりとした言い分で全員が丸刈りにするのはおかしいですよね、ということなんです。
選手個々の意志で丸刈りにするのならいいのですが、実際は、監督の好みであるケースのほうが多いじゃないですか。
『高校野球と人権』で対談相手を務めてくれた松坂典洋弁護士も「丸刈りが問題なのではなく、選手の自己決定権が奪われていることが問題。自分たちで決めているならどんな髪型でもいいんですよ」と話していて。まさにそういうことなんですよね。
早見 中村さん、本当に昔の僕と入れ替わっている気がしますね。
中村 選手たちのサラサラヘアが話題になりました。
早見 あのとき、テレビで試合を眺めていて、無意識に丸刈りのチームのほうを応援している自分がいたんです。恥ずかしいからあんまり言いたくないですけど、慶應といえば都会の進学校で、選手たちはすでにいろいろ持ってるんだから、もういいだろう、みたいにボンヤリと思っている自分がいて。
中村 それは意外ですね。慶應に対して、高校野球の優勝旗まで持っていくなよ、という空気感は確かにありました。私は今、どちらかというと丸刈りでない、普通の髪型のチームを応援している気がします。やっぱり高校野球が変わっていくところを見たいのだと思います。早見さんは先進的に見えて、実は保守的なところもあるんですね。
野球のためなら去勢できるか
早見 どちらの自分もいることを認めなきゃいけないんでしょうね。『高校野球と人権』の中に、小学校から中学、中学から高校に上がるときに丸刈りが嫌だから野球をやめていった人たちの話が出ていましたよね。
僕の中には丸刈りだから野球をやらないという選択肢はなかったのですが、高校時代に、極論ですけど「『雑念を振り払うために去勢しろ』と言われたら、さすがに自分は野球をやめただろう」と考えたことがありました。
でも、そう言われてもやるやつはやるんじゃないかみたいにも思っていて。中村さんは、どうですか? 去勢しろと言われても野球をやっていましたか。
中村 え、どうなんだろう。やってたのかな。さすがにそこまでは……という気もしますけど、周りがそれに黙って従っていたら、丸刈りと同じように野球部はそういうもんなんだと思ってしまっていたかもしれません。
早見 去勢することが高校野球界の主流だったら、流されてしまう人はそれなりにいたんじゃないかと思うんです。もちろん取り返しのつく坊主頭と、そうじゃない去勢の間には大きな違いはあります。でも、それを許容してしまうくらいのレベルで、この国の高校野球は得体の知れない何かに覆い尽くされている気がします。少なくとも、高校時代の僕はそう感じていました。
中村 間違いなく覆い尽くされていましたし、今もまだ覆われているところはあると思います。ちなみに早見さんは野球をやっていて殴られたことはあったのですか。
早見 それはもう。千発は下らないんじゃないですかね。グーでやられたこともありますよ。その拳に、素振りのときにつける重りがはめられていたこととかも。
中村 早見さんは僕より4学年下の1977年生まれですが、当時の神奈川県もやはりそういう時代だったんでしょうね。『アルプス席の母』を読んだとき、ちょうど『高校野球と人権』を書いていたんです。
早見さんはきれいごとで済ませるような人ではないから、読み進めながら、この感じなら絶対にどこかで体罰のシーンが出てくるだろう、早見さんはどう書くのだろうと思っていたんです。でも、出てきませんでしたよね。
早見 そのシーンは書いていませんけど、主人公・菜々子の息子の航太郎は寮で殴られていたと思います。そういうこともあったんじゃないかなと思わせるくだりはあるんです。
中村 ありましたね。夜中、公衆電話から母親に「野球やめたいよ」と電話するシーンだ。
早見 同じように寮生活をしていた僕も、親には、たとえば先輩にボコボコにされているとは絶対に言いませんでしたから。ただでさえ親は心配しているだろうに、そんなことを言っても問題をひとつ増やすだけだよなって。何も解決しないと思っていた。航太郎も絶対、そういうタイプだと思ったんです。
「僕の野球は高橋由伸さんを見た瞬間、終わった」
中村 早見さんは殴られて、たとえば指導者に言い返したことはあるんですか。「殴られなくてもわかります」って。私はそれができなかったことを今も後悔しているんですけど。
早見 絶対に言えませんでしたね。僕らの代の選手はわりとみんな言葉を持っていたと思うんですけど、言い返すという発想にさえ及びませんでした。それに、僕みたいなベンチ入りすれすれの選手が言い返したら、試合で使われなくなるだけじゃないかって。それだって大いなる思考停止のひとつなんですけど。
中村 私は慶應の選手を取材していて思ったのですが、本当は言ってもいいんですよね。
早見 僕も慶應の森林貴彦監督のインタビューなどを聞いていて、そういう空気を作ることこそが大人の仕事なんだなという気がしました。
僕の高校の監督も言ってたんですよ。「言いたいことがあったら言ってきなさい」って。でも、そう言いながらもめちゃめちゃ重い空気が漂ってるわけです。正直、言えるわけがなかった。これがレギュラーだったら、ちょっと違ったのかな。
僕の2年先輩に高橋由伸さん(元巨人)がいたんです。僕の野球は由伸さんを見た瞬間、終わったんです。プロ野球選手になんてなれないと突きつけられた。
もし、僕が由伸さんだったら嫌なものは嫌だって言えてたんですかね。いやぁ、でもどうなんだろう。
#3に続く
撮影/下城英悟
アルプス席の母
早見 和真
まったく新しい高校野球小説が、開幕する。
秋山菜々子は、神奈川で看護師をしながら一人息子の航太郎を育てていた。湘南のシニアリーグで活躍する航太郎には関東一円からスカウトが来ていたが、選び取ったのはとある大阪の新興校だった。声のかからなかった甲子園常連校を倒すことを夢見て。息子とともに、菜々子もまた大阪に拠点を移すことを決意する。不慣れな土地での暮らし、厳しい父母会の掟、激痩せしていく息子。果たしてふたりの夢は叶うのか!?
補欠球児の青春を描いたデビュー作『ひゃくはち』から15年。主人公は選手から母親に変わっても、描かれるのは生きることの屈託と大いなる人生賛歌! かつて誰も読んだことのない著者渾身の高校野球小説が開幕する。
高校野球と人権
中村 計 松坂 典洋
日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える
甲子園から「丸刈り」が消える日――
なぜ髪型を統一するのか
なぜ体罰はなくならないのか
なぜ自分の意見を言えないのか
そのキーワードは「人権」だった
人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか
高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士に聞いた
日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える
知的エンターテインメント
【目次】
はじめに ~人権の手触り~
第一章 丸刈りと人権
第二章 逃走と人権
第三章 表現と人権
第四章 体罰と人権
おわりに ~友よ、許せ~